おらしょ こころ旅

県央・西彼

鷹島殉教地を眺める海岸

2019年3月20日 公開

3-3-0

時津港沖に浮かぶ鷹島は、1617年にドミニコ会の2人の神父が処刑された地です。宣教師たちの日本再潜入に火をつけた殉教といわれています。2人の神父は共に206福者となっています。今回は、その鷹島を最もよく眺められるスポットへ行ってみました。

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ルート紹介
大村湾漁協の直売所(1)

時津港を通りかかったら時津の直売所の看板が目に入ったので寄ってみました。漁協がやっている直売所のようですね。大きな水槽が並んでいて本格的です。

住所
電話番号
URL
料金
営業時間
休日
徒歩 すぐ
大村湾漁協の直売所(2)

水槽には大村湾のナマコや大きなヒラメ、サザエ、ウチワエビなど、高級食材がいっぱい! 大村湾のナマコは美味しいですよねー!

住所
電話番号
URL
料金
営業時間
休日
徒歩 2分
時津港

時津港にやってきました。空港行きの船が停まっていました。ここから空港まで25分、この周辺に住んでいる人にとっては便利ですね。

住所
電話番号
URL
料金
営業時間
休日
徒歩 すぐ
日本二十六聖人上陸の地碑

時津港といえば、やはりこの記念碑。今から422年前の2月4日午後、26聖人は彼杵から大村湾を渡って、その日の夜にこの時津港に着き、厳冬の中、船上で上陸を待ったといわれています。26聖人はどんな思いで船の中にいたのでしょうね。

住所 西彼杵郡時津町浦郷
電話番号
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料金
営業時間
休日
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徒歩 すぐ
恵比須様(1)

26聖人の碑のすぐ隣に、かわいい恵比須様の像がありました。その昔、時津町浦郷の漁師たちが大漁祈願に祀っていたもの。北泊の清風館の庭先にあったものが移され、埋め立てが進む中、4度目の移動でやっとここに落ち着いたそうです。

住所
電話番号
URL
料金
営業時間
休日
徒歩 すぐ
恵比須様(2)

なんと、最初は2体だったのに、4体に増えたそうです。とてもおめでたい表情で、いかにもご利益がありそう!そういえば、さっきの直売所もたくさん魚がいましたね(笑)

住所
電話番号
URL
料金
営業時間
休日
8分
国道から眺める鷹島殉教地

時津の国道から沖合を眺めると、ぽっかり浮かんだ小さな細長い島が鷹島。1617年、宣教師ナワレトとエルナンド両神父が伝道師レオ田中と共に処刑された地。島の頂上には1977年に建てられた殉教の碑があります

住所 西彼杵郡時津町日並郷
電話番号
URL
料金
営業時間
休日
3分
海岸から眺める鷹島殉教地

国道から海の方に細い道を下って行くと、海岸が広がっていて、そこから間近に鷹島を眺めることができました。殉教400年にあたる2017年には、チャーター船で鷹島に上陸して記念ミサを行ったそうです。聖地と呼ぶにふさわしい厳かな空気を感じる島の風景です。

住所
電話番号
URL
料金
営業時間
休日
徒歩

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    諫早市は旧佐賀藩諌早領であり、大村藩の大村市や有馬領の島原地方に比べてキリスト教の足跡が少ない土地柄です。しかし、キリスト教が繁栄した16世紀、諫早生まれの15歳の少年ドラードが天正遣欧少年使節に随行したという歴史が伝えられています。今回は、新緑の諫...

  • 聖フランシスコが見守る教会堂

    今週は諌早市高来町へ行ってきました。先週の小長井教会堂と同じく、多良岳の中腹の風光明媚な地に修道会と修道会が設立した社会福祉施設などがあり、その中に湯江教会堂があります。主に施設の利用者と職員のための教会堂で、見学に訪れたときも堂内では熱心にお祈...

  • 山茶花高原と小長井教会堂

    自然豊かな諌早市を代表する多良岳。その中腹に位置する山茶花高原の近くには、カトリックの修道院や福祉施設、教育施設が集まったエリアがあり、その中に小長井教会堂があります。春の心地よい日差しと爽やかな風を感じながら、小長井町に足をのばしました。

  • オリーブの町の教会堂へ

    まちの中心を穏やかな長与川が流れ、山にはみかん畑が広がる風光明媚な長与町。長崎のベッドタウンとして発展し、今では県下で最も人口の多い町となりました。信徒数も多く、町の中心部に素晴らしいステンドグラスを備えた立派な教会堂が建っています。

  • 時津の歴史スポットと教会堂

    時津町は、かつては船待ちの港として栄えた古い港町。長崎街道の脇街道である時津街道が通り、たくさんの人や物が行き交いました。1970年代になると湾岸を中心に工場誘致が進み、また長崎市のベッドタウンとしても人口が増加。そのため滑石小教区の巡回教会として時...

  • 聖ルドビコ茨木に会いに行こう

    大崎温泉やくじゃく園などでも知られる川棚町。キリスト教は、戦後、オーストラリア人のF.フリン師の宣教により、一戸の信徒家族より出発し、1950年、教会・幼稚園・保育所の事業を開始、1952年にスカポロ外国宣教会に移管、1966年に現在の聖堂を建立しました。日本...

  • マッターホルンを望むまち

    先週の東彼杵町から少し足をのばして川棚町を散策。川棚町は、九州のマッターホルンと呼ばれる虚空蔵山を望む風光明媚なまち。キリシタンの歴史もあり、町内のお寺の墓地には奇跡的に難を逃れたキリシタン墓碑が残っています。

  • 東彼杵町のおしゃれスポット

    お茶の産地として知られる東彼杵町は、近年新しいスポットが登場し、若い人たちからの注目を浴びています。その中でも海が見えるレトロな駅舎として知られる千綿駅と旧米倉庫をリノベーションして活用したショップ&カフェは大人気。実は、その旧米倉庫の隣にある小...

  • 彼杵宿をたずねて

    東彼杵町は、長崎街道の「彼杵宿」が置かれたところで、昔から交通の要衝として栄え、幕府の役人や長崎警備の福岡藩などの武士たち、オランダ商館長も行き来しました。また、日本二十六聖人が彼杵の海岸から船に乗せられ時津港まで送られたという歴史もあり、一行の...

  • 凛々しい原マルチノ像

    今回は天正遣欧使節の一人、原マルチノの出身地である東彼杵郡波佐見町へ行ってみました。マルチノは使節の中では最年少でしたが、有馬のセミナリヨに通う頃から優秀で、特に語学に長けており、ローマからの帰途のゴアでラテン語の演説を行ったといわれています。

  • 三浦海岸を通って鈴田牢跡へ

    禁教期にはキリシタンが収容された牢屋が各地にありましたが、大村市の鈴田牢は、周囲も天井も竹の柱で囲まれた鳥籠のような部屋で、広さは奥行6.6m、間口4.6m、横に寝ることも身動きさえ自由にはできなかったと伝えられます。

  • 郡崩れゆかりの仏の谷

    1657年、大村領内で「郡崩れ(こおりくずれ)」という事件が起こりました。郡村を中心にキリシタン608人が捕らえられ、取り調べ中に78人が死亡、20人が永牢(終身刑)、411人が斬首という厳しい処罰が下されました(人数については諸説あり)。今回はその発端となっ...

  • 大村純忠終焉の地から植松教会堂へ

    バルトロメウという洗礼名を持った大村の領主・大村純忠。長崎に港を開き、キリシタンの町を作り、戦いに明け暮れた純忠。晩年は、病に伏せ、大村の地で静かに祈りの毎日を過ごしたと言われています。今回は純忠の終焉の地と植松教会堂を訪ねてみました。

  • 大村で最初の殉教地へ

    日本初のキリシタン大名・大村純忠の拠点であった大村は、領民のほとんどがキリシタンでした。そのため、禁教令が出されても信仰を守り続ける人が多く、殉教者もたくさん輩出しています。今回は、郡崩れ以前の歴史をたどってみました。

  • 大島大橋を渡って(2)

    前回は大島の中心部をぶらっとしましたが、今回は島の西側の静かな漁師町にある太田尾教会堂をめざします。太田尾漁港付近から細い坂道をのぼった先にある美しい教会堂で、設計者は不明ですが、堂内の造りに特徴がある見応えのある教会堂です。

  • 大島大橋を渡って(1)

    大島のキリスト教の歴史は、文政年間(1820年頃)に外海地方の潜伏キリシタンが移住してきたことに始まりますが、解禁後にカトリックに復帰する人は少なく、少数の信徒が家御堂で礼拝行事を行っていました。ようやく信徒が増え、教会堂が創建されたのは昭和になって...

  • 中浦ジュリアンの故郷へ

    天正遣欧少年使節の一人、中浦ジュリアン。現在の西海市中浦に生まれ、有馬のセミナリヨで学んだあと、天正遣欧少年使節の副使に選ばれて渡欧。ヨーロッパ各地で大歓迎を受けたものの、帰国後は波乱
    の人生が待ち受け、最後は西坂で殉教しました。今回はジュ...

  • R202を通って大瀬戸へ

    長崎から海沿いを走る国道202号線は、サンセットオーシャン202と呼ばれる人気のドライブルート。天気の良い日は、海の向こうに、かつて潜伏キリシタンが新天地を求めて移り住んだ五島列島が望めます。今回はR202を通って大瀬戸をめざします。

  • コルベ神父の心が息づくまち

    諫早教会堂から湯江教会堂、そして小長井教会堂へ。多良岳のふもとにある教会や修道院には、長崎市本河内を拠点に布教活動を続けたコルベ神父の愛の心が息づいていました。

  • 天正遣欧使節に同行した諫早生まれの少年

    今週と来週の2回は早春の諫早市をめぐる旅。1回目は、新鮮な野菜や海の幸が揃った農家直売所を起点に諫早図書館にあるコンスタンチノ・ドラード像、そして諫早教会堂に建つ聖パウロ三木像に出会いました。

  • 「じんざえもん焼」を味わって時津教会堂へ

    農産物から民芸品、実用品まで多彩な商品が揃った農産直売所を訪れ、「じんざえもん焼」というおいしい回転焼を味わい、時津(とぎつ)教会堂に向かいました。

  • キリシタン墓碑から川棚教会堂

    常在寺(じょうざいじ)の墓地のさらに奥にある川棚(かわたな)町キリシタン墓碑を訪れたあと、戦後、海軍工廠(こうしょう)の払い下げを受けてつくられた川棚教会堂に向かいました。川棚町はキリシタンの史跡だけではなく、戦争の歴史が色濃くのこる町でした。

  • 川棚町キリシタン墓碑へ

    東彼杵(ひがしそのぎ)町から川棚(かわたな)町へ。常在寺(じょうざいじ)の水琴窟(すいきんくつ)の美しい音色を聞いたあと、参道を通ってキリシタン墓碑をめざします。たよりは目的地までの距離を示した案内板。果たしてどんなところに墓碑はあるのでしょうか。

  • 古い建物を活かす東彼杵のまちづくり

    キリシタン墓碑の近くにあったおしゃれなコミュニティスペース、そしてレトロなたたずまいを活かした千綿(ちわた)駅の新たな取り組み。古いものと新しいものが交差する東彼杵(ひがしそのぎ)町の「今」にふれたような気がしました。

  • 季節を告げる緑の茶畑

    日本二十六聖人乗船場跡から大村(おおむら)湾を一望する茶畑へ。産地ならではのおいしいお茶を味わい、緑豊かなすばらしい風景を堪能しました。

  • 日本二十六聖人の足跡を訪ねて

    東彼杵(ひがしそのぎ)町の観光・物産の拠点、彼杵の荘(しょう)から日本二十六聖人乗船場跡へ。長崎(ながさき)街道の彼杵宿として栄えた町に残る殉教者の足跡を訪ねます。

  • 二つのキリシタン史跡を訪ねて

    西海橋(さいかいばし)公園から車を走らせ、二つのキリシタン史跡へ。ひとつは迷ってしまい、遠くから眺めることに。もうひとつは道しるべのおかげでスムーズに到着。ぶらり旅はうまくいったりいかなかったり・・・。

  • 横瀬浦から西海橋公園へ

    上町(うわまち)跡・下町(したまち)跡から長崎甚左衛門純景(ながさきじんざえもんすみかげ)居宅跡へ、そして思案橋(しあんばし)跡、丸山(まるやま)跡と南蛮貿易港時代の横瀬浦(よこせうら)を堪能したあとは、うず潮の季節を迎える西海橋(さいかいばし)...

  • 南蛮船来航の地、そして上町跡・下町跡

    八ノ子島(はちのこじま)が見える防波堤から港沿いに車を走らせ、南蛮船来航の地へ。貿易港として繁栄した時代に想いをはせながら、静かな上町(うわまち)跡、下町(したまち)跡をめぐりました。

  • 横瀬浦公園から八ノ子島へ

    横瀬浦(よこせうら)公園から車で岬のほうに移動。西海(さいかい)市の人気のスポット、船番所(ふなばんしょ)で昼食をいただいたあと出会ったのは白い十字架が立つ八ノ子島(はちのこじま)でした。

  • 繁栄の歴史を物語る横瀬浦公園

    横瀬浦(よこせうら)が南蛮貿易港として繁栄したのは開港からわずか1年あまり。まちを見おろす小高い丘にはその歴史が今も息づいています。

  • 南蛮船来航の地、西海市横瀬浦

    西海(さいかい)市の情報発信地であるみかんドームを皮切りに、地元ならではの特産品直売所やお菓子屋さんに立ち寄り、南蛮船来航の地となった横瀬浦(よこせうら)をめざします。

  • 迫害の歴史をたずねて

    放虎原殉教地から妻子別れの石へ。道に迷いながらも続く史跡めぐり。キリシタン弾圧の壮絶で悲しい歴史が胸に迫ってくる。

  • 迷いながら殉教地へ

    大村家の墓所がある本経寺を訪れたあとは、道に迷いながら行ったり来たり・・・。ようやく獄門所跡、放虎原殉教地へたどり着きました。ふーっ!

  • 歩いたあとの楽しみは・・・

    富松神社から三城城跡、宝生寺跡をめぐり、また踏み切りを越えてバスターミナルビルの前に。歩いたあとの楽しみはやはりおいしい昼ごはんでした。

  • 城下町の歴史を感じる

    なんとなく歩きはじめたものの、気が付けば線路を越えてお寺や神社をめぐることに。初めて訪れた格式あるそのたたずまい・・・。城下町ならではの歴史が息づいています。

  • 史料館からはじまる大村散策

    少しずつ春の訪れを感じる季節。ゆるやかな陽射しに誘われて大村市にやってきました。今回ものんびりとまちなみを楽しみながら、ぶらり旅がはじまります。

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