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1636年の出島の完成とともに、ポルトガル人は国外へ追放され、宣教師の入国も禁止された。指導者である神父がいないなか、キリシタンは自らで信仰を守り伝える潜伏時代へ。厳しい弾圧に耐え、仏教徒を装いながら生き続けた。
島原・天草一揆で原城に立て籠もった一揆軍が幕府側に放った矢文が現存
一揆に至った心情などが綴られている
1613年、棄教を迫られた口之津の42名のキリシタンが残した連判状が、ヴァチカン図書館に保管されている
ヨハネ五島は神父の身代わりとなって殉教
その遺骨は奇跡の再会後、五島に里帰りした
キリシタンを祀る神社は日本でも珍しい。
枯松神社では年に一度、キリスト教と仏教、かくれキリシタンが、共に祈りを捧げる。
出島に収容されたオランダ人が催した年に一度の大宴会「阿蘭陀冬至」は、実はクリスマスのお祝だった。
墓石の取調べは厳しく、疑わしいものはすべて破壊された。
以降、自然石を置いただけの文字も模様もない墓に葬った。
明治時代、五島崩れは久賀島から始まる。
諸外国から強く非難された政府は、やがてキリシタン信仰を認めた。
1597年、宣教師や信徒ら26人が長崎の西坂の丘で十字架に処せられた。
最年少は12才だった。
潜伏キリシタンたちは先祖からの言い伝えを固く忠実に守り継いでいた。
そして、予言通りに神父はやってきた。