1549 - 1644
Histoire d'Oratio (1)
Époque de l'introduction du christianisme et son âge d'or
1645 -1853
Histoire d'Oratio (2)
Époque d'interdiction et de transmission secrète du christianisme
1854 -
Histoire d'Oratio (3)
Ouverture du Japon et « découverte des chrétiens »,
époque de la libération et de la résurrection
Histoire d'Oratio (2)
厳しい弾圧のなか、17世紀中頃までは全国各地に潜伏キリシタンがいたが、17世紀後期に発覚した郡(こおり)崩れ、豊後(ぶんご)崩れ、濃尾(のうび)崩れなどの大規模なキリシタン摘発事件により、潜伏キリシタンは主に長崎地方にのこるのみとなった。
潜伏キリシタンは、指導者のもとで日繰りによって祝い日や忌み日を守り、洗礼や葬送などの儀礼を行った。教会堂がないなかで彼らはひそかに「帳方(ちょうかた)」や「水方(みずかた)」などと呼ばれる指導者の家に集まって祈りや信仰儀式を行い、先祖の殉教地や墓地など彼らにとっての聖地を崇拝した。
やがてその信仰は日本的な様相を帯びるようになり、16世紀に伝わったラテン語、ポルトガル語の祈りの言葉「オラショ」はその発音がなまり、日本の民間信仰の影響を受けて変化しながらも先祖代々の儀式として受け継がれた。
18世紀末、五島(ごとう)藩の要請で大村(おおむら)藩外海(そとめ)地方の農民たちが五島列島へ移住した。人々は家族単位で狭い斜面を開墾して小さな集落をつくっていった。こうして五島列島に潜伏キリシタンの集落が形成されたのである。
(挿画:庄司好孝)
1797 | 外海地方から離島への移住が始まる |
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