ヨーロッパ歴訪から戻ってきた少年たちは活版印刷機を持ち帰った。広く布教させるためである。教理書として、「どちりなきりしたん」「サントスの御作業」などが南島原市の加津佐で印刷され、布教活動に使われた。
キリスト教では布教活動に絵画や音楽を用いる。老若男女にわかりやすく伝えるためには、視覚と聴覚に訴える手法が効果的だということを宣教師たちは熟知していた。この地には日本最古といわれる銅版画も残されている。セビリアの聖母である。繊細な線画は日本人によるもので、こうした芸術性の高い技術はキリシタンの初等教育機関セミナリヨなどで育まれた。有馬の地(南島原市)にも教育機関があり、銅版画だけでなく油絵や水彩画などにはローマで制作されたものと見間違えるほどの美術教育の高さが見られ、これを宣教師フロイスも賞賛している。
禁教の中、帰国した4少年たちは、インド副王の使節として当時の為政者である豊臣秀吉の前で西洋楽器を演奏し、喜ばせた。西洋から渡ってきた文化の種がしっかり根付いていた。