生活、生業に根差した身近なものをキリシタンの信心具として代用することにより、漁村特有の信仰をひそかに続けた潜伏キリシタンの集落である。禁教期の﨑津集落では、指導者を中心として自分たち自身で信仰を続ける過程で、大黒天や恵比須神をキリスト教の唯一神であるデウスとして崇拝し、アワビの貝殻の内側の模様を聖母マリアに見立てるなど、漁村特有の信仰形態がはぐくまれた。解禁後、﨑津集落の潜伏キリシタンはカトリックへと復帰し、禁教期に祈りをささげた神社の隣接地に教会堂を建て、その伝統は終わりを迎えた。
大漁、海上安全祈願のため、1647年に創建されたとされ、境内には1685年銘の鳥居が現存するなど、当初の境内の配置が現在ものこっている。【登録資産グループ/天草の﨑津集落】
キリスト教解禁直後に﨑津の大工によって最初の木造教会堂が建設されたのち、ハルブ神父の指導のもと、現教会堂が鉄川与助の設計・施工により1934年に建てられた。【登録資産グループ/天草の﨑津集落】
明治時代のキリスト教解禁後、1888年に最初に建てられたカトリック教会堂の跡地。禁教期に信者が祈りを唱えていた﨑津諏訪神社の隣接地に所在。1934年の現﨑津教会への移転までの間、信仰のよりどころとなった。現在は石垣や、昭和30年代に建築された修道院の建物が残っている。
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