おらしょ こころ旅

県央・西彼

横瀬浦から、みかんドームへ

2022年5月25日 公開

05-4-7

前回から引き続き、キリシタンの歴史が残る横瀬浦を散策したあと、西海市のグリーン・ツーリズムの拠点にもなっている道の駅「さいかいみかんドーム」をめざして歩きます。その途中には、波穏やかな大村湾やみかん畑が連なる風景、佐世保市にそびえる戦争遺構の一つ、針尾無線塔が見える道路等もあり、飽きのこない巡礼コースです。

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ルイス・フロイス像

横瀬浦史跡公園の入口に立つ、右手を差し伸べるフロイス像。31歳で日本にやってきた彼の初上陸の地がこの横瀬浦。端正でインテリ風の、なかなかの男前です。フロイスは当時の日本での出来事を詳細に記録した『日本史』を残したことでも有名です。

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横瀬浦史跡公園

横瀬浦公園の階段を上ると、丘の上の広場に、説明板と記念碑みたいなものがありました。周辺には「天主堂跡の碑」も。しかし、実際に建っていた場所は、公園脇の舗装された道路沿い付近といわれています。教会風の可愛い展望台もありましたよ。

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徒歩 3分
八ノ子島

横瀬浦港の沖合にぽっかり浮かぶ小さな島は八ノ子島。南蛮船が入港していた時代は、この十字架を目印に港に入って来ていたそうで、そのことは宣教師ルイス・デ・アルメイダの文書にも書かれています。現在の十字架は復元されたものですが、この島を見ると、横瀬浦のキリシタンの歴史をしみじみ感じることができます。

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徒歩 50分
木場周辺の道

横瀬浦からみかんドームまでの道は舗装されたアスファルトの道が続きます。意外と車も通るので気をつけて歩きましょう。

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木場周辺の道からの眺め

道の途中に、針尾の無線塔が見える場所がありました。そそり立つコンクリート製の3本の塔は、大正7年から4年の歳月を費やし建設されたもので136mもあるそうです。だからこんな遠くからでも見えるんですね。

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徒歩 30分
みかんのオブジェ

「もうすぐミカンドームだ」と感じる目印のような存在が、このみかんのオブジェ。大きいみかんに「再会のまち 西海町」と書かれています。なんだかロマンチックなコピーですね。周辺のお花もきれいです。

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道の駅「さいかいみかんドーム」

半円形のドーム型の建物が特徴のみかんドーム。おいしいみかんが特産品の西海市にぴったりの名前ですね。西海市のお土産品から観光情報まで揃っていて、周辺には直売所などもあるので、休憩を兼ねて楽しめるスポットです。

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  • 日本二十六聖人の足跡を訪ねて

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    上町(うわまち)跡・下町(したまち)跡から長崎甚左衛門純景(ながさきじんざえもんすみかげ)居宅跡へ、そして思案橋(しあんばし)跡、丸山(まるやま)跡と南蛮貿易港時代の横瀬浦(よこせうら)を堪能したあとは、うず潮の季節を迎える西海橋(さいかいばし)...

  • 南蛮船来航の地、そして上町跡・下町跡

    八ノ子島(はちのこじま)が見える防波堤から港沿いに車を走らせ、南蛮船来航の地へ。貿易港として繁栄した時代に想いをはせながら、静かな上町(うわまち)跡、下町(したまち)跡をめぐりました。

  • 横瀬浦公園から八ノ子島へ

    横瀬浦(よこせうら)公園から車で岬のほうに移動。西海(さいかい)市の人気のスポット、船番所(ふなばんしょ)で昼食をいただいたあと出会ったのは白い十字架が立つ八ノ子島(はちのこじま)でした。

  • 繁栄の歴史を物語る横瀬浦公園

    横瀬浦(よこせうら)が南蛮貿易港として繁栄したのは開港からわずか1年あまり。まちを見おろす小高い丘にはその歴史が今も息づいています。

  • 南蛮船来航の地、西海市横瀬浦

    西海(さいかい)市の情報発信地であるみかんドームを皮切りに、地元ならではの特産品直売所やお菓子屋さんに立ち寄り、南蛮船来航の地となった横瀬浦(よこせうら)をめざします。

  • 迫害の歴史をたずねて

    放虎原殉教地から妻子別れの石へ。道に迷いながらも続く史跡めぐり。キリシタン弾圧の壮絶で悲しい歴史が胸に迫ってくる。

  • 迷いながら殉教地へ

    大村家の墓所がある本経寺を訪れたあとは、道に迷いながら行ったり来たり・・・。ようやく獄門所跡、放虎原殉教地へたどり着きました。ふーっ!

  • 歩いたあとの楽しみは・・・

    富松神社から三城城跡、宝生寺跡をめぐり、また踏み切りを越えてバスターミナルビルの前に。歩いたあとの楽しみはやはりおいしい昼ごはんでした。

  • 城下町の歴史を感じる

    なんとなく歩きはじめたものの、気が付けば線路を越えてお寺や神社をめぐることに。初めて訪れた格式あるそのたたずまい・・・。城下町ならではの歴史が息づいています。

  • 史料館からはじまる大村散策

    少しずつ春の訪れを感じる季節。ゆるやかな陽射しに誘われて大村市にやってきました。今回ものんびりとまちなみを楽しみながら、ぶらり旅がはじまります。

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