おらしょ こころ旅

島原・天草

頼山陽公園から島原・天草一揆ゆかりの富岡城へ

2023年4月12日 公開

04-2-7

今回は、世界遺産巡礼ⅴ「キリスト教繁栄と島原・天草一揆の道」の巡礼路34の後編、頼山陽公園から島原・天草一揆のもう一つの舞台、富岡城を経由し、富岡港をめざします。富岡城内には、苓北町の歴史を紹介する展示物の他、キリスト教の迫害で処刑されたアダム荒川を記念したアダム荒川殉教公園もあります。

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ルート紹介
頼山陽公園

幕末の儒学者、頼山陽(らいさんよう)。1818年頼山陽が長崎の茂木から富岡を目指している時、船の中で「泊天草洋」が作られたと言われているので、長崎にも少しゆかりのある方です。1~3月にかけては公園内に熊本県指定天然記念物のハマジンチョウが淡い紫色の可憐な花を咲かせるそうですが、この時はまだ花の姿は無く、残念。

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頼山陽公園の前の海岸

公園の前には天草灘を望む美しい海岸が広がっていて、ベンチもあるので、海に反射する太陽の光を浴びながら海の彼方に思いを巡らせてみるのもいいでしょう。下田温泉から海沿いを4時間ほど歩いたところになります。

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海岸沿いの遊歩道

海岸沿いを歩くのもいいですが、海岸沿いに整備された、この遊歩道も雰囲気があっておすすめです。両脇の木立から差し込む木漏れ日が心地よくて、歩くのが楽しくなります。

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徒歩 30分
アダム荒川殉教公園

平成27年3月に富岡城の敷地内に移設されたアダム荒川の記念碑。3ヶ月にもわたる迫害にもめげず信仰を守りとおす態度をとり続けたため、斬首の刑に処されることとなったアダム荒川は、福者にも列せられています。この日も見学者が訪れていました。

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富岡城(1)

島原・天草一揆のもう一つの舞台、富岡城にやってきました。美しい白壁はもちろん、石垣などもとても見事なお城です。1637年(寛永14)11月、島原の一揆に呼応して天草でも一揆が起こり、一揆軍は富岡城を攻めたといわれています。

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富岡城(2)

現在、復元された富岡城には、天草ゆかりの偉人の像が建てられています。中には勝海舟もいましたよ! 併設されたビジターセンターには富岡城をはじめ、郷土の歴史・文化資料が展示されています。

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富岡城からの眺め

二の丸からの景色、きれいですね! 富岡港は冨岡半島の東側に位置し、この写真ではよくわかりませんが、半島の突端、水鳥の長いくちばしのように突き出した曲崎が特徴的で、地元では曲がり崎と呼ばれているそうです。遠くには長崎の島々も見えますよ。

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徒歩 20分
富岡港

そして、ゴールの富岡港ターミナルに到着。建物がおしゃれですね。ここから高速船に乗って長崎の茂木港へ渡ります。天草を歩き終えた達成感を味わいながら所要時間45分の小さな船旅を楽しみましょう。

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    1887年、天草のフェリエ神父は、貧しさの中で食べ物に困っている子どもたちを引き取り、根引山を開拓し、自立を促すための孤児院を建設。「根引きの子部屋」と呼ばれていたそうです。時間が流れ、孤児院跡が発見されたのは1960年代のこと。現在は地元の信徒たちによ...

  • 今富集落を歩く

    江戸時代の干拓によって田畑が築かれ、農業を生業としながら密かに信仰を守っていた今富集落。キリスト教が解禁されても、多くはカトリックへ復帰せず、「かくれキリシタン」として信仰を続けますが、指導者である帳方が途絶え信仰は衰退。しかし現在も、キリシタン...

  • チャペルの鐘の展望台へ

    天草灘の入江にある小さな漁港・﨑津。日本の原風景ともいえる漁師まちの風景に、西洋の教会堂が融合した独特の景観は、訪れる人を魅了し続けています。その美しい景観を高い場所から眺望できるのが、約600段の石段を登ってたどり着くチャペルの鐘展望公園。ちょっと...

  • 﨑津の海上マリア像

    﨑津集落の海岸にある、海に向かって立てられたマリア像。ここを往き来する船人、漁人たちの海の道しるべであり、心の灯となるように建立されました。漁に出る信徒たちは必ず行きと帰りに船から手を合わせるそうです。美しい白亜のマリア様に会いに行って来ました。

  • 久しぶりの﨑津集落

    2018年の世界遺産登録を目指す﨑津集落は、ここ数年間のうちにあちこちに新しい施設が誕生。資料館や案内所、駐車場やトイレなども整備され、以前よりも快適に散策ができる環境になっています。今回は、そんな﨑津集落の新しい施設を尋ねてみました。

  • 天草布教はじまりの地 

    口之津からアルメイダ修道士が渡って、1566年に布教が開始された天草。豊臣秀吉から天草支配を任された小西行長の庇護のもとでキリスト教が繁栄し、コレジヨなどもできました。今回は、アルメイダが初めて天草に上陸した河浦町周辺を訪ねてみます。

  • まだれいなの墓参り

    キリシタン信仰が盛んだった島原半島には100あまりのキリシタン墓碑が見つかっていますが、その中でも一番美しいとされているのが「まだれいなの墓」。その近くには沖田畷の戦いの前夜に龍造寺隆信が過ごしたという寺中(三会)城跡もあります。まだれいなのお墓参り...

  • 白土湖と眉山を望む島原教会堂へ

    島原半島にはキリシタン遺跡や殉教地などがたくさんありますが、島原・天草一揆でキリシタンが根絶されたこともあり、現在も教会堂の数は少なく、島原市内にあるのは島原教会堂のみ。別名は「島原半島殉教者記念聖堂」といいます。過去の悲しい歴史を偲びながら、訪...

  • キリシタンゆかりの島原城へ

    1618年より、松倉重政が島原城の築城を開始。4万石の大名としては立派すぎる城であったため、民衆は多大な負担を強いられ、さらには2代目勝家の圧政、キリシタンへの迫害、飢饉も重なり、耐えかねた民衆は1637年の島原・天草一揆を起こしました。その発端となった島...

  • 殉教の歴史を刻む有明海

    禁教期、島原半島での厳しすぎるキリシタン弾圧で、領民から「悪魔」と呼ばれた松倉氏。徳川家光の時代になるとさらに激しさを増し、棄教しない領民への残虐な拷問が繰り返されました。今は静かで落ち着いた城下町の面影を残す島原市内で、刑場跡や殉教地を訪ねてみ...

  • 十字架が立つ金山城跡へ

    1602年、肥後(熊本)出身のキリシタンで武士の結城弥平次は、有馬晴信の招へいで国見の金山城の城主となり、布教活動が行われました。しかし、晴信の子、直純の時代になると弾圧が激しくなり、弥平次は家来や家族と共に追放され、金山城は廃城となります。秋の気配...

  • 雲仙の殉教地を訪ねて(2)

    雲仙地獄は、1627年~1631年まで、島原城主・松倉重政がキリシタンを改宗させるために拷問や処刑を行った地。硫黄の匂いと湯けむりに包まれながら、殉教碑が立つ場所を訪ねてみました。

  • 雲仙の殉教地を訪ねて(1)

    長崎県を代表する観光地であり、国立公園に指定されている雲仙。その歴史をたどると、1600年代には多くのキリシタンが殉教した聖地でもあります。今回は、南串山町から農道を通って、殉教地がある雲仙の温泉街を訪ねます。

  • 晩秋の野田浜海岸

    岩戸山(いわとやま)から野田浜海岸へ。そして松林の散策道を歩いて砂原(さはら)キリシタン墓碑を訪れました。晩秋の海の風景も心にのこりました。

  • 中途半端に岩戸山

    須崎(すざき)キリシタン墓碑から岩戸山(いわとやま)へ。軽い気持ちで訪れたものの、そこはかつて観音道場があった霊地。「ありがたいやら怖いやら」で登山の途中、いや、山の入口で失礼することになったのでした。

  • 口之津から加津佐へ

    口之津町(くちのつちょう)の南蛮船来航の地から加津佐町(かづさちょう)に向かい、いつものように(?)あちこち迷いながら目的地へ。それにしてもキリスト教文化の繁栄の陰にいろんなドラマがあったんですね。

  • キリシタンのまちは南蛮貿易の拠点

    おいしい昼食のあとは、美しい海岸のそばにあるキリシタン墓碑を訪れ、南蛮船来航の地へ。口之津ならでは歴史を堪能しました。

  • 船の安全を見守った二つの灯台

    口之津(くちのつ)教会跡を訪れたあと、車を海岸沿いに走らせ、船舶の安全な航海を見守った口之津灯台、瀬詰崎(せづめざき)灯台を訪れました。

  • 口之津の歴史にふれる

    口之津(くちのつ)歴史民俗資料館・海の資料館を訪れ、港とともに繁栄してきたまちの歴史を知り、美しい風景を楽しみながら史跡をめぐります。

  • 原城跡を堪能する

    西有家町(にしありえちょう)から南有馬町(みなみありまちょう)に入って原城(はらじょう)跡へ。ずいぶん昔に出場したロードレースのことを思い出しながらめぐった広大な城跡——そこは農業を営む人々の暮らしの場でもあったのです。

  • 吉利支丹墓碑を訪ねる

    有家(ありえ)セミナリヨ跡から南島原市役所横の道を通って須川(すかわ)共同墓地へ。その途中にあのプロ野球選手の母校がありました。

  • おみこしとセミナリヨ

    有家(ありえ)キリシタン史跡公園から坂道を下りていくと温泉(おんせん)神社がある。この日はちょうど秋のお祭り。行列をすり抜けてセミナリヨ跡を訪れたのでした。

  • 味わい深い史跡めぐり

    人気の店で昼食をとって布津町(ふつちょう)から有家町(ありえちょう)へ。秋の南島原を満喫しながら有家キリシタン史跡公園に向かいます。

  • 南有馬町から布津町へ

    有馬(ありま)キリシタン遺産記念館で学び、布津(ふつ)キリシタン墓碑へ。さぁ、秋の南島原市を走る快適なドライブで史跡めぐりをスタート!

  • 味わい深いね、﨑津集落

    初めて訪れたのにどこか懐かしい﨑津集落。歴史ある教会や神社、趣のある家々が軒を連ねる風情ある通り・・・。きっとまた来るんだろうなぁ。そう予感させる魅力ある漁村の旅です。

  • 大江でミカンジュース

    熊本県天草市天草町大江は、かくれキリシタンの里。その歴史と文化を伝えるロザリオ館、大江教会、コレジヨ館をめぐる旅で、こんな素朴で飾らない飲み物にも出会いました。

  • 下田温泉でゆったり

    昭和の懐かしい風情漂う下田温泉。ここを拠点に大江教会や﨑津教会堂、天草ロザリオ館などを周遊バスでめぐるコースもあります。天草灘に沈む美しい夕陽も下田温泉ならではの魅力。ゆったりのんびり、心をいやす旅をお楽しみください。

  • 天草ありあけタコ街道、恐るべし

    天草にはキリシタンの遺物を個人で収集・展示している資料館があります。そのそばには大きなタコのモニュメントが! そして目の前の国道34号線は「天草ありあけタコ街道」! 干しダコあり、大きなタコ焼きあり、タコづくしの旅です。

  • 正覚寺での出来事

    キリシタンの布教活動の拠点だった南蛮寺。正覚寺にはその存在を裏付けるキリシタン墓碑が安置されています。墓碑に描かれた十字架、御堂のそばに立つ珍しい樹木、往時に思いを馳せながら静かな境内を歩いていると・・・!!!

  • 天草市本渡町あたり

    天草では「天草・島原の乱」という記載が多い「島原・天草の乱」。旬の魚がいっぱいのった海鮮丼に本場の「くまモン」、二人乗り電気自動車や歴史ある石橋など、天草のぶらり旅は出会いと発見の連続!

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