スペイン船サン・フェリペ号の土佐漂着が引き金となって、フランシスコ会の宣教師らの無許可の布教活動が、当時の為政者である豊臣秀吉の耳に入った。秀吉は直ちに見せしめのため、フランシスコ会宣教師や信徒ら24人を京都で捕らえた。キリスト教信仰を理由にした日本最初の処刑だった。キリシタンの町長崎で処刑を行うことになり、24人は約1カ月にわたって約1,000kmの道のりを歩いた。道中、2人が尊い犠牲になることを望み、これに加わった。
殉教した26人は、特に貧しい人や病人たちの世話などを実践してきた人たち。人々に愛を与える信仰の灯を絶やしてはならないと、自ら尊い犠牲になることを受け入れたのである。彼らにとって殉教は信仰を生かすための生き方として喜びであった。その後の迫害は、信仰を棄てさせることを目的にますます残酷さを極めていった。