「バスチャンの予言」。それは、外海や浦上、五島の潜伏キリシタンの間で広まり、代々伝えられた。「7代のちに海の向こうから告白を聞く司祭がやってくる」という予言であった。その司祭は「ローマ教皇から派遣されている」「独身である」「サンタマリアを敬愛している」とされていた。
1865年の「信徒発見」により、プティジャン神父がまさにそのとおりの人物であることを知った各地の潜伏キリシタンたちは、大浦天主堂を訪れた。中には神父に十字架やメダイなどを求める者も出てきた。天主堂の前には役人がいるにもかかわらず、潜伏キリシタンたちは信仰を表すことをはばからなかったという。このことにより、「崩れ」という新たな弾圧が始まることになる。