平戸は長崎地方におけるキリシタン布教の最初の地である。平戸藩主松浦隆信(道可)の家来であった籠手田氏・一部氏は、1553年にキリスト教へと改宗。その後、一族の領土だった生月島、度島、平戸島西海岸の領民全てをキリスト教へと改宗させた。そのひとつである春日は、中世以来の霊山・安満岳(標高536m)の山懐に抱かれ、布教当時のこの地方の景観を残す集落である。山からの豊富な水を利用した見事な棚田が設けられ、米や麦とともに、かつては森の恵みである薪や炭の生産や、海産物をとる暮らしがおこなわれてきた。集落の海際には神社が設けられ、道端には神仏の信仰対象である石碑や石祠が祀られる。しかしその一方で、かつて十字架と信徒の墓地が設けられた丘は住民の大切な聖地とされ、家々にはキリシタンの聖具が秘かに祀られ、改宗当時の信仰形態がかくれキリシタン信仰の中で継承されてきた。