禁教期の潜伏キリシタンが五島藩の開拓移民政策に従い、未開拓地に移住して自らのかたちで信仰を続けた集落である。外海地域から久賀島へ移住した潜伏キリシタンは、在来の仏教集落から離れた場所を開拓して集落を形成する一方、漁業や農業などの作業をともに行うことで仏教集落の住民とも互助関係を築き、ひそかに自らの信仰を続けた。「信徒発見」後、最後の弾圧を乗り越えてカトリックへと復帰し、解禁後は各集落に新たに教会堂を建て、その伝統は終わりを迎えた。
かつては、30戸あまりの信徒がいたが、今は3戸の家で教会を維持している五輪の墓地。墓碑を建てるまでの目印として丸い石を集めて置いている土葬の墓は、古代遺跡のようにも見える。
この場所は細石流教会堂の跡地です。細石流集落では、解禁後においても立地環境の関係で、すぐには教会堂が建てられませんでした。1920年になって集落を見下ろす山頂付近のこの場所に木造の教会堂が建てられました。1969年に他の教会堂との統廃合により廃堂となり、その後の台風被害により倒壊しました。
築年代1880年頃の古民家です。旧所有者の藤原家は久賀を代表する旧家で、…
1868年(明治元年)、自らの信仰を告白した久賀島のキリシタンたちが捕え…