五島列島
2019年10月23日 公開
島内のどこを走っても教会堂にたどり着く新上五島町。小さな集落にも大切に守られている教会堂があります。今回は、遣唐使船の歴史も残る道土井湾の近くにある真手ノ浦教会堂から洋上石油備蓄基地を見下ろす高台に建つ跡次教会堂、そして上五島では珍しい山に囲まれた佐野原教会堂を訪ねました。
ルート紹介を見る明治初期、キリスト教が解禁となり、外国人宣教師が布教のために来島、次々と信徒たちはカトリックに復帰していきました。その時期の拠点の一つとなったのが青砂ヶ浦教会。現在の建物は3代目で、1910年(明治43)に建立。鉄川與助の手による初期のレンガ造りの教会堂で...
江戸時代後期、多くのキリシタンが大村藩から五島藩へ移住、上五島にも各地区に信徒たちが集落を作って行きました。今回訪れた冷水地区もかつての潜伏キリシタンの集落で、禁教期には迫害も受けました。禁教令撤廃後、1907年冷水教会堂が建てられました。
平山亀吉とは、明治初期に建てられ世界遺産の構成資産の一つでもある旧五輪教会堂を作った大工で、教会建築を学ぶために長崎の大浦天主堂にも出向いています。その平山亀吉の名前が刻まれた石灯篭がある田之浦神社や久賀島のカトリックのシンボルである浜脇教会を見...
前回訪ねた旧藤原邸(現在の久賀島観光交流拠点センター)のお庭を拝観後、禁教期に絵踏みが行われた猿田彦神社を参拝。その後、1868年(明治元年)、久賀島内の信徒たちが捕らえられ、残酷な責め苦を受けた牢屋の窄殉教記念教会を対岸に眺めながら、久賀島におけるキ...
「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産の一つである久賀島を一望するのが折紙展望台。島の住民がコツコツと手作りしたという、郷土愛が詰まった展望台です。また、久賀島観光交流センターは久賀島の旧家、藤原家のお屋敷を活用したもので、風情ある...
「映画けいおん!」や「映画 聲の形」等のヒット作を手掛けたアニメ―ション監督・山田尚子の最新作『きみの色』が8月30日より全国公開中。映画には、長崎県ならではの景色がモデルとなって多数登場しますが、今回はその中から主人公たち3人のバンドの練習場所として...
五島市岐宿町にある魚津ヶ崎(ぎょうがさき)。西海国立公園内に位置し、遣唐使船寄泊地として歴史に名を記す岬にある大自然を満喫できるレジャー公園。大パノラマで数々の島と海を一望できます。今回は、ここから車で10分ほど走って、下五島では堂崎天主堂に次いで...
水ノ浦教会の歴史は、江戸時代末期に大村藩領から移住した潜伏キリシタンのうち、5人の男性とその妻子らの移住にはじまります。教会には、外海からキリシタンが移住したとき、船底の重りとして運んできた温石(結晶片岩)が今も残っています。今回は温石を探しながら...
キリシタン迫害の中でも最も悲惨な事件の一つである五島崩れ。五島崩れの時、三井楽でキリシタンであることが発覚した人々は、代官所で拷問を受け、岳の信徒の家が仮牢となって投獄されました。現在、牢屋跡には、信仰を守り抜いた先祖の遺徳を偲ぶ碑が立てられてい...
記録では1797年に大村藩から移住して来たといわれている三井楽の潜伏キリシタンたち。五島キリシタンの信仰を最も長く刻んだ地ともいわれています。現在の三井楽教会は、三井楽町嶽地区にあるため、地元の人々は「岳の教会(たけのきょうかい)」と呼んでいました。
この夏、何度となく計画し、その都度悪天候で延期になっていた五島ぶらり取材。今回、満を持して行って来ましたが、福江港に着いたとたんに雨。でも、雨が降り注ぐ夏の五島も風情があり、しっとりと静かに巡礼ができました。テレビドラマ「ばらかもん」でも度々登場...
昨年9月から始めた五島巡礼の旅もいよいよゴールの福江港へ。前回訪れた六方の浜から福江の中心部に入り、五島唯一の城下町、福江城下を歩いてみました。そして五島での巡礼の締めくくりは福江教会堂。1962年に市中心部で発生した大火災「福江大火」の時、この教会だ...
五島市奥浦地区にある六方の浜は、昔から平家の落人伝説などが残っている場所です。キリシタン史では、江戸時代後半に、大村藩からの公式移住が1797(寛政9)年から始まり、108人の移住者(潜伏キリシタン)が五島に新天地を求めて、第1歩を踏み出したのが、この六...
浦頭教会堂は、大村藩から五島へ移住した信徒たちがいち早く住み着いた平蔵(ひらぞう)地区にあります。移住後、密かに信仰を守っていた信徒たちですが、1868年(明治元)には久賀島に引きつづきキリシタン迫害が本格化した場所です。初代の教会堂が1888年創建され、2...
明治初期、フランス人神父のマルマン神父は上五島での宣教後、福江島の奥浦地区で布教を始めると共に、恵まれない赤ちゃんを引きとって育てる「子部屋」を設立。マルマン神父転任後、後任のペルー神父によって「養育院」が建てられ、これが五島で3番目の児童養護施設...
江戸時代後期、大村藩の外海地方を中心に信仰を守っていたキリシタンの一部は、土地が貧しく、厳しい弾圧を逃れるために、五島藩に移住しました。その開拓移住のキリシタンが最初に住み着いたのが奥浦の周辺といわれています。今回は明治初頭、五島キリシタンの宣教...
明治時代、奈留島と周辺地区には葛島と江上の2教会しかなく、最初の奈留教会堂が建ったのは1926年(大正15年)のことでした。その後、1961年(昭和36年)に現在の奈留教会堂が新築され、その12年後には、葛島の島民が集団で奈留島に移転し、信徒の全員が奈留教会の所...
五島列島のちょうど真ん中ぐらいにある奈留島には、キリスト教の信仰が禁じられていた江戸時代末期、大村藩(外海)から潜伏キリシタンが移住。奈留島の属島である葛島(かずらしま)をはじめ島内各地に分かれて住み、開墾に従事しながら小さな集落を形成していきま...
新上五島町の絶景の一つが、若松町にある龍観山展望台からの眺め。九州自然歩道の中通島・若松島ルート上にあり、小島が浮かぶ若松瀬戸を一望できます。そこから山道をしばらく走ると、海沿いに小さな大平集落があります。潜伏キリシタンの歴史がある集落で、住民の...
新上五島町の教会堂の中でも、特に観光客からの人気が高い教会堂の一つが、中ノ浦教会堂。海辺に映る姿が特徴で「水鏡の教会」とも称され、堂内の花をモチーフにした装飾も特徴的です。また、若松大浦教会堂は、民家のような造りで、復活当時のお御堂の雰囲気をとど...
古代より海上交通の要衝であり、交易・交流の拠点であった五島の各地には、日本遺産「国境の島 壱岐・対馬・五島~古代からの懸け橋~」の構成資産が点在しています。山王山もその一つで、遣唐使の遺跡が存在する、最澄ゆかりの山岳信仰の山で、山頂には1200年の歴...
新上五島町は、五島市と同じく、中世期には遣唐使船の風待ち港だった歴史があります。今回は、遣唐使船が係留したといわれる「ともじり石」なども残る青方地区を出発し、跡次教会堂を見学後、遣唐使船が3日間滞在したことからその名がついたと言われる三日ノ浦をたず...
世界遺産の構成資産でもある、新上五島町の頭ヶ島集落にある頭ヶ島天主堂。地元の石を切り出して造ったという、重厚な石造りの天主堂です。整備された道を通って行くこともできますが、今回はかつて信徒たちが歩いて通ったという里道(昔から地元の人が使っていた道...
青砂ヶ浦教会堂から県道を3キロほど歩いた場所にある丸尾教会堂。教会堂からは、鉄川与助の出身地、丸尾集落を見渡せます。丸尾漁港近くの「鉄川與助居宅跡」は、建物はレンガ塀のみが残っているだけですが、敷地内にはたくさんの鉄川與助に関する説明板が立てられて...
波静かな奈摩湾を望み、対岸の冷水教会堂と向き合うように立つ青砂ヶ浦教会堂。1878年頃に初代の教会が建設されてから3代目となる教会堂で、新上五島町出身の鉄川与助の設計施工によって1910年に建立されました。建設時は、奈摩湾の海岸に船で届いたレンガを信徒総出...
今回歩いた曽根地区は、五島崩れの際に、信仰を公にした信徒たちが激しい迫害を受けたところです。最初の木造の曽根教会堂は、1899年にフランス人のペルー神父のもと、曽根郷長山に建てられ、鉄川与助が関わりました。現在の教会堂は1966年に建てられ、保護者である...
中通島は、厳しい地形条件に適応し、農村及び漁村という対照的な形態をなす集落による価値の高い文化的景観をのこしているということで、国指定重要文化的景観「北魚目の文化的景観」に選定されています。今回、訪れた小瀬良(こぜら)教会堂もそのエリアに含まれて...
昔、中通島は、北部は平戸藩、それから下は五島藩に管轄が分かれていました。今回は、その藩境をまたいで、上五島の中でも有名な江袋教会堂へ向かいます。2007年に火災で大部分を焼失したものの、県や町からの補助金のほか、カトリック長崎大司教区が全国に寄付を呼...
新上五島町には29の教会がありますが、その中でも北部の拠点のひとつになっているのが仲知教会です。教会堂も大きくて、特にステンドグラスの素晴らしさが有名です。また、島の断崖にある赤波江教会堂は、細い山道をひたすら歩いた先にあり、その辺境の地に立つと、...
中通島の北部にある津和崎港は小値賀港、有川港との航路があり、巡礼客の移動手段としても利用されています。また、津和崎港からチャーター便を利用して野崎島や小値賀港などに行くこともできます。今回は、この津和崎港から、眺めの良い道路を通って米山教会堂を訪...
中ノ浦教会は若松瀬戸の笛吹浦から入り込んだ小さな入江に面し、対岸から見る教会建物の優美なたたずまいはポスターなどでもお馴染みの風景です。中ノ浦教会の先祖は、寛政年間に外海の黒崎地区から移住した潜伏キリシタンで、明治初期の迫害では信徒が捉えられ拷...
1797年に五島藩は大村藩に対し、領民を土地開拓民として移住させるよう要請、大村藩主はこれを快諾し、外海地方から100人あまりが五島へ移住しました。今回訪れた浜串集落は、1815年頃、外海の樫山地区から移り住んだのが始まりとされ、現在も住民のほとんどがカト...
やっぱり夏は五島でしょ!ということで、前回に引き続き中通島の教会堂を巡ります。今回は美しい海沿いに立つ高井旅教会堂と福見教会堂を訪問。どちらも先祖は外海から移住した潜伏キリシタンですが、福見教会は1878年(明治11)にカトリックに復帰、一方、高井旅教...
世界遺産の構成資産に登録されている教会堂をはじめ、約50の教会堂がある五島列島。リアス式海岸の入り組んだ小さな入江の集落に、ひっそりと佇む教会堂は、五島のキリシタン信仰の歴史を物語っています。今回は新上五島町の奈良尾港からスタートして、周辺の教会...
久賀島には、旧五輪教会堂のほか、以前から牢屋の窄(さこ)殉教記念聖堂や浜脇教会堂など、潜伏キリシタンの歴史を物語るスポットがありましたが、久賀島の集落が世界遺産の構成資産になってからは観光交流拠点センターや潜伏キリシタンに関する資料館なども整備さ...
世界遺産の構成資産にもなっている久賀島の集落。今回は長崎から朝一便のジェットフォイルで福江港へ渡り、連絡船シーガルで久賀島の田ノ浦港に9時30分に到着。帰りの14時35分発のフェリーの時間まで正味約4時間、レンタカーで島内の潜伏キリシタンゆかりのスポッ...
1907年築の冷水教会堂は、近くの丸尾郷出身の鉄川与助が棟梁となって初めて手掛けた教会堂です。冷水は五島崩れで迫害を受けた地域の一つで、逃れた信徒たちは戻ることはなかったと伝えられ、現教会堂は解禁後に近隣や平戸、下五島などから移住してきた信徒たちによ...
新上五島町の中でも見学者が多い人気スポット、青砂ケ浦教会堂。鉄川与助が手がけたレンガ造りの教会堂で、国指定重要文化財です。また、青方教会堂は、島外ではあまり知られていませんが、実は上五島の中心的な存在で、カトリックセンターの役割も担っています。今...
新上五島町は明治期から昭和初期にかけて教会建築に多大な功績を残した大工棟梁・鉄川与助の出身地。島内のあちこちに、鉄川ゆかりのスポットや教会堂が存在します。今回は、有川港のターミナルから丸尾教会堂に立ち寄り、鉄川が生まれ住んだ居宅跡を訪ねました。
前回から引き続き頭ヶ島集落を散策。今回は、キリシタンゆかりの前田家の墓地がある福浦地区と南岸の田尻地区へ足をのばしてみました。キリシタンが拓いた田尻地区も石積みの風景が印象的です。上五島の各地で見られる五島石を使った石積みは、外海から渡ったキリシ...
今回は、世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産にもなっている頭ヶ島集落の中の白浜地区を訪ねました。集落のシンボル的な存在の頭ヶ島天主堂は、全国的にも珍しい石造りの教会堂。堂内は花の装飾が特徴的であるため「花の御堂(はなのみどう...
久しぶりに上五島を訪ねました。鯛ノ浦教会堂は、清らかなルルドの泉に心が安らぐ上五島を代表する巡礼スポット。そこから車で25分の場所にあり、頭ヶ島にも近い友住集落は、国の重要文化的景観「崎浦の五島石集落景観」に属する集落で、美しい石畳や石積みの風景が...
新元号「令和」の出典となったことで注目されている万葉集。県内では五島市三井楽町が万葉の里として有名です。また、三井楽町は大村藩から移住した潜伏キリシタンが信仰を守り続けた地であり、禁教期に捕らえられたキリシタンを収容した牢屋跡地なども残されています。
教会堂が多い五島市の中で、最も信徒数が多く、市内の教会の中心的な役割も担っている福江教会堂。美しい白亜のコンクリート造りの教会堂は、いつ見ても清々しく、荘厳な雰囲気を醸し出しています。今回は福江教会堂を見学した後、富江町経由で三井楽へ足をのばして...
この地に移住した潜伏キリシタンが山を開墾し田を広げたことから、繁敷は「山ン田」と呼ばれ流ようになりました。最初の教会は山のふもとに建てましたが火事で焼失。再建した教会もダム建設で取り壊され、多くの信徒が島外に移住。残った信徒が山奥のわずかな土地に...
嵯峨島は貝津の西方沖合に浮かぶ周囲12kmの小さな島。島民の3分の1はカトリックで、先祖は、江戸時代に大村藩から逃れてきた潜伏キリシタンです。復活後、最初は信徒の家を利用してミサが捧げられていましたが、1918年に教会堂が完成。今回は、今年10月に創建100周年...
外海から移住した信徒の子孫によって1924年に建てられた貝津教会堂。五島市三井楽町にある3つの教会堂のうちの一つで、1952年に岳小教区から独立し貝津小教区となりました。1962年に大幅な増改築がなされたものの創建当時の面影が残る素朴な木造教会。美しいステン...
福江教会は、明治以降、旧福江城下に五島各地から信徒が集まり、1914年に堂崎小教区から独立。現在、下五島地区では信徒数が最も多く、市内の教会の中心的な役割も担っています。現教会は、1962年建立。同年の福江大火では街中が被害にあいましたが、この教会だけは...
江戸時代に建てられた武家屋敷の石垣が残る五島市の武家屋敷通り。周辺には、五島高校や福江文化会館、五島市図書館、五島観光歴史資料館があり、五島市の文化ゾーンとなっています。今回は、キリシタン関係の展示がリニューアルしたという五島観光歴史資料館を訪ね...
下五島にキリシタン弾圧の嵐が吹き荒れた明治初期、打折(うちおり)の信徒も捕えられ、水ノ浦の牢に入れられました。解禁後、打折の集落には長い間教会堂がなく、信徒たちは日曜のミサに参加するため、徒歩で2時間かけて楠原教会堂に行くか、船を漕いで水ノ浦教会...
井持浦教会が建っている玉之浦一帯は、五島に迫害の嵐が吹き荒れた明治初期、唯一迫害を逃れた地区です。島の中心地から非常に遠い場所にあったこと、当時、玉之浦では藩の財政に重要な塩の生産(キリシタンが従事)が行われていたことなどが、迫害を逃れた要因では...
五島市の中心市街地から車で約1時間。絶景の地、大瀬崎断崖(灯台)からほど近い玉之浦町の中心地に位置する玉之浦教会堂。仏教徒が多い玉之浦港付近に移住した信徒のために1962年に建てられました。車を停めて、漁船が停泊するのどかな海岸沿いを散歩しました。
福江島の北西部にある半泊(はんどまり)集落。江戸末期、大村藩から数家族の潜伏キリシタンがやってきましたが、全員が住み着くには狭すぎたため、半数だけがここにとどまったことから「半泊」と呼ばれるようになったと言われています。そこからさらに北へ進み、間...
奥浦地区の宮原は、大村藩から移住したキリシタンが潜伏した集落の一つ。復活後は1885年にペルー神父が巡回しミサを捧げ、当時の総代など十数人が洗礼を受けたと伝えられています。現在の教会堂は昭和45年に信徒たちが資金を出しあって改築、今も大切に守られています。
1797年以降、五島へ移住した潜伏キリシタンは、六方の浜に上陸後、奥浦地区では平蔵、浦頭、宮原、大泊、堂崎、観音平、半泊、間伏などに住み着きました。それぞれ苦労しながら信仰を守り続け、明治になって禁教の高札が撤廃されるとカトリックに復帰。奥浦地区は、...
楠原地区は、大村藩から移住した潜伏キリシタンの第一陣が開墾したといわれる土地の一つ。五島崩れの際は楠原の信徒たちも捕らえられ、牢で苦難の日々を過ごしました。1912年に建立した楠原教会堂は、どっしりとしたレンガ造り。その重厚感は、信徒たちが命をかけて...
江戸時代末期、大村藩から五島に移住した潜伏キリシタンのうち、水ノ浦には5人の男性とその妻子が移住しました。信徒発見後、同年11月には信徒の代表がプチジャン神父と面会。厳しい弾圧を経てカトリックに復帰し、明治13年に最初の教会堂が完成、現在の教会堂は昭和...
上五島(ごとう)には29の教会堂があり、その一つひとつに独自の歴史が息づいています。今回のぶらり旅は少々急ぎ足でしたが、海を渡ってこの地に移り住んだ人々の想いにもふれることができました。最後は高井旅(たかいたび)教会堂、福見(ふくみ)教会堂、浜串(...
日島(ひのしま)から有福(ありふく)島、若松(わかまつ)島を通って再び中通(なかどおり)島に入り、桐(きり)教会堂、高井旅(たかいたび)教会堂を訪れました。外海(そとめ)から移り住んだ人々が信仰を守り続けたのは美しい入江や海岸が見える場所でした。
土井ノ浦(どいのうら)教会堂にあるカリスト記念館、風の聖母ルルドを訪れたあと、車を北西に走らせて有福(ありふく)教会堂へ。さらにそこから日島(ひのしま)に向かい、約70基の石塔が並ぶ壮大な景観を楽しみました。
中ノ浦(なかのうら)教会堂から若松大浦(わかまつおおうら)教会堂、若松大橋を渡って土井ノ浦(どいのうら)教会堂へ。徐々にピッチが上がってきた教会堂めぐりもいよいよ中通(なかどおり)島から若松島へとたどり着きました。
猪ノ浦(いのうら)教会堂から焼崎(やきざき)教会堂、真手ノ浦(まてのうら)教会堂、中ノ浦(なかのうら)教会堂へ。人里離れた静かな入江のそばに建つ教会堂は、海とともに生きる信徒たちにとってこの上ない心休まる祈りの場だったのでしょう。
跡次(あとつぎ)教会堂がある高台から上五島(ごとう)石油備蓄基地を望み、教会堂の下にある共同墓地へ。そこから山道を通って猪ノ浦(いのうら)教会堂を訪れました。ここにも共同墓地あり、供えられた花々に信徒の皆さんの厚い信仰と優しい想いを感じたのでした。
信徒の集団移転によりつくられた大規模な青方(あおかた)教会堂、造形美に優れたレンガ造りの大曽(おおそ)教会堂を訪れ、五島(ごとう)うどんやかんころ餅など地元の特産品も販売している農林水産直売所へ。さらに跡次(あとつぎ)教会堂をめざしました。
矢堅目(やがため)の夕陽が見える場所から移動して冷水(ひやみず)教会堂を訪れ、矢堅目公園へ。大自然がつくりだす造形美を楽しんだあとは、宿舎で五島(ごとう)列島ならではのグルメを味わいました。
米山(よねやま)教会堂から足を伸ばして津和崎(つわざき)灯台へ。風は強くて冷たいけれど、紺色の海に浮かぶ島々の景色は素晴らしい。灯台から南に向かう車から見えた野崎(のざき)島。険しい山道を歩いて訪れた舟森(ふなもり)集落跡の思い出がよみがえってき...
江袋(えぶくろ)教会堂から赤波江(あかばえ)教会堂、仲知(ちゅうち)教会堂へ。比較的自然条件に恵まれた平地や、湧き水のある場所を見つけて移住しようとした信徒たち。しかし、信仰を守るためにはあえて厳しい山間地を選ばざるを得なかったのかもしれません。...
国選定重要文化的景観にもなっている北魚目(きたうおのめ)。漁業集落と農業集落という二つの対局的な景観の中に、カトリック復帰後の人々が待ち望んだいくつかの教会堂があります。大水(おおみず)教会堂から小瀬良(こぜら)教会堂、江袋(えぶくろ)教会堂を訪...
青砂ヶ浦(あおさがうら)教会堂から曽根(そね)教会堂、大水(おおみず)教会堂をめぐった今回のぶらり旅。ちょっと急ぎ足でしたが、心休まるルルドを訪れ、おいしいランチをいただき、東シナ海の絶景を堪能した大満足のコースでした。
旧鯛ノ浦(たいのうら)教会堂から丸尾(まるお)教会堂、そして青砂ヶ浦(あおさがうら)教会堂へ。丘の上に建つ教会堂のもう一つの魅力は、そこから眺める家々と海の風景。人々の営みの中に “祈り”が息づいています。
いくつかの顕彰碑をめぐってブレル神父やドミンゴ森松次郎に想いを馳せたあと、旧教会堂の下にある鯛ノ浦(たいのうら)教会堂へ。そこから悲しい歴史が刻まれた共同墓地へと向かいました。
長崎(ながさき)港から船で新上五島(ごとう)町の鯛ノ浦(たいのうら)港へ。そこから車で約5分、多くの観光客や巡礼者が訪れる旧鯛ノ浦教会堂を訪れました。
牢屋(ろうや)の窄(さこ)殉教地から浜脇(はまわき)教会を訪れたあと、海上タクシーで田ノ浦(たのうら)港から奥浦(おくうら)港へ。今回のぶらり旅の締めくくりは浦頭(うらがしら)教会でした。
旧五輪(ごりん)教会から風情のある蕨(わらび)地区を通って、五島(ごとう)崩れの発端の地、牢屋(ろうや)の窄(さこ)殉教地へ。悲しい歴史を物語る場所には椿(つばき)が描かれた石のオブジェがありました。
山道を10分ほど歩くと、旧五輪(ごりん)教会が見えてきます。古い学び舎を思わせる素朴な聖堂で海の音を聞きながら、しばし静かな時間を過ごします。
三井楽(みいらく)町から奥浦(おくうら)港に向い、海上タクシーで久賀島(ひさかじま)田ノ浦(たのうら)港へ。そこからタクシーに乗って島を走り、さらに山道を歩いて旧五輪(ごりん)教会をめざします。
貝津(かいつ)教会から井持浦(いもちうら)教会を訪れ、日本初のルルドを見学し、高浜(たかはま)海水浴場、頓泊(とんとまり)海水浴場を見おろす丘へ。美しい五島(ごとう)を感じる旅が続きます。
地元の皆さんが6年かけて制作した三井楽(みいらく)教会のステンドグラス。隣接する雑木林から木材を切り出してつくった貝津(かいつ)教会。地域らしさが息づく二つの祈りの場をめぐります。
長崎(ながさき)港から高速船で五島(ごとう)列島福江(ふくえ)島へ。おいしいラーメンを味わったあと、ステンドグラス工房に立ち寄り、三井楽(みいらく)教会を訪れました。