おらしょ こころ旅

Casual excursion

Center of Nagasaki Prefecture/Western Nagasaki Prefecture

放虎原殉教地から水主町教会堂へ

2021.3.3

3-1-3

3月は、日本初のキリシタン大名「大村純忠」の拠点であった大村の地を5週に渡ってご紹介します。純忠がキリシタンになったことで大村では領民のほとんどが信徒でしたが、徳川幕府のキリスト教禁止令(禁教令)によって、信徒たちは厳しい弾圧を受けることになりました。今回は、大村市の数ある殉教地の中で最も有名な放虎原殉教地を訪ねます。

Route introduction

Route

梅園(1)

住所
電話番号
URL
料金
営業時間
休日
Walk すぐ
梅園(2)

住所
電話番号
URL
料金
営業時間
休日
Car 1分
放虎原殉教地(1)

住所
電話番号
URL
料金
営業時間
休日
Walk すぐ
放虎原殉教地(2)

住所
電話番号
URL
料金
営業時間
休日
Walk すぐ
放虎原殉教地(3)

住所
電話番号
URL
料金
営業時間
休日
Walk すぐ
放虎原殉教地(4)

住所
電話番号
URL
料金
営業時間
休日
Car 10分
水主町教会堂(1)

住所
電話番号
URL
料金
営業時間
休日
Walk すぐ
水主町教会堂(2)

住所
電話番号
URL
料金
営業時間
休日
Car 5分
ランチ

住所
電話番号
URL
料金
営業時間
休日
Walk

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    今回は巡礼路23「琴の海を眺めながら、長崎街道の宿場を歩く」をぶらり。川棚駅前をスタートし、美しい大村湾を眺めながらゴールの千綿駅をめざす約12キロのコースで、アップダウンが無く、比較的楽に歩けます。長崎街道の彼杵宿がある東彼杵町は風情ある海沿いの町...

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    今回は巡礼路22「天正遣欧使節、原マルチノのふるさと波佐見を歩く」の後半をご紹介。西の原地区にある登録有形文化財、旧波佐見町立中央小学校講堂兼公会堂を見学後、波佐見町の潜伏キリシタンの歴史を物語る十字架入りの遺物を見学し、ゴールの川棚駅をめざします。

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    今回も「キリシタン大名と少年使節の道」をテーマに歩きます。世界遺産巡礼の道の巡礼路19、道の駅さいかいみかんドームから西海橋公園までのコースです。キリシタンの史跡などは残っていませんが、かつてはキリシタン大名、大村純忠が支配していた地。海あり山あり...

  • 日本初のキリシタン大名が誕生した地を歩く

    前回に引き続き、「キリシタン大名と少年使節の道」をテーマに西海市方面を歩きます。今回は世界遺産巡礼の道の巡礼路18、大田和から木場までのコース。その間には日本初のキリシタン大名、大村純忠が受洗した地でもあり、かつて南蛮貿易港として栄華を極めた横瀬浦...

  • 西海の美しい風景を眺めながらジュリアンの生誕地を目指す

    今月から「キリシタン大名と少年使節の道」をテーマに西海市方面を歩きます。天正遣欧使節の副使、中浦ジュリアンは小佐々水軍の一族で、ふるさとは西海市中浦地区です。今回は世界遺産巡礼の道の巡礼路17に沿って、神浦を出発して、西海の美しい風景を眺めながらジ...

  • 諫早教会堂から、ハスの花咲く唐比へ

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  • 諫早の眼鏡橋周辺で水と緑と歴史にふれる

    優美な眼鏡橋が架かる諫早公園は15世紀後半に西郷氏が築城した高城(諫早城)があった場所で、1587年から明治維新までは龍造寺氏(後の諫早氏)の居城でした。頂上(本丸跡)に茂る巨大クスノキは樹齢800年と言われており、築城時から諫早を見守っています。今回は諫早公園...

  • 大神宮に参拝して、鈴田峠の古道を歩く

    長崎街道の中でも難所に一つといわれる鈴田峠は、大村領と諫早領との境の峠で、今でも当時の景観を残している道として、文化庁の「歴史の道百選」に選ばれています。駕籠立場跡や藩境石など、当時の街道の面影が残る史跡を探訪できます。

  • 水主町教会で祈りを捧げ、大村宿から鈴田番所跡と一里塚跡へ

    かつてキリシタン大名・大村純忠の領地であった大村。市内には2つのカトリックの教会堂があり、中心部にあるのが水主(かこ)町教会堂で、アーケードの入口付近からも神々しい十字架を眺めることができます。今回は水主町教会堂を出発し、本陣跡や五色塀の草場小路など...

  • 花菖蒲が咲く大村公園から武家屋敷通りの大村牢跡へ

    大村市内にはキリシタン弾圧に関係するスポットがいくつもありますが、今回訪れた大村牢跡もそのひとつです。本小路を歩いた先にあるので「本小路牢」とも呼ばれ、1648年(慶安元)3代藩主大村純信の時に長崎奉行からの要請で、異国の囚人や特別に幕府の指令によって捕...

  • 大村キリシタンの歴史をたどって、天正夢広場へ

    前回から引き続き、大村のキリシタンゆかりの地をめぐりました。白亜の聖母像がたたずむ獄門所跡と放虎原殉教地を訪れたあと、大村家の菩提寺、本経寺へ。その後、大村純忠らがローマに派遣した天正遣欧少年使節がモチーフとなった天正夢時計を眺めながら、450年の歴...

  • 長崎街道の松原宿を散策し、郡崩れゆかりの地へ

    今回は東彼杵町の有名駅舎「JR千綿駅」を出発し、大村市の松原宿を経由し、郡崩れゆかりの首塚や胴塚、獄門所跡などを訪ねます。長崎街道の宿場町として栄えた松原宿は建物や神社、史跡などに今でもその面影を残していて、歩くのも楽しい通りです。

  • 川棚から長崎街道の交差点・彼杵へ

    今回は川棚駅近くの城山公園からスタートし、国道205号を東彼杵町方向へ歩くコースです。“琴の海”と呼ばれる波穏やかで美しい大村湾を間近で感じる道や、かつて長崎街道の宿場町の面影を残す彼杵港周辺などを歩き、今から450年ほど前、日本二十六聖人が時津に向けて...

  • 波佐見ミュージアムでキリシタンゆかりの品を鑑賞

    天正遣欧少年使節の一人としてローマに渡った原マルチノのふるさと、波佐見。かつてはキリスト教が栄えましたが、今はその面影は無く、全国屈指のおしゃれな焼き物の里として、魅力ある施設やショップが続々オープンしています。今回はそんな波佐見に昨年オープンし...

  • 平戸街道を通って川棚のキリシタン墓碑へ

    平戸街道は、県北の山間にひっそりと続く道で、平戸藩の殿様が参勤交代の折に歩いたことから、地元では「とんさんみち」とも呼ばれています。山中には特に目印もないので、各所に設置された案内板が頼りに歩きましょう。川棚に出たら、キリシタン墓碑のある常在寺ま...

  • 横瀬浦から、みかんドームへ

    前回から引き続き、キリシタンの歴史が残る横瀬浦を散策したあと、西海市のグリーン・ツーリズムの拠点にもなっている道の駅「さいかいみかんドーム」をめざして歩きます。その途中には、波穏やかな大村湾やみかん畑が連なる風景、佐世保市にそびえる戦争遺構の一つ...

  • 太田和から海岸沿いを歩いて横瀬浦へ

    太田和から横瀬浦までは歩いて約2時間。長距離ではありますが、大島大橋を眺める海岸線などは西海の絶景を楽しめるコースです。日本初のキリシタン大名・大村純忠が長崎よりも早く開港したのが横瀬浦港。この波静かな小さな入り江にかつて南蛮船が来航し、教会が建ち...

  • 中浦ジュリアンゆかりの地を通って太田和港へ

    キリシタン大名・大村純忠の名代として14歳の若さで天正遣欧使節の一人としてローマに渡った中浦ジュリアン。しかし、華々しいローマでの歓迎ぶりとは裏腹に、帰国後の日本は禁教政策に入り、悲しい運命をたどります。今回はそんなジュリアンの生誕地である中浦地区...

  • 小佐々氏墓所から七ツ釜港へ

    西彼杵半島はかつては大村純忠の領地であり、キリスト教が栄えた場所。およそ14歳の若さで天正遣欧使節の一人としてローマに渡った中浦ジュリアンは、西海市中浦に本拠地を置く小佐々氏の一族と言われています。小佐々氏(小佐々水軍)は戦国時代にこの一帯を治めてい...

  • 神浦から角力灘の眺望が美しい大瀬戸町雪浦へ

    今週から世界遺産巡礼の道Ⅳ「キリシタン大名と少年使節の道」をぶらりと歩きます。神浦地区は、外海地区で最初にキリスト教が栄えた場所。城主が1571年に受洗すると、たちまちキリスト教が栄え、教会堂はもちろんレジデンシア(支部修道院)が設置された時期もあったそ...

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  • 長崎街道の彼杵宿と千綿宿をぶらり

    彼杵宿と千綿宿は、どちらも波静かな大村湾沿いにあり、長崎街道の宿場町として栄えた歴史があります。八坂神社、元禄波止場など歴史的な建造物が残る旧彼杵港から日本二十六聖人が時津へと向かった海岸に立ち寄り、その後、千綿宿、奇跡的に残ったキリシタン墓碑へ...

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    激しい弾圧の中にあっても奇跡的に残った川棚町のキリシタン墓碑。今回は、キリシタン墓碑を訪ねたあと、2つの戦時遺構に足をのばしてみました。太平洋戦争時代、海軍工廠が建てられた川棚には、今も町内のあちこちに戦争の歴史を伝えるスポットがあり、特攻殉国の...

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    長崎県のほぼ中央に位置し、波静かな大村湾に面した川棚町。大村湾に大きく突き出た大崎半島は、付近に小島が点在して屈曲に富み、県立自然公園に指定される風光明媚なところで、キャンプ場や海水浴場、温泉のほか、県下唯一のくじゃく園があることでも知られていま...

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    中浦ジュリアンは有馬のセミナリヨで学び、伊東マンショ、千々石ミゲル、原マルチノらとともに天正遣欧使節に選ばれ、1582年にヨーロッパへと海を渡りました。ジュリアンはヨーロッパの記録で、中浦の領主(大村氏の家臣・小佐々氏の一族)の子とあり、「館」とよば...

  • 純忠が晩年を過ごした館跡から本経寺へ

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  • 「三城七騎ごもり」の舞台、三城城跡

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  • 獄門所跡から首塚、胴塚へ

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  • 夕暮れの日本二十六聖人乗船地

    長崎街道の中でも彼杵宿は平戸街道への分岐点として重要な役割を担っていました。豊臣秀吉の命により京都で捕らえられた日本二十六聖人の一行は、処刑される前日、東彼杵の海岸から船で時津に向かいました。その地は今も悲しい歴史に思いを馳せる大切な場所として記...

  • のどかな波佐見の風景とキリシタン墓碑

    波佐見地区の潜伏キリシタンは、1865年の郡崩れを機にほとんど消滅したと考えられていますので、現在、波佐見町に残るキリシタン墓碑はそれ以前のものと推定されています。紅葉が目立ち始めた秋の日、波佐見町ののどかな山里にあるキリシタン墓碑をたずねました。

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    波佐見町のキリシタンに関する歴史資料は非常に少なく、原マルチノが波佐見町出身だという根拠もローマにある資料に「肥前国ハサミの首長の子」と書かれていることが由来になっています。しかし、町内で発見されたというキリシタンの遺物を見ると、紛れもなく波佐見...

  • 後ろ姿も凛々しい原マルチノ像

    波佐見町は、布教当時は大村藩の中でもキリシタンが多い村でした。その後の弾圧でキリシタンは姿を消してしまい、現在は教会堂などはありませんが、波佐見出身で天正遣欧使節の一員としてローマに渡った原マルチノの銅像が立てられ、キリスト教の歴史を伝えています。

  • 横瀬浦の往時をしのぶ散歩道

     実は長崎よりも早く南蛮貿易港として栄え、キリシタンの町となった横瀬浦。開港からわずか1年後に焼き討ちにあい消滅してしまいましたが、それがなければ、もしかしたら横瀬浦が後に日本のキリスト教の拠点となる長崎だったかもしれません。横瀬浦を歩くと、そんな...

  • フロイスゆかりの横瀬浦公園

     約420年前、平戸の次に南蛮貿易港となった横瀬浦は、「日本史」の著者としても知られる宣教師ルイス・フロイスが日本に降り立った最初の地でもあります。開港と同時にキリシタンの町となり、現在の横瀬浦公園がある場所にはりっぱな天主堂があったといわれています。

  • かつての南蛮貿易港、横瀬浦へ

     1562年、平戸にかわって南蛮貿易港となったのが横瀬浦。教会が建てられ、港は「聖母の港」と呼ばれるようになり、大村純忠はこの地で家来と共に受洗しました。残念ながらその繁栄は1年で終わってしまいましたが、横瀬浦を訪ねると今も歴史の面影をあちこちで感じる...

  • 大村の殉教地をめぐる

     江戸時代になると、徳川幕府はキリスト教の信仰を禁止し、大村藩もキリシタンに厳しい弾圧を行いました。しかし、かつてキリシタン大名が支配した大村には多数のキリシタンが存在し、彼らの中には禁教後も隠れて信仰を続ける人も多くいました。1657年に起きた潜伏...

  • Omura ke Bodaiji

    In Omura City, there are many spots related to Sumitomo Omura, as well as many cultural properties derived from the Omura family. One of the main temples, the Omura family's bodhi-ji temple, is said to have a large grave to show that the Omur...

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     大村純忠は、島原の有馬家から養子として大村家に迎えられ、大村家の領主となると、横瀬浦、福田、そして長崎を開港して南蛮貿易を行いました。また、日本初のキリシタン大名となり天正遣欧少年使節の派遣など歴史に残る多くの事業を行いました。今回は大村市で、...

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     2019年10月に大村市にオープンした「ミライon図書館」。県立・市立一体複合型図書館で、都道府県と市町村が共同運営する図書館としては日本で2例目という、まさに公共施設の未来を感じる運営スタイル。今回は、図書館に併設されている大村歴史資料館を訪ねてみまし...

  • 「INRI」と刻まれた墓碑

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  • 海を望む天正遣欧使節像

    戦国時代、日本人として初めてヨーロッパに公式に派遣され、ローマ法王に謁見した天正遣欧少年使節。今年1月には彼らの物語が初めて実写ドラマ化され世界に発信されました(Amazon Prime Videoで配信)。今回は、改めて大村市にある天正遣欧少年使節像を訪ね、彼らの功...

  • 本明川を散歩して教会堂へ

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  • 諫早公園とドラード像

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    今週は諌早市高来町へ行ってきました。先週の小長井教会堂と同じく、多良岳の中腹の風光明媚な地に修道会と修道会が設立した社会福祉施設などがあり、その中に湯江教会堂があります。主に施設の利用者と職員のための教会堂で、見学に訪れたときも堂内では熱心にお祈...

  • 山茶花高原と小長井教会堂

    自然豊かな諌早市を代表する多良岳。その中腹に位置する山茶花高原の近くには、カトリックの修道院や福祉施設、教育施設が集まったエリアがあり、その中に小長井教会堂があります。春の心地よい日差しと爽やかな風を感じながら、小長井町に足をのばしました。

  • オリーブの町の教会堂へ

    まちの中心を穏やかな長与川が流れ、山にはみかん畑が広がる風光明媚な長与町。長崎のベッドタウンとして発展し、今では県下で最も人口の多い町となりました。信徒数も多く、町の中心部に素晴らしいステンドグラスを備えた立派な教会堂が建っています。

  • 時津の歴史スポットと教会堂

    時津町は、かつては船待ちの港として栄えた古い港町。長崎街道の脇街道である時津街道が通り、たくさんの人や物が行き交いました。1970年代になると湾岸を中心に工場誘致が進み、また長崎市のベッドタウンとしても人口が増加。そのため滑石小教区の巡回教会として時...

  • 鷹島殉教地を眺める海岸

    時津港沖に浮かぶ鷹島は、1617年にドミニコ会の2人の神父が処刑された地です。宣教師たちの日本再潜入に火をつけた殉教といわれています。2人の神父は共に206福者となっています。今回は、その鷹島を最もよく眺められるスポットへ行ってみました。

  • 聖ルドビコ茨木に会いに行こう

    大崎温泉やくじゃく園などでも知られる川棚町。キリスト教は、戦後、オーストラリア人のF.フリン師の宣教により、一戸の信徒家族より出発し、1950年、教会・幼稚園・保育所の事業を開始、1952年にスカポロ外国宣教会に移管、1966年に現在の聖堂を建立しました。日本...

  • マッターホルンを望むまち

    先週の東彼杵町から少し足をのばして川棚町を散策。川棚町は、九州のマッターホルンと呼ばれる虚空蔵山を望む風光明媚なまち。キリシタンの歴史もあり、町内のお寺の墓地には奇跡的に難を逃れたキリシタン墓碑が残っています。

  • 東彼杵町のおしゃれスポット

    お茶の産地として知られる東彼杵町は、近年新しいスポットが登場し、若い人たちからの注目を浴びています。その中でも海が見えるレトロな駅舎として知られる千綿駅と旧米倉庫をリノベーションして活用したショップ&カフェは大人気。実は、その旧米倉庫の隣にある小...

  • 彼杵宿をたずねて

    東彼杵町は、長崎街道の「彼杵宿」が置かれたところで、昔から交通の要衝として栄え、幕府の役人や長崎警備の福岡藩などの武士たち、オランダ商館長も行き来しました。また、日本二十六聖人が彼杵の海岸から船に乗せられ時津港まで送られたという歴史もあり、一行の...

  • 凛々しい原マルチノ像

    今回は天正遣欧使節の一人、原マルチノの出身地である東彼杵郡波佐見町へ行ってみました。マルチノは使節の中では最年少でしたが、有馬のセミナリヨに通う頃から優秀で、特に語学に長けており、ローマからの帰途のゴアでラテン語の演説を行ったといわれています。

  • 三浦海岸を通って鈴田牢跡へ

    禁教期にはキリシタンが収容された牢屋が各地にありましたが、大村市の鈴田牢は、周囲も天井も竹の柱で囲まれた鳥籠のような部屋で、広さは奥行6.6m、間口4.6m、横に寝ることも身動きさえ自由にはできなかったと伝えられます。

  • 郡崩れゆかりの仏の谷

    1657年、大村領内で「郡崩れ(こおりくずれ)」という事件が起こりました。郡村を中心にキリシタン608人が捕らえられ、取り調べ中に78人が死亡、20人が永牢(終身刑)、411人が斬首という厳しい処罰が下されました(人数については諸説あり)。今回はその発端となっ...

  • 大村純忠終焉の地から植松教会堂へ

    バルトロメウという洗礼名を持った大村の領主・大村純忠。長崎に港を開き、キリシタンの町を作り、戦いに明け暮れた純忠。晩年は、病に伏せ、大村の地で静かに祈りの毎日を過ごしたと言われています。今回は純忠の終焉の地と植松教会堂を訪ねてみました。

  • 大村で最初の殉教地へ

    日本初のキリシタン大名・大村純忠の拠点であった大村は、領民のほとんどがキリシタンでした。そのため、禁教令が出されても信仰を守り続ける人が多く、殉教者もたくさん輩出しています。今回は、郡崩れ以前の歴史をたどってみました。

  • 大島大橋を渡って(2)

    前回は大島の中心部をぶらっとしましたが、今回は島の西側の静かな漁師町にある太田尾教会堂をめざします。太田尾漁港付近から細い坂道をのぼった先にある美しい教会堂で、設計者は不明ですが、堂内の造りに特徴がある見応えのある教会堂です。

  • 大島大橋を渡って(1)

    大島のキリスト教の歴史は、文政年間(1820年頃)に外海地方の潜伏キリシタンが移住してきたことに始まりますが、解禁後にカトリックに復帰する人は少なく、少数の信徒が家御堂で礼拝行事を行っていました。ようやく信徒が増え、教会堂が創建されたのは昭和になって...

  • 中浦ジュリアンの故郷へ

    天正遣欧少年使節の一人、中浦ジュリアン。現在の西海市中浦に生まれ、有馬のセミナリヨで学んだあと、天正遣欧少年使節の副使に選ばれて渡欧。ヨーロッパ各地で大歓迎を受けたものの、帰国後は波乱
    の人生が待ち受け、最後は西坂で殉教しました。今回はジュ...

  • R202を通って大瀬戸へ

    長崎から海沿いを走る国道202号線は、サンセットオーシャン202と呼ばれる人気のドライブルート。天気の良い日は、海の向こうに、かつて潜伏キリシタンが新天地を求めて移り住んだ五島列島が望めます。今回はR202を通って大瀬戸をめざします。

  • コルベ神父の心が息づくまち

    諫早教会堂から湯江教会堂、そして小長井教会堂へ。多良岳のふもとにある教会や修道院には、長崎市本河内を拠点に布教活動を続けたコルベ神父の愛の心が息づいていました。

  • 天正遣欧使節に同行した諫早生まれの少年

    今週と来週の2回は早春の諫早市をめぐる旅。1回目は、新鮮な野菜や海の幸が揃った農家直売所を起点に諫早図書館にあるコンスタンチノ・ドラード像、そして諫早教会堂に建つ聖パウロ三木像に出会いました。

  • 「じんざえもん焼」を味わって時津教会堂へ

    農産物から民芸品、実用品まで多彩な商品が揃った農産直売所を訪れ、「じんざえもん焼」というおいしい回転焼を味わい、時津(とぎつ)教会堂に向かいました。

  • キリシタン墓碑から川棚教会堂

    常在寺(じょうざいじ)の墓地のさらに奥にある川棚(かわたな)町キリシタン墓碑を訪れたあと、戦後、海軍工廠(こうしょう)の払い下げを受けてつくられた川棚教会堂に向かいました。川棚町はキリシタンの史跡だけではなく、戦争の歴史が色濃くのこる町でした。

  • 川棚町キリシタン墓碑へ

    東彼杵(ひがしそのぎ)町から川棚(かわたな)町へ。常在寺(じょうざいじ)の水琴窟(すいきんくつ)の美しい音色を聞いたあと、参道を通ってキリシタン墓碑をめざします。たよりは目的地までの距離を示した案内板。果たしてどんなところに墓碑はあるのでしょうか。

  • 古い建物を活かす東彼杵のまちづくり

    キリシタン墓碑の近くにあったおしゃれなコミュニティスペース、そしてレトロなたたずまいを活かした千綿(ちわた)駅の新たな取り組み。古いものと新しいものが交差する東彼杵(ひがしそのぎ)町の「今」にふれたような気がしました。

  • 季節を告げる緑の茶畑

    日本二十六聖人乗船場跡から大村(おおむら)湾を一望する茶畑へ。産地ならではのおいしいお茶を味わい、緑豊かなすばらしい風景を堪能しました。

  • 日本二十六聖人の足跡を訪ねて

    東彼杵(ひがしそのぎ)町の観光・物産の拠点、彼杵の荘(しょう)から日本二十六聖人乗船場跡へ。長崎(ながさき)街道の彼杵宿として栄えた町に残る殉教者の足跡を訪ねます。

  • 二つのキリシタン史跡を訪ねて

    西海橋(さいかいばし)公園から車を走らせ、二つのキリシタン史跡へ。ひとつは迷ってしまい、遠くから眺めることに。もうひとつは道しるべのおかげでスムーズに到着。ぶらり旅はうまくいったりいかなかったり・・・。

  • 横瀬浦から西海橋公園へ

    上町(うわまち)跡・下町(したまち)跡から長崎甚左衛門純景(ながさきじんざえもんすみかげ)居宅跡へ、そして思案橋(しあんばし)跡、丸山(まるやま)跡と南蛮貿易港時代の横瀬浦(よこせうら)を堪能したあとは、うず潮の季節を迎える西海橋(さいかいばし)...

  • 南蛮船来航の地、そして上町跡・下町跡

    八ノ子島(はちのこじま)が見える防波堤から港沿いに車を走らせ、南蛮船来航の地へ。貿易港として繁栄した時代に想いをはせながら、静かな上町(うわまち)跡、下町(したまち)跡をめぐりました。

  • 横瀬浦公園から八ノ子島へ

    横瀬浦(よこせうら)公園から車で岬のほうに移動。西海(さいかい)市の人気のスポット、船番所(ふなばんしょ)で昼食をいただいたあと出会ったのは白い十字架が立つ八ノ子島(はちのこじま)でした。

  • 繁栄の歴史を物語る横瀬浦公園

    横瀬浦(よこせうら)が南蛮貿易港として繁栄したのは開港からわずか1年あまり。まちを見おろす小高い丘にはその歴史が今も息づいています。

  • 南蛮船来航の地、西海市横瀬浦

    西海(さいかい)市の情報発信地であるみかんドームを皮切りに、地元ならではの特産品直売所やお菓子屋さんに立ち寄り、南蛮船来航の地となった横瀬浦(よこせうら)をめざします。

  • 迫害の歴史をたずねて

    放虎原殉教地から妻子別れの石へ。道に迷いながらも続く史跡めぐり。キリシタン弾圧の壮絶で悲しい歴史が胸に迫ってくる。

  • 迷いながら殉教地へ

    大村家の墓所がある本経寺を訪れたあとは、道に迷いながら行ったり来たり・・・。ようやく獄門所跡、放虎原殉教地へたどり着きました。ふーっ!

  • 歩いたあとの楽しみは・・・

    富松神社から三城城跡、宝生寺跡をめぐり、また踏み切りを越えてバスターミナルビルの前に。歩いたあとの楽しみはやはりおいしい昼ごはんでした。

  • 城下町の歴史を感じる

    なんとなく歩きはじめたものの、気が付けば線路を越えてお寺や神社をめぐることに。初めて訪れた格式あるそのたたずまい・・・。城下町ならではの歴史が息づいています。

  • 史料館からはじまる大村散策

    少しずつ春の訪れを感じる季節。ゆるやかな陽射しに誘われて大村市にやってきました。今回ものんびりとまちなみを楽しみながら、ぶらり旅がはじまります。

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