1591年、天正遣欧使節てんしょうけんおうしせつらによってもたらされたグーテンベルク式金属活字印刷機を使って、宣教師養成のための大神学校であった天草コレジヨで印刷された書物が「天草本」である。7年間で29種類の天草本が出版され、そのうち西洋渡来の宣教師の教養のために作られた「平家物語」や日本最初の翻訳本「伊曽保物語(イソップ物語)」、格言をやさしく書いた「金句集きんくしゅう」など12種類が現存する。現代人にも馴染みのある平家物語やイソップ物語が400年以上前に天草で印刷され、読まれていたとは驚きだ。よく見ると、ラテン語をポルトガル式ローマ字で訳している。しかも、その時代、ヨーロッパでの印刷部数は300〜500部程度であったのに対し、天草コレジヨでは1500部以上を出版していたという。当時の天草は、世界有数の出版事業を行っていたことになる。