探访基督教相关历史文化遗产群,游览新奇刺激的周边景点的发现之旅。轻松惬意地信步而行吧!
2024.10.30
天正遣欧少年使節は、天正10年(1582)、大村純忠、有馬晴信、大友宗麟の3人のキリシタン大名の使節として4人の少年が選ばれ、ローマを訪問。ローマ教皇に謁見し、各地で歓迎を受けながら、ヨーロッパの新しい知識を身につけ帰国しました。大村純忠の出身地である大...
2024.10.23
禁教期に郡崩れという大きな弾圧事件があった大村には、その殉教にまつわる史跡やスポットが点在しています。そのどれもが今も大切にされていて、今回久しぶりにおとずれた地の殉教碑もきれいに化粧直しされていました。改めて殉教の地を巡ると、今の平和な暮らしが...
2024.10.16
日本初のキリシタン大名、大村純忠の居城があった現在の大村市には、キリシタンにまつわる史跡やスポットなどがたくさんあります。今回は西九州新幹線の開通で新しく建設された新大村駅から、カトリックの植松教会や郡崩れゆかりの首塚などを訪ねます。
2024.10.9
今から450年ほど前、日本初のキリシタン大名として名を馳せ、横瀬浦や長崎を南蛮貿易港として開いた戦国大名、大村純忠。幾度となく戦乱に巻き込まれ波乱な人生を送りました。今回は、純忠が亡くなるまでの数年を静かに過ごしたと言われる居宅跡を訪ねながら、キリス...
2024.10.2
平山亀吉とは、明治初期に建てられ世界遺産の構成資産の一つでもある旧五輪教会堂を作った大工で、教会建築を学ぶために長崎の大浦天主堂にも出向いています。その平山亀吉の名前が刻まれた石灯篭がある田之浦神社や久賀島のカトリックのシンボルである浜脇教会を見...
2024.9.25
前回訪ねた旧藤原邸(現在の久賀島観光交流拠点センター)のお庭を拝観後、禁教期に絵踏みが行われた猿田彦神社を参拝。その後、1868年(明治元年)、久賀島内の信徒たちが捕らえられ、残酷な責め苦を受けた牢屋の窄殉教記念教会を対岸に眺めながら、久賀島におけるキ...
2024.9.18
「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産の一つである久賀島を一望するのが折紙展望台。島の住民がコツコツと手作りしたという、郷土愛が詰まった展望台です。また、久賀島観光交流センターは久賀島の旧家、藤原家のお屋敷を活用したもので、風情ある...
2024.9.11
「映画けいおん!」や「映画 聲の形」等のヒット作を手掛けたアニメ―ション監督・山田尚子の最新作『きみの色』が8月30日より全国公開中。映画には、長崎県ならではの景色がモデルとなって多数登場しますが、今回はその中から主人公たち3人のバンドの練習場所として...
2024.9.4
浦上地区のラストは、浦上街道沿いの山王神社へ足を延ばしました。被爆クスノキや被爆して1本になった二の鳥居などが有名ですが、その昔、豊臣秀吉の時代には、キリスト教の弾圧を受けた26人の信徒や聖職者たちが処刑される西坂へと向かう途中に休憩をとった場所とい...
2024.8.28
浦上地区には、日本に蒔かれたキリスト教の種が250年の厳しい迫害に堪えて長崎で復活した歴史と原爆が落とされた第二の都市であるという二つの歴史があります。その二つの歴史を紹介した資料館が浦上キリシタン資料館。浦上を訪れたなら、ぜひ足を運んでほしいスポッ...
2024.8.21
8月の平和記念式典前日、世界平和を発信する平和公園を訪ねました。それから原爆遺構が数々残る浦上天主堂へ。戦争や宗教弾圧の無い平和な日々のありがたさを改めて感じながら、さんさんと輝く太陽の下を歩きました。
2024.8.14
隣人愛による恒久平和を訴え、願い続けた永井隆博士は、潜伏キリシタンの末裔である妻と出会ったことで自らもカトリックとなりました。今回訪れた浦上地区の山里小学校は原爆遺構が残る他、永井隆作詞の「あの子」を今も歌い継いでいます。
2024.8.7
外海の出津集落は、潜伏キリシタンゆかりの地であり、明治初期に赴任したフランス人のド・ロ神父が信徒たちの暮らしを助けるために生涯をかけてさまざまな貢献をした地でもあります。また、作家・遠藤周作の代表作「沈黙」の舞台としても知られています。
2024.7.31
バスチャンは伝説の日本人伝道士で、外海や浦上や五島の人々が日繰りや予言などを残した人物として語り伝えられている人物です。今回は、バスチャンが役人に見つからないように隠れていたと言われる屋敷跡へ足をのばしてみました。蒸し暑い夏の日、森の中のひんやり...
2024.7.24
明治初期、キリスト教が解禁されたばかりの外海へ赴任し、外海の貧しい人たちを救うために私財はもちろん、全身全霊を傾けたフランス人のド・ロ神父。外海にはド・ロ神父の功績がうかがえるたくさんのスポットがあります。そのスポットをめぐる前に、ド・ロ神父のお...
2024.7.17
江戸時代、長崎から遠く陸の孤島と呼ばれた外海には多くのキリシタンが潜伏し、信仰を守り続けました。江戸後期には、新天地を求めて3000人以上もの信徒が五島に移住し、そこからまた各地へ移り住んで行った信徒たちも多く、外海はキリシタンのふるさとと呼ばれてい...
2024.7.10
前回訪ねた平原キリシタン墓碑から車で約15分、西海市西彼町の亀浦郷、波静かな大村湾を望む小干浦の岬の突端に、一つのキリシタン殉教碑が立てられています。1624年、この地で殉教した四五郎左衛門親子の遺骨が眠っていて、日本で発見された唯一の殉教者の遺骨とさ...
2024.7.3
西海市は元々大村領だった地域で、大村純忠が開いた南蛮貿易港、横瀬浦や中浦ジュリアンのふるさと、中浦など、キリシタンの歴史が各地に息づいています。今回、田植えの美しい時期に訪れた西彼町のキリシタン墓碑も、今から400年以上前のものと思われる古いものです。
2024.6.26
時津港沖に浮かぶ鷹島は、キリスト教が禁止されていた1617年にナワレトとエルナンドの両神父と伝道師が処刑された地。今回は、その鷹島を眺めた後、そのような厳しい弾圧の中、密かに琴海の寺に身を寄せ、信徒たちを守ったといわれる大村純忠の娘、伊奈ゆかりの地を...
2024.6.19
古くは時津街道で賑わった地域であり、日本二十六聖人が京都から処刑地である西坂までを目指す途中、東彼杵から船で大村湾を渡り、時津港に上陸しました。時津港には二十六聖人が上陸したことを示す記念碑が立てられていますが、他にも時津にはキリシタンの歴史の足...