キリスト教の伝来と繁栄の時代に登録されている登録資産の一覧です。
長崎県島原半島南部の海に突き出た丘陵を利用した城跡である。【登録資産グループ/原城跡】
住民が稲荷様としてまつる祠の周辺で発見されたキリシタン時代のものと考えられる墓地で、こぶし大の石が長方形に組まれている。
長崎県島原半島の南部にある。
1959年に国史跡となった半円柱の蓋石型のキリ…
キリシタン領主、籠手田氏が生月島を退去したのち、島のキリシタンの指導…
焼山という地名は、切り捨てたキリシタン信者を穴に放り込んで火をつけた…
イエズス会宣教師カミロ・コンスタンツォの殉教地である。
16世紀の宣教師の書簡に、十字架を立てた場所として記されている。
長崎で最初に建てられた教会堂の跡。「トードス・オス・サントス」はポル…
1571年、ポルトガル船が長崎に入港して以来、貿易を行っていたポルトガル…
江戸時代、禁教令による厳しい弾圧の中、外海地方の多くのキリシタンは潜…
外海キリシタンの信仰を集め、守り伝えられてきたキリシタンに関する伝承…
1614年に禁教令が出されて以降、キリシタンへの取り締まりはいっそう厳し…
1609年、ドミニコ会のフランシスコ・デ・モラーレス神父によって建てられ…
園明山(えんめいざん)正覚寺は、島原・天草一揆(しまばら・あまくさい…
口之津港は、古くから多数の船が交易に来る港であった。1562年、有馬義直…
加津佐川河口近くの左岸に開けた小高い砂丘上にあり、5基の墓碑と1点のキ…
海岸砂丘の防砂用松樹林の中に2基確認されている。
口之津町白浜海岸の砂丘上にある。
天草を遠望する海岸砂丘上、国道251号線側の吉川・下方共同墓地内にある。
日野江城跡にほど近い墓地の一角にある。
八良尾は、1588年から1595年の間に加津佐をはさんでセミナリオが2回設置さ…
なだらかな傾斜の広大な畑地の一角に5基が集められている。
現在、個人宅の外庭に立碑としてまつられている。
1986年、町内の尾上、力野、桜馬場に点在していた墓碑を集め、史跡公園と…
国道251号側の一角に御堂風の覆屋が建てられ、その中に4基の墓碑がある。
宮の本共同墓地の南側に墓碑群として集められ、現在は覆屋で保護されてい…
巡察師ヴァリニャーノの布教方針のもと、1580年に日本で初めてイエズス会…
中浦ジュリアンは有馬のセミナリヨ(神学校)で学び、伊東マンショ、千々…
近世大村藩に関する藩政文書を収蔵・展示している。
元和3年(1617)7月から同8年(1622)9月まで、長崎奉行所で捕えられ…
半円柱型(かまぼこ型)の伏碑を立て、本来は底であった部分を正面にした…
大村で最初にキリスト教の殉教者を出した場所。
長さ11.4cm・幅7.4cmの楕円形の青銅製メダリオン(大型メダル)で、図…
大村最大の日蓮宗寺院で、藩主大村家の菩提寺。
この像は、昭和57年に、天正遣欧少年使節がローマに派遣された天正10年(1…
坂口館とも呼ばれ、古くは大村家の重臣で庄頼甫
雲仙地獄は、 大叫喚、お糸、清七など30あまりの地獄があり、噴気孔から真…
波佐見町総合文化会館(ウエイブ・ホール)駐車場内に設置。
京都、大坂などで捕えられたキリシタン26名が長崎まで歩かされ、1597年2月…
左の低いほうは、上部に花十字、下部に「元和七年卯月一瀬志ゆ阿ん」の銘…
1597年2月4日、二十六聖人殉教の旅の途中、彼杵から小舟に乗って大村湾を…
永禄5年(1562)、横瀬浦は南蛮貿易港として開港された。ポルトガル船ととも…
1637(寛永14)年におきた、島原・天草一揆において、天草四郎を大将とする…
スペインのヴァレンシアに生まれたトルレスは、1538年メキシコに渡り、フ…
1569年10月3日付、ミゲル・バズの報告書簡によれば、「(前略)当地より8…
釜蓋城は、永禄12年(1569)に千々石大和守直員が築城した城。
有明海に面する多比良港から山手へ5キロほど行った小高い丘陵に金山…
高さ5m、直径10mの円墳状の塚。
畑の中の叢林にあ…
千々石ミゲルは、千々石城主であった千々石大和守直員の子である。
南串山池崎地区の畑の中にあったが、昭和の初め頃に民家裏庭に移され、そ…
島原・天草一揆の際、湯島には島原と天草の切支丹教徒らが集まり、湯島の…
板碑状であり、全体が整形されている。17世紀前半のキリスト教が盛んだっ…
沖田畷の合戦は、天正12(1584)年3月24日朝から佐賀の龍造寺隆信が2万5千…
山寺町、竜源山西方寺の共同墓地内にあるキリシタン墓碑(県指定史跡)
バチカン公式巡礼地の一つ。
元和5(1619)年ローマ教皇パウロ5世は、ジュビレウム(許しの年)の恵み…
安土桃山時代から江戸時代初期のキリシタン
松倉重政が島原城築城の頃、重罪人の首をはね、見せしめにさらし首とした…
天正遣欧少年使節に随行し、活版印刷の技術取得後、機械を日本に持ち帰り…
千々石ミゲルは天正遣欧使節の正使。帰国後イエズス会を脱会しキリシタン…
五島領主・宇久純定の病が日本人医師でありキリシタンであったディエゴの…
洗礼を受けた大村純忠は、1574(天正2)年に領内の寺社を破したとき、宝生…
大上戸川の中で、三城以前の中世大村氏の館や寺院があった一帯を本堂川と…
元々、1648(慶安1)年に長崎奉行の命で外国人など特殊な囚人のためにつく…
大村純忠が1564年(永禄7)年から居城としたところ。
浜の城は中世島原の港に隣接して築かれた。当地を領していた有馬氏の家臣…