おらしょ こころ旅

県北

マタラ神父の足跡を訪ねる

2016年10月5日 公開

ぶらり旅(102)マタラ神父の足跡を訪ねる_ph5

田崎愛苦会(あいくかい)跡地からさらに山道を車で走り、平戸(ひらど)ふれあいバスの田崎(たさき)公会堂前バス停へ。そこから歩いてマタラ神父が眠る小高い丘を訪れました。

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ルート紹介
田崎愛苦会跡地

つたが絡まる石垣をたどっていくと、出入口だったのだろうか、さびた金属製の扉があった。ペルー神父が創設し、マタラ神父が指導した愛苦会の活動は北松浦(まつうら)地区に広がっていったという。

住所 平戸市木場町
電話番号
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料金
営業時間
休日
10分
田崎公会堂前バス停

田崎愛苦会跡地からさらに山道を上っていくと、平戸ふれあいバスの停留所「田崎公会堂前」が見えてきた。民家の少ない小さな集落である。ここで車を止め歩いてキリシタン墓地へ。

住所
電話番号
URL
料金
営業時間
休日
徒歩 5分
マタラ神父の墓に続く坂道

丘の斜面をそのまま利用したような急な坂道が登場。左手に「マタラ神父様の墓」と書かれた小さな道しるべがあった。お年寄りにこの勾配はきついだろうなぁと思いながら上り始めたが、お年寄りでなくてもこれはきつい。上りきったら汗がどっと吹き出てきた。

住所
電話番号
URL
料金
営業時間
休日
徒歩 2分
キリシタン墓地(1)

今回のぶらり旅ではあまりお目にかからなかったキリシタン墓地。十字架をあしらった墓石が階段状に行儀よく並んでいる。ほとんどのお墓にきれいな花が手向けられていた。先祖供養をかかさない信心深い土地柄なのだろう。

住所
電話番号
URL
料金
営業時間
休日
徒歩 2分
マタラ神父の墓

墓地の一角にマタラ神父の墓があった。マタラ神父は、1881年10月、マルセイユから日本宣教に出発し長崎に上陸。以後、黒島(くろしま)・平戸地区で40年にわたって宣教活動を行った人物である。墓石に刻まれた金色の文字「MATRAT」が印象的だ。

住所
電話番号
URL
料金
営業時間
休日
徒歩 すぐ
キリシタン墓地(2)

キリシタン墓地がある丘の上からは穏やかな海が見える。平戸、田平(たびら)、生月(いきつき)などで教会建設や修道院の創設に力を注いだマタラ神父が選んだ永眠の地は、ここ田崎の墓地だったという。

住所
電話番号
URL
料金
営業時間
休日
徒歩

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    佐世保富士とも呼ばれ、佐世保市内で一番高い山が烏帽子岳。西海国立公園にも指定されている山頂から少し下った標高430mの高台にあるのが烏帽子教会堂。戦後、平戸の紐差地区から烏帽子岳の開拓地に移住した信徒たちのために建てられたという教会堂です。

  • 本陣屋敷が残る江迎へ

    参勤交替の折、平戸藩主が宿泊した一番目の宿(本陣屋敷)が残る佐世保市江迎町。戦後は北松炭鉱の一つとして栄え、信徒も多く移住。最初は炭鉱住宅を仮聖堂として使用していましたが、1952年に地元の景勝地である潜竜ヶ滝から名をとった潜竜教会堂が建てられました。

  • 浅子教会堂から横浦へ

    平戸や黒島、五島、西彼杵半島など、海との関わりが深かった信徒たちは、移住先に海沿いの土地を選んだ人が多かったようです。今回たずねた浅子教会堂や横浦教会堂も海のそばにある教会堂です。

  • 高台に立つ白亜の相浦教会堂へ

    佐世保は1900年代初頭に平戸や西彼杵半島から移住した信徒によって創建された教会堂が多く、戦後は炭坑が始まったことでさらに移住者が増えました。そんな移住の歴史をたどりながら、教会堂をめぐってみましょう。

  • 九十九島を眺めながら船越教会堂へ

    九十九島(くじゅうくしま)を望む高台の展望スポットはいくつもありますが、一番気軽に行けるのが船越展望所。今回はそこからスタートして、高台にある船越教会堂を目指します。

  • 潮風に吹かれて、鹿子前教会堂へ

    九十九島パールシーリゾートがある鹿子前地区には、黒島、平戸、五島から移住して軍関連や漁業に携わる信徒のために1953年に創建された鹿子前教会堂があります。海からの心地よい風を感じながらぶらっと行ってみました。

  • 佐世保のシンボル、三浦町教会堂

    佐世保の駅前にどーんとそびえる三浦町教会堂。昭和6年に建てられ、1945年の佐世保大空襲にも負けず、奇跡的に生き残りました。今回は、そんな佐世保のシンボルとも言える三浦町教会堂をたずねます。

  • 針尾瀬戸を眺めて早岐へ

    佐世保市の東南部にあり、昔から交通の要衝として栄えて来た早岐。2014年にJRの駅がリニューアルして以来、ますます便利な街になっています。今回は、そんな早岐に昭和30年代に創建された教会堂をたずねてみました。

  • 北松炭田で栄えたまちへ

    旧北松浦郡の町と松浦市は、かつて炭坑で栄えたまち。明治中頃、信徒の中にも、外海や黒島、五島などから働き口を求めて移住する人たちが増え、教会堂も建てられました。今回はかつての炭坑のまちに立つ教会堂を訪ねてみました。

  • 海を望む山間にひっそりと…

    平戸市の古江湾を見下ろす山間に立つ古江教会堂。正直、「ぶらり」と行ける教会堂ではなく、山道を車で走っていて、何度も「この道かな?」と不安になりました。でも、たどり着いた教会は、今も信徒さんに大切に守られていることが実感できる教会堂でした。

  • 田平から平戸大橋を通って

    田平と平戸島をつなぐ平戸大橋。今回は、平戸大橋を通って2つの教会を訪ねてみました。どちらも明治中期からの信徒の移住によって創設された教会です。教会めぐりの合間に、平戸瀬戸を眺めながら、おいしいランチをいただきます。

  • 開拓地に建つレンガの教会堂

    今回は、鉄川与助の教会建築の集大成とも言われる田平天主堂を訪ねました。天主堂が建つ瀬戸山地区は、1886年以降、黒島や外海から移住した信徒たちによって開拓された場所です。

  • 鳥が羽ばたく姿の教会堂へ

    今回は佐世保市の中里皆瀬地区へ。江戸時代は平戸往還の中里宿が置かれ、賑わった場所です。明治以降は炭鉱が栄え(昭和中期に閉山)、住宅地の開発が進んだことで、キリスト教信徒も多く移住。1970年に地区の高台に皆瀬教会堂が建てられました。

  • 鄭成功と川内かまぼこ

    宝亀(ほうき)教会堂から川内(かわち)地区へ。鄭成功(ていせいこう)記念館を訪れたあと、名物の川内かまぼこを買って千里ヶ浜(せんりがはま)に向かいます。平戸(ひらど)の海は美しく、陽差しを浴びてキラキラと輝いていました。

  • 心なごむ宝亀教会堂

    マタラ神父の墓がある田崎(たさき)の墓地から宝亀(ほうき)教会堂へ。メルヘンチックな外観とパステルカラーが印象的な堂内、そして建設当時からのこる貴重なステンドグラス・・・。宝亀教会堂の魅力を満喫しました。

  • 紐差教会堂から田崎愛苦会跡地へ

    根獅子(ねしこ)の浜から紐差(ひもさし)教会堂へ、そして紐差修道院の前身である田崎愛苦会(あいくかい)跡地を訪れました。森の中にのこる古い石垣やさびた金属製の扉が往時をしのばせます。

  • 根獅子にのこる言い伝え

    根獅子(ねしこ)教会跡、ルルドのマリア様、昇天石(しょうてんせき)など、根獅子にあるキリシタン関連史跡にはいくつもの言い伝えがのこされています。それは信仰を守り続けてきたキリシタンの里としてのあかしでもあるのです。

  • ウシワキの森とチチャの木

    平戸(ひらど)市切支丹(きりしたん)資料館を出たあと、根獅子(ねしこ)の浜の昇天石(しょうてんせき)で殉教した人々の遺体をまつったウシワキの森へ。そして母子の悲しい殉教の物語が息づくチチャの木へ向かいました。

  • 平戸市切支丹資料館からスタート

    平戸(ひらど)市根獅子(ねしこ)地区にある平戸市切支丹(きりしたん)資料館。ここには平戸のキリスト教の歴史をはじめ、かくれキリシタンの信仰を物語る数多くの資料が展示されています。この日は夏休み期間中とあって家族連れの姿もありました。海水浴帰りかな。

  • 野崎集落跡を探訪する

    旧野首(のくび)教会から野崎(のざき)集落跡へ。廃村になった集落跡、神官屋敷跡を訪ねたあと、自生する芝生(しばふ)におおわれた草原で出会ったのは野生シカと集落の人々のお墓でした。

  • 野首集落跡にもどる

    舟森(ふなもり)集落跡を散策したあと、急な斜面をのぼって里道へ。行きとは反対にくだりが多いので助かりました。やがて見えてきたのは野首(のくび)海岸、そして旧野首教会。

  • 舟森集落跡を散策する

    足元に気をつけながら急な斜面をおりて舟森(ふなもり)集落跡を散策。小学校の分校跡、教会跡、炊事場跡やさまざまな品々・・・。50年前の暮らしが想像とともによみがえってきます。

  • 野首集落跡から舟森集落跡まで

    旧野首(のくび)教会から険しい山道に入り、のぼりが続く里道をひたすら歩く。息を切らしながら、道しるべに助けられながら約1時間30分、ようやく舟森(ふなもり)集落跡に到着しました。

  • 海をわたり野崎島へ

    笛吹(ふえふき)港から町営船で野崎(のざき)島へ。野崎港から集落跡を通って山道を歩いて行くと、階段状に連なる草原の向こうに、ひとり取り残されたように建つ煉瓦(れんが)造りの教会が見えてくる。旧野首(のくび)教会——その姿は美しくいとおしい。

  • まち歩きを楽しみ、古民家でくつろぐ

    小値賀(おぢか)歴史民俗資料館で野崎(のざき)島のキリシタンの歴史を学び、まち歩きを楽しんだあとは、古民家でゆっくりとくつろぐ。明日は野崎島へ。旧野首(のくび)教会、舟森(ふなもり)集落跡を訪れます。

  • 神島神社、唐見崎をめぐる

    小値賀(おぢか)教会から東へ向かい、700年代に造られたといわれている神島(こうじま)神社、さらに足を伸ばして唐見崎(からみざき)へ。受け継がれてきた島の歴史と文化を堪能しました。

  • 斑島から小値賀教会へ

    佐世保(させぼ)港からフェリーで小値賀(おぢか)島へ。火山でできた島ならではの美しい風景と独自の生活文化にふれながら小値賀教会に向かいます。

  • 平戸口で旬を味わう

    殉教地「焼罪」を訪れたあと、たくさんの食堂が軒を連ねる平戸口へ。新鮮な食材が揃った平戸瀬戸市場でお土産を買って、冬の海を眺めながら旬のグルメを楽しみました。

  • 笑顔の漁師まち

    じっくり歩いてみると、舘浦はほんとうに興味深い。風情あるまちなみや、心やすらぐ風景もそうだが、行き交うお年寄りの笑顔がとても印象的。海から吹く風は冷たくても、通りは温かな人情にあふれています。

  • 迷いながら舘浦あるき

    路地から路地へ歩いていくと、昭和の時代を感じさせる懐かしい通りが現れます。角を曲がれば、お寺があったり、大きな観音様がそびえていたり・・・。漁師まちは出会いがいっぱい。なんだか気持ちがゆったりとしてきます。

  • ガスパル様から山田教会、焼山へ

    大きな十字架がそびえる黒瀬の辻、そのそばにある殉教地ガスパル様、ガスパル様の松で作った十字架がある山田教会、そして殉教地焼山へ。生月の生活文化にふれながら心の旅は続きます。

  • ダンジク様の物語

    「行きはヨイヨイ、帰りはコワイ」とはこのことでした。海岸沿いにある殉教地までは「急激」とは言っても下り坂。帰りはその逆だから、とにかく登る登る、また登る。息は切れるし、足は上がらない。つくづく年齢を感じた旅でした。でも、訪れてよかった・・・。

  • 「島の館」で生月を知る

    史跡めぐり、まち歩きの前に立ち寄っていただきたいのが平戸市生月(いきつき)町博物館「島の館」。捕鯨やかくれキリシタンの歴史、島の農業や漁業の姿など、生月の魅力にふれてまちに繰り出せば、楽しさ倍増です!

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