おらしょ こころ旅

県央・西彼

コルベ神父の心が息づくまち

2017年3月29日 公開

ぶらり旅(127)コルベ神父の心が息づくまち_ph6

諫早教会堂から湯江教会堂、そして小長井教会堂へ。多良岳のふもとにある教会や修道院には、長崎市本河内を拠点に布教活動を続けたコルベ神父の愛の心が息づいていました。

ルート紹介を見る
ルート紹介
諫早教会堂

諫早市はもともと佐賀藩諫早領だったことから信徒数はあまり多くなかったというが、移り住んだ信徒たちの熱意によって立派な教会堂が誕生した。敷地内には季節を告げる梅の花が咲いていた。

住所 諫早市天満町32-17
電話番号
URL
料金
営業時間
休日
30分
養護老人ホーム聖フランシスコ園

1960年、コンベンツアル聖フランシスコ修道会が諫早市高来町にある小高い丘につくった養護老人ホーム聖フランシスコ園。ここから右に曲がった奥に湯江教会堂と修道院がある。

住所 諫早市高来町神津倉41-1
電話番号
URL
料金
営業時間
休日
徒歩 2分
湯江教会堂

養護老人ホームの裏手にまわると湯江教会堂があった。教会の入口にそびえる鐘楼はヨハネ・パウロ2世の来崎を記念してつくられたもので、ローマから鐘を取り寄せ、1982年12月に完成したという。

住所
電話番号
URL
料金
営業時間
休日
徒歩 すぐ
コルベ神父像

鐘楼の下には、長崎市本河内を拠点に布教を続けたコルベ神父の像が建っている。これはコルベ神父が1982年にヨハネ・パウロ2世によって聖人に列せられたのを記念してつくられたもの。長崎市本河内で見た像よりも少しふっくらとしている。

住所
電話番号
URL
料金
営業時間
休日
20分
小長井教会堂(1)

1953年にコンベンツアル聖フランシスコ修道会が全国の戦災孤児を救済するためにつくった「聖母の騎士園」。その職員などを対象として建てたのが小長井教会堂である。民家風のたたずまいが親しみを感じさせる。

住所 諫早市小長井町遠竹2747
電話番号
URL
料金
営業時間
休日
徒歩 すぐ
小長井教会堂(2)

教会堂の横には何本もの梅の木が植えられていて、ここでも可憐な花が出迎えてくれた。もうすぐ本格的な春、暖かな日差しを浴びながら教会をめぐる小さな旅に出かけてみませんか。

住所
電話番号
URL
料金
営業時間
休日
徒歩

同じエリアのコース

  • 太田和から海岸沿いを歩いて横瀬浦へ

    太田和から横瀬浦までは歩いて約2時間。長距離ではありますが、大島大橋を眺める海岸線などは西海の絶景を楽しめるコースです。日本初のキリシタン大名・大村純忠が長崎よりも早く開港したのが横瀬浦港。この波静かな小さな入り江にかつて南蛮船が来航し、教会が建ち...

  • 中浦ジュリアンゆかりの地を通って太田和港へ

    キリシタン大名・大村純忠の名代として14歳の若さで天正遣欧使節の一人としてローマに渡った中浦ジュリアン。しかし、華々しいローマでの歓迎ぶりとは裏腹に、帰国後の日本は禁教政策に入り、悲しい運命をたどります。今回はそんなジュリアンの生誕地である中浦地区...

  • 小佐々氏墓所から七ツ釜港へ

    西彼杵半島はかつては大村純忠の領地であり、キリスト教が栄えた場所。およそ14歳の若さで天正遣欧使節の一人としてローマに渡った中浦ジュリアンは、西海市中浦に本拠地を置く小佐々氏の一族と言われています。小佐々氏(小佐々水軍)は戦国時代にこの一帯を治めてい...

  • 神浦から角力灘の眺望が美しい大瀬戸町雪浦へ

    今週から世界遺産巡礼の道Ⅳ「キリシタン大名と少年使節の道」をぶらりと歩きます。神浦地区は、外海地区で最初にキリスト教が栄えた場所。城主が1571年に受洗すると、たちまちキリスト教が栄え、教会堂はもちろんレジデンシア(支部修道院)が設置された時期もあったそ...

  • 高城回廊を通ってドラードさんの元へ

    戦国時代に築造されたという桃山様式の大名庭園が残る諫早市の高城回廊は市役所、高城公園、諫早公園周辺を一周する約1.3キロの情緒豊かな散策路。特に夏は樹木が日差しを妨げ、涼しくおすすめの場所です。今回はそんな高城回廊を歩いて、諫早市図書館にあるコンスタ...

  • 川棚川の遊歩道を通って、マルチノのふるさと波佐見へ

    川棚川は、佐賀県・長崎県境の桃ノ木峠を水源とし、大村湾に注ぐ二級河川で、流域は川棚町から波佐見町まで延び、周囲には田畑を望む川沿いには遊歩道が整備されています。今回は、その遊歩道を通って川棚から波佐見まで歩いてみました。波佐見は天正遣欧使節の原マ...

  • 川棚に残るキリシタン墓碑と戦時遺構を訪ねる

    激しい弾圧の中にあっても奇跡的に残った川棚町のキリシタン墓碑。今回は、キリシタン墓碑を訪ねたあと、2つの戦時遺構に足をのばしてみました。太平洋戦争時代、海軍工廠が建てられた川棚には、今も町内のあちこちに戦争の歴史を伝えるスポットがあり、特攻殉国の...

  • くじゃく園から川棚教会堂へ

    長崎県のほぼ中央に位置し、波静かな大村湾に面した川棚町。大村湾に大きく突き出た大崎半島は、付近に小島が点在して屈曲に富み、県立自然公園に指定される風光明媚なところで、キャンプ場や海水浴場、温泉のほか、県下唯一のくじゃく園があることでも知られていま...

  • 中浦ジュリアンの故郷でいただく、ジュリアンアイス

    中浦ジュリアンは有馬のセミナリヨで学び、伊東マンショ、千々石ミゲル、原マルチノらとともに天正遣欧使節に選ばれ、1582年にヨーロッパへと海を渡りました。ジュリアンはヨーロッパの記録で、中浦の領主(大村氏の家臣・小佐々氏の一族)の子とあり、「館」とよば...

  • 純忠が晩年を過ごした館跡から本経寺へ

    純忠は日本で最初のキリシタン大名となり、洗礼名をドン・バルトロメオといい、亡くなるまで敬けんなキリスト教信徒でした。晩年は、「坂口館」という大村家の館で、病とたたかいながらも、信仰の生活を送り、1587年に55歳の生涯を閉じました。本経寺は大村家の菩提...

  • 「三城七騎ごもり」の舞台、三城城跡

    戦国時代、大村純忠が築いたとされる三城城。1572年、武雄の後藤氏、諫早の西郷氏、平戸の松浦氏の1500人の連合軍から突如城を攻撃されるも、城にいた7人の武将と女、子どもら70余名の大奮闘で勝利しました。この出来事は「三城七騎ごもり」として語り継がれています...

  • マリナ伊奈姫の墓参りのあと、ガラスの砂浜へ

    伊奈姫は、大村純忠の娘(洗礼名マリナ)で、家臣の浅田家に嫁ぎました。弾圧が激しくなると、浅田氏は大村藩の領地だった琴海の戸根に日蓮宗寺を装った庵をつくり、伊奈姫はそこで密かに宣教を行っていたと伝えられています。今回は、伊奈姫の墓を訪れたあと、天正...

  • 獄門所跡から首塚、胴塚へ

    大村市内にある殉教地の多くは、1657年(明暦3)、大村で603人の潜伏キリシタンが見つかった大事件「郡崩れ」に関係した場所です。今回訪ねた3ヶ所も、郡崩れで捕らえられて殉教した131人の処刑後の悲惨な出来事を今に伝えています。当時のキリシタン弾圧の厳しさを...

  • 放虎原殉教地から水主町教会堂へ

    3月は、日本初のキリシタン大名「大村純忠」の拠点であった大村の地を5週に渡ってご紹介します。純忠がキリシタンになったことで大村では領民のほとんどが信徒でしたが、徳川幕府のキリスト教禁止令(禁教令)によって、信徒たちは厳しい弾圧を受けることになりまし...

  • 26聖人を偲び浦上街道をぶらり(2)大クスからサンタ・クララ教会跡へ

    時津から浦上を通り長崎まで続く、長崎街道の脇街道と言われる浦上街道(別名:時津街道)。江戸時代の中頃まで大いに利用され、様々な人々が往来しました。なかでも最も有名なのが二十六聖人です。当時、時津村から浦上村を通って長崎村西坂までの距離は3里(約12km...

  • 26聖人を偲び浦上街道をぶらり(1)時津港から茶屋跡へ

    豊臣秀吉の命によって長崎の西坂で日本二十六聖人が処刑されたのは1597年2月5日、旧暦で言えば慶長元年12月19日。先週ご紹介した東彼杵町の彼杵浦から舟に乗せられた一行は時津港に着き、翌朝、西坂を目指して歩きました。今月は26聖人の一行が歩いた浦上(時津)街道...

  • 夕暮れの日本二十六聖人乗船地

    長崎街道の中でも彼杵宿は平戸街道への分岐点として重要な役割を担っていました。豊臣秀吉の命により京都で捕らえられた日本二十六聖人の一行は、処刑される前日、東彼杵の海岸から船で時津に向かいました。その地は今も悲しい歴史に思いを馳せる大切な場所として記...

  • のどかな波佐見の風景とキリシタン墓碑

    波佐見地区の潜伏キリシタンは、1865年の郡崩れを機にほとんど消滅したと考えられていますので、現在、波佐見町に残るキリシタン墓碑はそれ以前のものと推定されています。紅葉が目立ち始めた秋の日、波佐見町ののどかな山里にあるキリシタン墓碑をたずねました。

  • 崖穴から見つかった「INRI」銘入りの自然石

    波佐見町のキリシタンに関する歴史資料は非常に少なく、原マルチノが波佐見町出身だという根拠もローマにある資料に「肥前国ハサミの首長の子」と書かれていることが由来になっています。しかし、町内で発見されたというキリシタンの遺物を見ると、紛れもなく波佐見...

  • 後ろ姿も凛々しい原マルチノ像

    波佐見町は、布教当時は大村藩の中でもキリシタンが多い村でした。その後の弾圧でキリシタンは姿を消してしまい、現在は教会堂などはありませんが、波佐見出身で天正遣欧使節の一員としてローマに渡った原マルチノの銅像が立てられ、キリスト教の歴史を伝えています。

  • 横瀬浦の往時をしのぶ散歩道

     実は長崎よりも早く南蛮貿易港として栄え、キリシタンの町となった横瀬浦。開港からわずか1年後に焼き討ちにあい消滅してしまいましたが、それがなければ、もしかしたら横瀬浦が後に日本のキリスト教の拠点となる長崎だったかもしれません。横瀬浦を歩くと、そんな...

  • フロイスゆかりの横瀬浦公園

     約420年前、平戸の次に南蛮貿易港となった横瀬浦は、「日本史」の著者としても知られる宣教師ルイス・フロイスが日本に降り立った最初の地でもあります。開港と同時にキリシタンの町となり、現在の横瀬浦公園がある場所にはりっぱな天主堂があったといわれています。

  • かつての南蛮貿易港、横瀬浦へ

     1562年、平戸にかわって南蛮貿易港となったのが横瀬浦。教会が建てられ、港は「聖母の港」と呼ばれるようになり、大村純忠はこの地で家来と共に受洗しました。残念ながらその繁栄は1年で終わってしまいましたが、横瀬浦を訪ねると今も歴史の面影をあちこちで感じる...

  • 大村の殉教地をめぐる

     江戸時代になると、徳川幕府はキリスト教の信仰を禁止し、大村藩もキリシタンに厳しい弾圧を行いました。しかし、かつてキリシタン大名が支配した大村には多数のキリシタンが存在し、彼らの中には禁教後も隠れて信仰を続ける人も多くいました。1657年に起きた潜伏...

  • 大村家の菩提寺へ

     大村市には大村純忠に関するスポットはもちろん、大村家に由来する文化財も多く点在します。大村家の菩提寺である本経寺もその一つで、大きな墓は大村家がキリシタンをやめ、仏教徒になったことをアピールするためともいわれています。本経寺の見学後、江戸時代の...

  • 大村純忠の居城跡へ

     大村純忠は、島原の有馬家から養子として大村家に迎えられ、大村家の領主となると、横瀬浦、福田、そして長崎を開港して南蛮貿易を行いました。また、日本初のキリシタン大名となり天正遣欧少年使節の派遣など歴史に残る多くの事業を行いました。今回は大村市で、...

  • ミライon図書館へ

     2019年10月に大村市にオープンした「ミライon図書館」。県立・市立一体複合型図書館で、都道府県と市町村が共同運営する図書館としては日本で2例目という、まさに公共施設の未来を感じる運営スタイル。今回は、図書館に併設されている大村歴史資料館を訪ねてみまし...

  • 「INRI」と刻まれた墓碑

    西海市西彼町平原にあるキリシタン墓碑は、平原を開拓した相川家一族の先祖で、 相川勘解由左衛門慰藤原義武の墓碑といわれています。相川勘解由は大村藩の家令で、松浦氏の家臣で形上一帯を領した武将 。西彼町キリシタン墓碑は、もともと形上にありましたが、子孫...

  • 海を望む天正遣欧使節像

    戦国時代、日本人として初めてヨーロッパに公式に派遣され、ローマ法王に謁見した天正遣欧少年使節。今年1月には彼らの物語が初めて実写ドラマ化され世界に発信されました(Amazon Prime Videoで配信)。今回は、改めて大村市にある天正遣欧少年使節像を訪ね、彼らの功...

  • 本明川を散歩して教会堂へ

    諫早は佐賀藩だったこともあり、歴史的にはキリスト教は根付いていませんが、昭和に入り宅地開発がされニュータウンができたことで信徒の数も増え、1932年に諫早小教区が創立され、1983年に現在の聖堂が改築・献堂されました。諫早の中心部の高台にあり、敷地からは...

  • 諫早公園とドラード像

    諫早市は旧佐賀藩諌早領であり、大村藩の大村市や有馬領の島原地方に比べてキリスト教の足跡が少ない土地柄です。しかし、キリスト教が繁栄した16世紀、諫早生まれの15歳の少年ドラードが天正遣欧少年使節に随行したという歴史が伝えられています。今回は、新緑の諫...

  • 聖フランシスコが見守る教会堂

    今週は諌早市高来町へ行ってきました。先週の小長井教会堂と同じく、多良岳の中腹の風光明媚な地に修道会と修道会が設立した社会福祉施設などがあり、その中に湯江教会堂があります。主に施設の利用者と職員のための教会堂で、見学に訪れたときも堂内では熱心にお祈...

  • 山茶花高原と小長井教会堂

    自然豊かな諌早市を代表する多良岳。その中腹に位置する山茶花高原の近くには、カトリックの修道院や福祉施設、教育施設が集まったエリアがあり、その中に小長井教会堂があります。春の心地よい日差しと爽やかな風を感じながら、小長井町に足をのばしました。

  • オリーブの町の教会堂へ

    まちの中心を穏やかな長与川が流れ、山にはみかん畑が広がる風光明媚な長与町。長崎のベッドタウンとして発展し、今では県下で最も人口の多い町となりました。信徒数も多く、町の中心部に素晴らしいステンドグラスを備えた立派な教会堂が建っています。

  • 時津の歴史スポットと教会堂

    時津町は、かつては船待ちの港として栄えた古い港町。長崎街道の脇街道である時津街道が通り、たくさんの人や物が行き交いました。1970年代になると湾岸を中心に工場誘致が進み、また長崎市のベッドタウンとしても人口が増加。そのため滑石小教区の巡回教会として時...

  • 鷹島殉教地を眺める海岸

    時津港沖に浮かぶ鷹島は、1617年にドミニコ会の2人の神父が処刑された地です。宣教師たちの日本再潜入に火をつけた殉教といわれています。2人の神父は共に206福者となっています。今回は、その鷹島を最もよく眺められるスポットへ行ってみました。

  • 三浦海岸を通って鈴田牢跡へ

    禁教期にはキリシタンが収容された牢屋が各地にありましたが、大村市の鈴田牢は、周囲も天井も竹の柱で囲まれた鳥籠のような部屋で、広さは奥行6.6m、間口4.6m、横に寝ることも身動きさえ自由にはできなかったと伝えられます。

  • 郡崩れゆかりの仏の谷

    1657年、大村領内で「郡崩れ(こおりくずれ)」という事件が起こりました。郡村を中心にキリシタン608人が捕らえられ、取り調べ中に78人が死亡、20人が永牢(終身刑)、411人が斬首という厳しい処罰が下されました(人数については諸説あり)。今回はその発端となっ...

  • 大村純忠終焉の地から植松教会堂へ

    バルトロメウという洗礼名を持った大村の領主・大村純忠。長崎に港を開き、キリシタンの町を作り、戦いに明け暮れた純忠。晩年は、病に伏せ、大村の地で静かに祈りの毎日を過ごしたと言われています。今回は純忠の終焉の地と植松教会堂を訪ねてみました。

  • 大村で最初の殉教地へ

    日本初のキリシタン大名・大村純忠の拠点であった大村は、領民のほとんどがキリシタンでした。そのため、禁教令が出されても信仰を守り続ける人が多く、殉教者もたくさん輩出しています。今回は、郡崩れ以前の歴史をたどってみました。

  • 大島大橋を渡って(2)

    前回は大島の中心部をぶらっとしましたが、今回は島の西側の静かな漁師町にある太田尾教会堂をめざします。太田尾漁港付近から細い坂道をのぼった先にある美しい教会堂で、設計者は不明ですが、堂内の造りに特徴がある見応えのある教会堂です。

  • 大島大橋を渡って(1)

    大島のキリスト教の歴史は、文政年間(1820年頃)に外海地方の潜伏キリシタンが移住してきたことに始まりますが、解禁後にカトリックに復帰する人は少なく、少数の信徒が家御堂で礼拝行事を行っていました。ようやく信徒が増え、教会堂が創建されたのは昭和になって...

  • 中浦ジュリアンの故郷へ

    天正遣欧少年使節の一人、中浦ジュリアン。現在の西海市中浦に生まれ、有馬のセミナリヨで学んだあと、天正遣欧少年使節の副使に選ばれて渡欧。ヨーロッパ各地で大歓迎を受けたものの、帰国後は波乱
    の人生が待ち受け、最後は西坂で殉教しました。今回はジュ...

  • R202を通って大瀬戸へ

    長崎から海沿いを走る国道202号線は、サンセットオーシャン202と呼ばれる人気のドライブルート。天気の良い日は、海の向こうに、かつて潜伏キリシタンが新天地を求めて移り住んだ五島列島が望めます。今回はR202を通って大瀬戸をめざします。

  • 天正遣欧使節に同行した諫早生まれの少年

    今週と来週の2回は早春の諫早市をめぐる旅。1回目は、新鮮な野菜や海の幸が揃った農家直売所を起点に諫早図書館にあるコンスタンチノ・ドラード像、そして諫早教会堂に建つ聖パウロ三木像に出会いました。

  • 「じんざえもん焼」を味わって時津教会堂へ

    農産物から民芸品、実用品まで多彩な商品が揃った農産直売所を訪れ、「じんざえもん焼」というおいしい回転焼を味わい、時津(とぎつ)教会堂に向かいました。

  • キリシタン墓碑から川棚教会堂

    常在寺(じょうざいじ)の墓地のさらに奥にある川棚(かわたな)町キリシタン墓碑を訪れたあと、戦後、海軍工廠(こうしょう)の払い下げを受けてつくられた川棚教会堂に向かいました。川棚町はキリシタンの史跡だけではなく、戦争の歴史が色濃くのこる町でした。

  • 川棚町キリシタン墓碑へ

    東彼杵(ひがしそのぎ)町から川棚(かわたな)町へ。常在寺(じょうざいじ)の水琴窟(すいきんくつ)の美しい音色を聞いたあと、参道を通ってキリシタン墓碑をめざします。たよりは目的地までの距離を示した案内板。果たしてどんなところに墓碑はあるのでしょうか。

  • 古い建物を活かす東彼杵のまちづくり

    キリシタン墓碑の近くにあったおしゃれなコミュニティスペース、そしてレトロなたたずまいを活かした千綿(ちわた)駅の新たな取り組み。古いものと新しいものが交差する東彼杵(ひがしそのぎ)町の「今」にふれたような気がしました。

  • 季節を告げる緑の茶畑

    日本二十六聖人乗船場跡から大村(おおむら)湾を一望する茶畑へ。産地ならではのおいしいお茶を味わい、緑豊かなすばらしい風景を堪能しました。

  • 日本二十六聖人の足跡を訪ねて

    東彼杵(ひがしそのぎ)町の観光・物産の拠点、彼杵の荘(しょう)から日本二十六聖人乗船場跡へ。長崎(ながさき)街道の彼杵宿として栄えた町に残る殉教者の足跡を訪ねます。

  • 二つのキリシタン史跡を訪ねて

    西海橋(さいかいばし)公園から車を走らせ、二つのキリシタン史跡へ。ひとつは迷ってしまい、遠くから眺めることに。もうひとつは道しるべのおかげでスムーズに到着。ぶらり旅はうまくいったりいかなかったり・・・。

  • 横瀬浦から西海橋公園へ

    上町(うわまち)跡・下町(したまち)跡から長崎甚左衛門純景(ながさきじんざえもんすみかげ)居宅跡へ、そして思案橋(しあんばし)跡、丸山(まるやま)跡と南蛮貿易港時代の横瀬浦(よこせうら)を堪能したあとは、うず潮の季節を迎える西海橋(さいかいばし)...

  • 南蛮船来航の地、そして上町跡・下町跡

    八ノ子島(はちのこじま)が見える防波堤から港沿いに車を走らせ、南蛮船来航の地へ。貿易港として繁栄した時代に想いをはせながら、静かな上町(うわまち)跡、下町(したまち)跡をめぐりました。

  • 横瀬浦公園から八ノ子島へ

    横瀬浦(よこせうら)公園から車で岬のほうに移動。西海(さいかい)市の人気のスポット、船番所(ふなばんしょ)で昼食をいただいたあと出会ったのは白い十字架が立つ八ノ子島(はちのこじま)でした。

  • 繁栄の歴史を物語る横瀬浦公園

    横瀬浦(よこせうら)が南蛮貿易港として繁栄したのは開港からわずか1年あまり。まちを見おろす小高い丘にはその歴史が今も息づいています。

  • 南蛮船来航の地、西海市横瀬浦

    西海(さいかい)市の情報発信地であるみかんドームを皮切りに、地元ならではの特産品直売所やお菓子屋さんに立ち寄り、南蛮船来航の地となった横瀬浦(よこせうら)をめざします。

  • 迫害の歴史をたずねて

    放虎原殉教地から妻子別れの石へ。道に迷いながらも続く史跡めぐり。キリシタン弾圧の壮絶で悲しい歴史が胸に迫ってくる。

  • 迷いながら殉教地へ

    大村家の墓所がある本経寺を訪れたあとは、道に迷いながら行ったり来たり・・・。ようやく獄門所跡、放虎原殉教地へたどり着きました。ふーっ!

  • 歩いたあとの楽しみは・・・

    富松神社から三城城跡、宝生寺跡をめぐり、また踏み切りを越えてバスターミナルビルの前に。歩いたあとの楽しみはやはりおいしい昼ごはんでした。

  • 城下町の歴史を感じる

    なんとなく歩きはじめたものの、気が付けば線路を越えてお寺や神社をめぐることに。初めて訪れた格式あるそのたたずまい・・・。城下町ならではの歴史が息づいています。

  • 史料館からはじまる大村散策

    少しずつ春の訪れを感じる季節。ゆるやかな陽射しに誘われて大村市にやってきました。今回ものんびりとまちなみを楽しみながら、ぶらり旅がはじまります。

一覧へ戻る
トップ