おらしょ こころ旅

五島列島

真手ノ浦から佐野原へ

2019年10月23日 公開

10-4-0

島内のどこを走っても教会堂にたどり着く新上五島町。小さな集落にも大切に守られている教会堂があります。今回は、遣唐使船の歴史も残る道土井湾の近くにある真手ノ浦教会堂から洋上石油備蓄基地を見下ろす高台に建つ跡次教会堂、そして上五島では珍しい山に囲まれた佐野原教会堂を訪ねました。

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ルート紹介
三日浦憩いの広場

あまりにも美しい入江で、思わず立ち寄ってしまいました。「三日浦」(みかのうら)という珍しい地名の由来は、その昔、遣唐使船が3日間滞在したことからついたと言われています。入江に面してウッドデッキが敷かれ、小さな公園になっています。

住所
電話番号
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料金
営業時間
休日
5分
真手ノ浦教会案内板

国道から真手ノ裏集落に入る入り口にある案内板。これを目印に山手に登っていくと、教会堂にたどり着けます。教会へ向かう途中に、かつての祈り場と伝えられる「オラショ館」があるということでしたが、見つけられませんでした。残念。

住所
電話番号
URL
料金
営業時間
休日
2分
真手ノ浦教会堂

外海地方から移住した潜伏キリシタンが開いた集落に建つ、2010年に建て替えられた白亜の教会堂。水産業を生業とした家が多いため、漁船の豊漁を願う気持ちも込められているそうです。正面にあるマリア像もきれいでしたよ。

住所 南松浦郡新上五島町今里郷495-2
電話番号
URL
料金
営業時間
休日
10分
跡次教会堂(1)

国道から山手に入ると、白い外壁の跡次教会堂が見えました。手前に教会墓地も整備されています。国道からすぐの場所にあるので、高齢者の方も気軽に墓参りができていいですね。

住所 南松浦郡新上五島町跡次
電話番号
URL
料金
営業時間
休日
徒歩 すぐ
跡次教会堂(2)

緑の中の高台にそびえ立つ白亜の跡次教会堂。青い空に映えてとてもきれいです。さっそく長い石段を登ると、教会堂からの眺望は最高でした。見学しやすいようにスペースも設けてあり、世界初の洋上石油備蓄基地も見えましたよ。

住所
電話番号
URL
料金
営業時間
休日
8分
佐野原教会堂への山道

今回の上五島の取材では初めての山道。緑の中を、奥へ、奥へと走りました。今でこそ車で行けますが、キリシタンが潜伏していた時代は、相当大変な道のりだったと想像できます。

住所
電話番号
URL
料金
営業時間
休日
5分
佐野原教会堂(1)

やっと着きました。教会堂の前の小さな公園が心を和ませてくれます。五島では数少ない海の見えない山奥にある教会堂で、マイナスイオンいっぱいの気持ちのいい環境です。

住所 南松浦郡新上五島町東神ノ浦郷佐ノ原
電話番号
URL
料金
営業時間
休日
徒歩 すぐ
佐野原教会堂(2)

こちらも外海地方から移住してきた潜伏キリシタンが先祖。集落の全てがカトリックで、最初は信徒の家を御堂にして祈りを捧げていたそうですが、1950年に小さな教会堂が建てられ、それも手狭になったので現在の教会堂が1963年に建てられました。

住所
電話番号
URL
料金
営業時間
休日
30分
五島うどんの里(1)

教会堂めぐりの後は腹ごしらえ。有川に戻ってきて、五島うどんの店へ。敷地内に観光物産センターもあるので、お土産もここでゲット。五島手延うどんのほか、かんころ餅や羊羹、鯨など、上五島には美味しいものがたくさんありますね。

住所 南松浦郡新上五島町有川郷428-31
電話番号
URL
料金
営業時間
休日
徒歩 すぐ
五島うどんの里(2)

コクのある上品なアゴだしスープでいただくツルツルの五島うどんは、いつ食べても美味しいですね。上五島というよりも、長崎県民のソウルフードになりつつあるかもしれません。漬け丼とセットでいただき、満足でした。

住所
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料金
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休日

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  • 楠原教会堂を訪ねて

    楠原地区は、大村藩から移住した潜伏キリシタンの第一陣が開墾したといわれる土地の一つ。五島崩れの際は楠原の信徒たちも捕らえられ、牢で苦難の日々を過ごしました。1912年に建立した楠原教会堂は、どっしりとしたレンガ造り。その重厚感は、信徒たちが命をかけて...

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  • 中通島から若松島へ

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  • 穏やかな入江のそばの聖堂

    猪ノ浦(いのうら)教会堂から焼崎(やきざき)教会堂、真手ノ浦(まてのうら)教会堂、中ノ浦(なかのうら)教会堂へ。人里離れた静かな入江のそばに建つ教会堂は、海とともに生きる信徒たちにとってこの上ない心休まる祈りの場だったのでしょう。

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  • 三つの教会堂めぐり

    信徒の集団移転によりつくられた大規模な青方(あおかた)教会堂、造形美に優れたレンガ造りの大曽(おおそ)教会堂を訪れ、五島(ごとう)うどんやかんころ餅など地元の特産品も販売している農林水産直売所へ。さらに跡次(あとつぎ)教会堂をめざしました。

  • 大自然の造形美を堪能

    矢堅目(やがため)の夕陽が見える場所から移動して冷水(ひやみず)教会堂を訪れ、矢堅目公園へ。大自然がつくりだす造形美を楽しんだあとは、宿舎で五島(ごとう)列島ならではのグルメを味わいました。

  • 紺色の海に浮かぶ島々

    米山(よねやま)教会堂から足を伸ばして津和崎(つわざき)灯台へ。風は強くて冷たいけれど、紺色の海に浮かぶ島々の景色は素晴らしい。灯台から南に向かう車から見えた野崎(のざき)島。険しい山道を歩いて訪れた舟森(ふなもり)集落跡の思い出がよみがえってき...

  • 山間に建つ赤い屋根の教会堂

    江袋(えぶくろ)教会堂から赤波江(あかばえ)教会堂、仲知(ちゅうち)教会堂へ。比較的自然条件に恵まれた平地や、湧き水のある場所を見つけて移住しようとした信徒たち。しかし、信仰を守るためにはあえて厳しい山間地を選ばざるを得なかったのかもしれません。...

  • 文化的景観の中にたたずむ教会堂

    国選定重要文化的景観にもなっている北魚目(きたうおのめ)。漁業集落と農業集落という二つの対局的な景観の中に、カトリック復帰後の人々が待ち望んだいくつかの教会堂があります。大水(おおみず)教会堂から小瀬良(こぜら)教会堂、江袋(えぶくろ)教会堂を訪...

  • 東シナ海の絶景に酔いしれて

    青砂ヶ浦(あおさがうら)教会堂から曽根(そね)教会堂、大水(おおみず)教会堂をめぐった今回のぶらり旅。ちょっと急ぎ足でしたが、心休まるルルドを訪れ、おいしいランチをいただき、東シナ海の絶景を堪能した大満足のコースでした。

  • 丸尾教会堂から青砂ヶ浦教会堂

    旧鯛ノ浦(たいのうら)教会堂から丸尾(まるお)教会堂、そして青砂ヶ浦(あおさがうら)教会堂へ。丘の上に建つ教会堂のもう一つの魅力は、そこから眺める家々と海の風景。人々の営みの中に “祈り”が息づいています。

  • ブレル神父の足跡

    いくつかの顕彰碑をめぐってブレル神父やドミンゴ森松次郎に想いを馳せたあと、旧教会堂の下にある鯛ノ浦(たいのうら)教会堂へ。そこから悲しい歴史が刻まれた共同墓地へと向かいました。

  • 旧鯛ノ浦教会堂をめぐる

    長崎(ながさき)港から船で新上五島(ごとう)町の鯛ノ浦(たいのうら)港へ。そこから車で約5分、多くの観光客や巡礼者が訪れる旧鯛ノ浦教会堂を訪れました。

  • 田ノ浦港から奥浦港へ

    牢屋(ろうや)の窄(さこ)殉教地から浜脇(はまわき)教会を訪れたあと、海上タクシーで田ノ浦(たのうら)港から奥浦(おくうら)港へ。今回のぶらり旅の締めくくりは浦頭(うらがしら)教会でした。

  • 殉教地に描かれた椿

    旧五輪(ごりん)教会から風情のある蕨(わらび)地区を通って、五島(ごとう)崩れの発端の地、牢屋(ろうや)の窄(さこ)殉教地へ。悲しい歴史を物語る場所には椿(つばき)が描かれた石のオブジェがありました。

  • 聖堂に流れる静かな時間

    山道を10分ほど歩くと、旧五輪(ごりん)教会が見えてきます。古い学び舎を思わせる素朴な聖堂で海の音を聞きながら、しばし静かな時間を過ごします。

  • 久賀島へ上陸

    三井楽(みいらく)町から奥浦(おくうら)港に向い、海上タクシーで久賀島(ひさかじま)田ノ浦(たのうら)港へ。そこからタクシーに乗って島を走り、さらに山道を歩いて旧五輪(ごりん)教会をめざします。

  • 美しい五島を感じる

    貝津(かいつ)教会から井持浦(いもちうら)教会を訪れ、日本初のルルドを見学し、高浜(たかはま)海水浴場、頓泊(とんとまり)海水浴場を見おろす丘へ。美しい五島(ごとう)を感じる旅が続きます。

  • 地域らしさが息づく二つの教会

    地元の皆さんが6年かけて制作した三井楽(みいらく)教会のステンドグラス。隣接する雑木林から木材を切り出してつくった貝津(かいつ)教会。地域らしさが息づく二つの祈りの場をめぐります。

  • 福江港から三井楽教会へ

    長崎(ながさき)港から高速船で五島(ごとう)列島福江(ふくえ)島へ。おいしいラーメンを味わったあと、ステンドグラス工房に立ち寄り、三井楽(みいらく)教会を訪れました。

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