おらしょ こころ旅

長崎

二つの小さな教会堂

2016年3月9日 公開

ぶらり旅(72)二つの小さな教会堂ph3

神ノ島(かみのしま)教会堂から北上して次の目的地へ。長崎が開港する前の1565年にポルトガル船が入港した福田(ふくだ)方面に向かい、二つの小さな教会堂を訪れました。

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岬の聖母

遠くから眺めていたときの印象とは異なり、近くで見ると意外にも頑丈そうでたくましい姿をしていた。実はこの聖母像は二代目。初代は1948年に建てられたが、風雨にさらされて傷みがひどかったため、現在のものに建て替えられた。

住所
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休日
徒歩 すぐ
神ノ島教会堂

神ノ島教会堂は白亜の教会として知られているが、実は煉瓦(れんが)造りの聖堂で表面に煉瓦を見せないペンキ吹き付け仕上げになっている。岬の聖母が立つ岩から見ると背後の山の緑にその白がよく映えている。

住所 長崎市神ノ島町2-148
電話番号
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営業時間
休日
15分
福田教会堂(集会所)

小浦(こうら)町の集合住宅が建ち並ぶ小高い丘の一角に福田教会堂(集会所)がある。1995年、飽ノ浦(あくのうら)教会堂の付属施設、子どもたちの信仰教育の場として建てられたが、定期的にミサが行われるようになり、1999年に巡回教会となったという。

住所 長崎市小浦町59-2
電話番号
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料金
営業時間
休日
徒歩 すぐ
福田教会堂正面

民家のような造りの福田教会堂。正面にまわると、玄関横にマリア像が飾られていた。残念ながら建物のなかに入ることはできなかったが、信徒の皆さんはこのマリア像を見ただけで心やすらぐ思いがするのだろう。

住所
電話番号
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料金
営業時間
休日
10分
岳教会堂そばの風景

福田本町のゴルフ場のそばで季節を感じる風景に出会った。右側の小さな赤い花はやぶ椿(つばき)、奥の黄色い柑橘類はハッサクだろうか。この隣の敷地に岳(たけ)教会堂がある。

住所
電話番号
URL
料金
営業時間
休日
徒歩 すぐ
岳教会堂

1905年、外海(そとめ)の牧野(まきの)郷の移住者がこの地を開拓したのが始まりで、当初は大浦(おおうら)、神ノ島、中町(なかまち)などの教会に通っていたという、1956年に飽ノ浦小教区の巡回教会となり、1970年に現在の教会堂が建てられた。

住所 長崎市福田本町477
電話番号
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料金
営業時間
休日
徒歩

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    毎年、旧正月の時期は、長崎市ではランタンフェスティバルが開催されます。出島の表門橋の完成で、その周辺を歩かれる方も多いことでしょう。今回は、かつてミゼリコルディアがあったフロイス通りから出島まで、キリスト教繁栄の歴史を物語る場所を歩いて見ましょう。

  • 等身大のマリア像?

    佐世保市の中心を通る広い国道に面し、奇抜なデザインが目を引く俵町教会堂。教会堂の隣には幼稚園、近くには地域密着型の俵町商店街という賑やかな環境にあり、冬はイルミネーションでさらに注目を集めます。

  • 赤岳のふもと、樫山地区へ

    バスチャンゆかりの神山として潜伏キリシタンに崇拝されていた赤岳のふもとにある樫山地区。江戸時代の樫山は、大村藩の西樫山と佐賀藩(深堀領)の東樫山に分かれ、比較的取り締まりが緩やかだった東樫山には多くのキリシタンが潜伏しました。

  • もう一つの平和と祈りのゾーン

    8月の原爆記念日を前に、平和祈念館として開放されている城山小学校とその周辺を訪ねてみました。
    被爆当時この一帯はすべて焼け野原となりましたが、その後見事に復興を遂げました。このエリアにある城山教会堂は、市内屈指の美しい教会で、信徒数も2500人...

  • 潜伏キリシタンゆかりの赤岳

    赤岳は長崎市樫山町にある、赤い岩肌が特徴の山。昔からバスチャンの椿があるキリシタンの聖地とされ、赤岳に三度お参りするとローマにお参りしたことになるという言い伝えもあった場所です。その赤岳を望む新長崎漁港付近に行ってみました。

  • 紫陽花が咲く中島川界隈(2)

    5月下旬から6月上旬まで「ながさき紫陽花まつり」が行われている中島川界隈。中島川を上流に向かってぶらぶら歩いていると、神社と隣同士の教会堂をはじめ、このエリアならではの長崎らしいスポットに出合えます。

  • 紫陽花が咲く中島川界隈(1)

    長崎を代表する観光スポット・眼鏡橋が架かる中島川界隈にもキリシタンゆかりの場所が残っています。5月下旬から6月初旬にかけて開催される「ながさき紫陽花まつり」を見ながら、ぶらりと歩きましょう。

  • かつての宿場町、東長崎地区を訪ねて(2)

    先週訪ねた東望地区から約3キロ離れた古賀地区も、かつてはキリスト教が盛んだったところ。ルイス・フロイスの「日本史」には、1593年頃には全住民がキリシタンであったと書かれています。

  • かつての宿場町、東長崎地区を訪ねて(1)

    長崎市の東長崎地区は、江戸から陸路で長崎に入るときの玄関口にあたる宿場町として栄えました。
    また、1570年頃にはキリシタン大名、有馬氏の保護を受けてキリスト教が発展。禁教期には殉教者も多く出ています。

  • 長崎が小ローマだった頃の教会跡2

    前回は、禁教令によって破壊された山のサンタマリア教会跡とトードス・オス・サントス教会堂跡をたずねましたが、今回は長崎に初めて建てられた教会の跡地を訪ねます。

  • 長崎が小ローマだった頃の教会跡1

    南蛮貿易が栄えた頃の長崎は、市中に多くの教会が建てられ、その風景はまさに小さなローマのようだったと記録に残っています。禁教期に全てが壊され、今は跡地に碑が立つのみですが、その場所を訪ねると、当時の長崎に思いを馳せることができます。

  • 16人の聖人に会いにいこう

    長崎駅から少し歩くと見えてくる白亜の中町教会堂。ステンドグラスが美しいことでも知られています。聖トマス西と15殉教者に捧げられた教会で、敷地内には16人の記念碑が立てられています。

  • 世にも貴重な資料館へ

    みなさんもよくご存じの長崎市西坂公園にある日本二十六聖人殉教記念碑。今回は、その裏側にある日本二十六聖人記念館を訪ねてみました。日本有数のキリシタン資料館で、殉教者ゆかりの品を中心に、貴重な資料が展示されています。

  • 堂々たる馬込教会堂

    伊王島(いおうじま)にある大明寺(だいみょうじ)教会堂から小さな橋をわたって沖之島(おきのしま)の馬込(まごめ)教会堂へ。海を見下ろす丘に建つ白い聖堂は人々の暮らしを見守るように、優しくそして力強く青空にそびえていました。

  • 伊王島大橋をわたる

    深堀(ふかほり)から香焼(こうやぎ)に向かい、香焼教会堂を訪れたあとは伊王島(いおうじま)大橋を渡って伊王島へ。迫害を逃れてこの地に移住してきた外海(そとめ)のキリシタンの歴史を感じながら大明寺(だいみょうじ)教会堂を訪れました。

  • 深堀教会堂から菩提寺まで

    深堀(ふかほり)教会堂、深堀陣屋跡のアコウの木を訪ねたあとは、美しい水路に導かれるように深堀のまちをぶらり。どこをどう歩いてきたのかは定かではないけれど、たどりついたのは由緒ある菩提寺(ぼだいじ)でした。

  • 風情ある深堀地区を歩く

    善長谷(ぜんちょうだに)教会堂から向かったのは城下町のたたずまいがのこる深堀(ふかほり)地区。深堀神社、武家屋敷跡、風情ある通りを歩いて丘の上に建つ深堀教会堂をめざします。

  • 絶景の善長谷教会堂

    小ヶ倉(こがくら)教会堂からかつて深堀(ふかほり)氏の山城があった丘に建つ善長谷(ぜんちょうだに)教会堂へ。その歴史にふれ、絶景を楽しみ、神聖な空気に包まれたルルドを訪れました。

  • 大山教会堂から小ヶ倉教会堂へ

    うっそうとした竹林を抜けてたどり着いたのは、外海(そとめ)黒崎(くろさき)村のキリシタンが移住した集落にある大山(おおやま)教会堂。そこからさらに車を走らせ、住宅地にあるモダンな小ヶ倉(こがくら)教会堂を訪れました。

  • 三ツ山教会堂と長与教会堂

    浦上(うらかみ)崩れが起きるたびに多くの殉教者を出した三ツ山(みつやま)地区。潜伏キリシタンの歴史が息づく山間の地を訪れたあと、長崎(ながさき)市のベッドタウンにある長与(ながよ)教会堂をめざします。

  • 二つの殉教地を訪ねて

    時津(とぎつ)町の日本二十六聖人上陸の地から鷹島(たかしま)殉教地へ。さらに長与(ながよ)町を通って長崎(ながさき)市川平(かわびら)町の「千茶ノ木橋(ちちゃのきはし)」下の難河原(なんごら)殉教地を訪れました。

  • 二十六聖人が上陸した時津港

    鉄工所の頑丈な建物を生かしてつくられた時津(とぎつ)教会堂から、長崎(ながさき)空港までの定期便が就航している時津港へ。波穏やかな大村(おおむら)湾を眺めながら日本二十六聖人がたどった殉教の道を改めて心に刻みました。

  • 長崎甚左衛門純景の墓

    長崎(ながさき)開港時の長崎領主で、主君大村純忠(おおむらすみただ)とともに横瀬浦(よこせうら)で洗礼を受けた長崎甚左衛門純景(ながさきじんざえもんすみかげ)。彼はなぜこの地で亡くなったのだろうか。その数奇な人生に想いを馳せながら墓地を訪れました。

  • キリシタンをまつった枯松神社

    遠藤周作(えんどうしゅうさく)文学館から車を走らせ、映画「母と暮らせば」のロケが行われた黒崎(くろさき)教会へ。そこから外海(そとめ)総合公園の上にある枯松(かれまつ)神社に向かいました。途中にあった祈りの岩がとても印象的でした。

  • 角力灘の美しい風景を満喫

    野道(のみち)共同墓地から道の駅に立ち寄って「ド・ロさまそうめん」を購入。文学館で遠藤周作(えんどうしゅうさく)の足跡をたどり、しばし時間を忘れて角力灘(すもうなだ)の素晴らしい景色を堪能したのでした。

  • ド・ロ神父が眠る野道共同墓地

    バスチャン屋敷跡から車で南下して野道(のみち)共同墓地へ。約10年をかけて造られた急斜面の墓地の一角に眠るド・ロ神父。地元の自然石を使用した階段を登って大きな十字架のある場所まで向かいます。

  • 伝説の日本人伝道師バスチャン

    大野(おおの)教会堂から駐車場に戻って車に乗り、ド・ロ神父がつくった大平(おおだいら)作業場跡へ。さらに静かな山林にひっそりと建てられたバスチャン屋敷跡を訪れます。

  • 石積みが美しい大野教会堂

    国道から少し入ったところにある専用駐車場に車を止め、階段を登っていくと、
    木造と石造り、日本と西洋が混在した素朴な教会堂が見えてくる。それがド・ロ神父が私財を投じ、信徒とともに建てた大野(おおの)教会堂。

  • 人々の暮らしを支えた旧出津救助院

    ド・ロ神父記念館から旧出津(しつ)救助院、長崎(ながさき)市外海(そとめ)歴史民俗資料館へ。外海地方の人々を救済したド・ロ神父の偉業や、かくれキリシタンの歴史に出会います。

  • 出津教会堂からド・ロ神父記念館

    緑豊かな山あいにあって圧倒的な存在感を放つ出津(しつ)教会堂をあとに、丘陵地帯に設けられた歴史の道を歩いてド・ロ神父記念館へ。神父の足跡を訪ねます。

  • 石積み文化にふれながら出津教会堂へ

    専用駐車場の整備や標識の設置など、訪れる人々を迎える体制が進む長崎市外海(そとめ)町。歴史ある石積み文化にふれながら、まず出津(しつ)教会堂を訪れました。

  • 見つからなかったキリシタン墓碑

    岳(たけ)教会堂をあとにして最後の目的地、柿泊(かきどまり)のキリシタン墓碑へ。目印となる神社が見つからず、交番で場所を教えてもらい行ってはみたものの、結局キリシタン墓碑は見つからず断念したのでした。

  • 岬に建つ白い教会

    木鉢(きばち)教会堂から海沿いに車を走らせて神ノ島(かみのしま)教会堂へ。教会下の岩の上には航行する船舶の安全を見守る「岬の聖母」の姿がありました。

  • 飽ノ浦教会堂から木鉢教会堂へ

    造船のまちに建つ飽ノ浦(あくのうら)教会堂から見えるのは世界遺産に登録されたクレーン。建造中の大型客船を左手に眺めながら小瀬戸(こせど)町の小高い丘に建つ木鉢(きばち)教会堂を訪れました。

  • 稲佐教会堂界隈を歩く

    淵(ふち)神社から稲佐(いなさ)教会堂へ。坂のまちならではの風景を楽しみ、昔ながらの商店街を歩き、心なごむひとときを過ごしました。

  • 桑姫物語

    キリシタン大名大友宗麟(おおともそうりん)の孫娘をまつっている桑姫(くわひめ)神社。桑を植えて蚕を飼い、地元の女性たちに糸の紡ぎ方を教えたという一人の女性の物語が息づいています。

  • 淵神社でおみくじ

    数多くのキリスト教関連遺跡がある長崎市。そのなかでも珍しいのがキリシタンをまつった神社。今回はその桑姫(くわひめ)様ゆかりの淵(ふち)神社を訪れました。

  • 本河内ルルドをめざす

    聖コルベ記念館を出て、聖母の騎士学園の横の坂道を上っていくと、緑に囲まれた本河内(ほんごうち)ルルドにたどりつく。ここは教皇ヨハネ・パウロ2世が訪れたバチカン指定公式巡礼地である。

  • コルベ神父の足跡を訪ねて

    1986年(昭和61年)、コルベ神父が聖人に列せられたのを記念に作られた聖コルベ記念館。人間愛にあふれたこの空間で偉大なる神父の足跡をたどります。

  • 本河内教会から聖コルベ記念館へ

    長崎市本河内(ほんごうち)の番所(ばんしょ)バス停から本河内教会、聖コルベ記念館へ。彦山(ひこさん)の斜面につくられた施設だけに気合いを入れて階段を上ります。

  • 原爆の惨状を知る

    浦上(うらかみ)天主堂の惨状、原子野と化した長崎の街、熱線や爆風、放射能による被害・・・。小学生の頃の平和学習を思い出しながらあらためて被爆の実相にふれました。

  • 祈りのゾーンをめぐる

    平和公園から原爆落下中心地を訪れ、長崎原爆資料館へ。原爆の凄惨(せいさん)さと平和の尊さを実感しながら祈りのゾーンをめぐります。

  • 浦上教会から平和公園へ

    赤城(あかぎ)墓地から見える浦上(うらかみ)教会を訪れ、平和町商店街を通って平和公園へ。その途中でおいしいコーヒーが味わえる喫茶店を見つけました。

  • 赤城墓地から見えるのは・・・

    山里(やまざと)中学校の上にある赤城(あかぎ)墓地。十字架をあしらった墓石が並ぶ高台からは凛(りん)としてたたずむ浦上(うらかみ)教会が見えます。教会の方角を向いた十字架は信徒たちの永遠なる祈りのあかしなのかもしれません。

  • 広大なキリシタン墓地

    浦上(うらかみ)養育院を訪れたあと、こうらんばキリシタン墓地へ。その広大な敷地には浦上の人々のために愛をささげた岩永(いわなが)マキ、高木仙右衛門(たかぎせんえもん)の墓がありました。

  • 聖ヨゼフ堂跡をめざす

    十字架山(じゅうじかやま)の山頂から坂道を下りて大通りを歩き、聖フランシスコ病院前バス停の手前から路地に入り、聖ヨゼフ堂跡に向かいます。

  • 十字架山に登る

    一本木山(いっぽんぎやま)から大通りに出て平の下バス停に向かい、秘密教会跡を訪れたあとは坂道を上って十字架山(じゅうじかやま)をめざします。

  • 一本木山を散策する

    少し汗ばんだ肌にひんやりとした森の空気を感じながら山頂へ。最後のレリーフのそばには、木々の緑に抱かれるように十字架にかけられたキリスト像が建っていました。

  • 本原教会をたずねる

    久しぶりに路線バスに乗って三原(みはら)地区へ。このあたりは斜面地に家々が建ち並ぶ長崎らしいまちなみが広がっています。今回は、信徒さんの多くが浦上(うらかみ)四番崩れの生存者の子孫の方という本原(もとはら)教会堂を訪れました。

  • マリア園をめざして

    ひとつ道を間違えるとこんなことに! 目の前に立ちふさがる急な坂道を上り、息を切らしながら目的地のマリア園へ。

  • 大浦教会

    大浦天主堂を訪れる観光客が多くなったことから、1975年、信徒の祈りの場として建てられた大浦教会。静かにドアを開けて、さぁ堂内へ。

  • 旧羅典神学校と旧大司教館

    キリスト教禁教下、秘密の仮聖堂で神学生の教育を行ったという旧大司教館、そして禁教令撤廃後、日本人聖職者を養成するために建てられた旧羅典(らてん)神学校。大浦天主堂に隣接する歴史ある二つの建物へ。

  • 信徒発見の舞台へ

    2015年は、世界宗教史上の奇跡ともいわれる「信徒発見」から150周年という記念すべき年。今回はその舞台となった大浦天主堂を訪ねるぶらり旅。歴史を感じながら階段を一歩一歩上っていきます。

  • 大浦天主堂の背中を見る

    路地や坂道が多い長崎は、歩くコースによっていろいろな風景に出会うことができます。定番コースもいいけれど、今回は斜行エレベーターにのって大浦(おおうら)天主堂の「背中」を見てみましょう。

  • 聖フィリッポ教会から本蓮寺へ

    ガウディのスタイルを取り入れた聖フィリッポ教会の造形美を堪能したあとは、かつてハンセン病の病院とフランシスコ会の教会があった本蓮寺へ。勝海舟がここに滞在し、ある娘と恋に落ちたという話も残っていますよ。

  • 聖なる西坂の丘

    これまで何度も訪れている日本二十六聖人殉教地。記念碑の素晴らしさは皆さんもよくご存知だと思いますが、今回はその裏にあるもうひとつの作品、そして記念館の展示品に目を奪われてしまったのでした。

  • 山王神社から坂本国際墓地へ

    一本柱鳥居や被爆クスノキで知られる山王神社は、その昔は子どもたちの遊び場。秋には浦上くんちが行われ、地元の人たちで賑わいます。そこから5分ほど歩くと異国情緒あふれる坂本国際墓地。さて、誰のお墓があるのでしょうか。

  • 坂本3丁目界隈

    久しぶりに訪れた母校、坂本小学校。小学生の頃は知らなかった共同墓地を訪れ、キリシタン墓碑を探すこと40分。あきらめて引き返そうとしたとき、ついに発見!昔と変わらない地元の人とのふれあいも楽しいね。

  • 如己堂から橋口町、大橋町へ

    浦上教会から少し足を伸ばせば、永井隆博士ゆかりの如己堂や、あまり知られていない秘密教会跡など、興味深いスポットもあります。青春時代を過ごしたまちで時の移り変わりを感じながら、ちょっとしみじみとした散策でした。

  • 浦上教会

    知っていそうで意外と知らない浦上教会のこと。ゆっくり時間をかけてめぐれば、初めて出会う不思議なものもいろいろ。何よりも心がおだやかになる・・・その澄み切った静かな空間も魅力です。

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