1543年、日本に新たな風が吹いた。ポルトガル船が鹿児島の種子島にやってきて鉄砲を伝えた。実権を握る室町幕府は弱体化し、各地の領主たちが競って台頭する時代が到来していた。領主たちは南蛮船との交易を領内に誘致して武器や財力を得ようとした。島原半島一体に勢力を持つ有馬家領主の有馬晴信もそのひとりだった。
ポルトガルとの貿易には条件があった。領民へのキリスト教布教を認めることである。有馬晴信はイエズス会の宣教師たちに領内でのキリスト教布教を認め、自ら洗礼を受け、ドン・プロタジオと名乗った。宣教師フロイスが記した歴史書である「日本史」によると、有馬氏は、イエズス会から支援を受けたことによって、隣接する佐賀で勢力を拡大していた龍造寺隆信の襲撃をしのぐことができたとある。