青砂ヶ浦天主堂が建設された1910年頃、信徒数は約50戸で、建設費用の1戸あたりの負担金は20円、その上、労働奉仕も行った。当時は100円で家が1軒建ったというから当時まだ貧しかった信徒たちにとって20円はかなりの額だ。

石材は頭ヶ島、煉瓦は佐世保の早岐方面から搬入したといわれ、近くの海辺から信徒総出で荷揚げしたという。青砂ヶ浦天主堂の大きさを考えると、相当な肉体労働だったと想像できる。

鐘楼(鉄製)は、1920年に神父の着任25周年を記念して建てられたもので、鐘はイタリア製である。戦時中は国に没収され、奈摩地区の警戒警報の合図に利用されたが、終戦後、青砂ヶ浦の青年たちが取り戻したというエピソードが残っている。