2023.2.15
今回から世界遺産巡礼ⅴ「キリスト教繁栄と島原・天草一揆の道」に入り、巡礼路28「かつての殉教の地は、外国人避暑地の人気ルートへ」を歩きます。禁教期、長崎で捕らえられたキリシタンの中には茂木港から船で小浜に運ばれ、処刑地の雲仙地獄まで、山道を歩いて登っ...
2023.2.8
今回は「キリシタン大名と少年使節の道」をテーマの最後、巡礼路27「天正遣欧少年使節、千々石ミゲルのふるさとを歩く」の後半をご紹介。千々石の海岸沿いを歩いた後、商店街を通ってゴールのミゲル像のある雲仙市千々石支所へ。その後、国道を通ってミゲルゆかりの...
2023.2.1
今回は「キリシタン大名と少年使節の道」をテーマの最後、巡礼路27「天正遣欧少年使節、千々石ミゲルのふるさとを歩く」の前半をご紹介。歩いたのは、1月の下旬、粉雪が舞い散る厳寒の日、北風に肩をすぼめながら海岸沿いを歩きました。でも歩いていると次第に体が温...
2022.8.10
世界遺産巡礼の道のⅣ「キリシタン大名と少年使節の道」は、大村純忠ゆかりの地や天正遣欧少年使節のふるさとを巡りながら、9つの市町を巡るコース。今回は、そのゴールとなる巡礼路27の唐比から千々石までのコースです。ゴールには真新しい世界遺産巡礼のモニュメン...
2022.3.9
島原半島の「世界遺産巡礼の道」の中で最もハードなコースが高岩山。雲仙の宝原園地から無数の鳥居をくぐりながら登り、下りは九州自然歩道の案内板を参考に、南島原市塔ノ坂(とうのさか)という小さな集落をめざして林道を進みます。頂上からは島原・天草一揆ゆか...
2022.3.2
島原半島はキリシタン大名の有馬氏の保護の元でキリスト教が栄えましたが、禁教期は各地で厳しい弾圧が行われました。その中の一つ、雲仙地獄では1627年、武士のパウロ内堀作右衛門ら26人が熱湯に投げ込まれ殉教。2008年、福者に列せられました。毎年5月には殉教祭も...
2022.2.23
1627年島原藩主・松倉重政は雲仙地獄の熱湯をキリシタンへの拷問に使用、長崎奉行・竹中采女正重義も長崎の牢に繋がれていたキリシタンを小浜経由で雲仙地獄に連行し、棄教するよう弾圧を加えました。雲仙殉教道は、小浜や口之津方面から登ってきた道が、合流する地...
2022.2.16
1629年7月、長崎で捕らえられ、茂木港から橘湾を渡ってきたキリシタンは、62名と言われ、小浜温泉街を通って処刑地の雲仙地獄まで歩いて連行されました。その道沿いには、今も「鬢串」や「耳採」など、キリシタンへの拷問をうかがわせる地名が残っています。
2022.2.9
禁教期、長崎で捕らえられ、茂木港から橘湾を渡ってきたキリシタンは、石合浜に降り立ったあと、温泉街を通って、処刑地である雲仙地獄への険しい山道を歩いて連行されました。途中の休憩所では、キリシタンは水を飲むことも許されなかったと伝えられています。今回...
2022.2.2
夕陽が美しいことでも知られる雲仙市小浜町。千々石町から海沿いを歩いて小浜の中心部を目指すと旧小浜鉄道の記念碑や、「緑のトンネル」とよばれる雰囲気の良い道路があります。海辺の道を抜けて国道を進むと、禁教期、長崎で捕らえられ、茂木港から橘湾を渡ってき...
2021.9.8
千々石は、天正遣欧使節の一人、千々石ミゲルの生誕地です。千々石ミゲルの本名は千々石純員で、父は有馬晴純の三男で、千々石淡路守直員。大村純忠の甥にあたり、有馬晴信とは従兄弟という関係です。今回はミゲルの父の直員が建てた釜蓋城の跡に建つ展望台や、千々...
2021.9.1
先週は、諫早市で天正遣欧使節に随行した少年、ドラードの像を見学に行きましたが、今週は天正遣欧使節の一人、千々石ミゲルの像を見学に、千々石を訪れました。「ミゲル」は洗礼名で、本名は千々石純員で棄教後は千々石清左衛門に改名。彼が一番輝いていた「ミゲル...
2020.9.30
南島原市内には100基を超えるキリシタン墓碑が確認され、そのうち有家町内の道路端や石垣、畑の中などに点在していた墓碑を集めたものが有家キリシタン史跡公園です。この地で最もキリスト教が栄えた天正年間(1573-1592)には2つの教会があり、住民は全員信徒だった...
2020.9.23
セミナリヨとは、イエズス会によって日本に設置された司祭・修道士育成のための初等神学校のことで、最初、日野江城下に置かれたセミナリヨは、秀吉のバテレン追放令などの影響を受け、有馬領内の八良尾(北有馬)に移転し、その後1595年に有家に移転しました。現在...
2020.9.16
南島原市加津佐町は、ルイス・フロイスの記録に「修院も学校も海に近い丘の上にある」などと記載があるように、かつてキリスト教が繁栄した町です。また、加津佐にあったコレジヨでは、日本で最初のキリシタン版『サントスの御作業の内抜書』が刊行されました。
2020.9.9
口之津港は、古くから多くの船が交易に来る港でしたが、1562年有馬義直(のちの義貞)によりポルトガル船の寄港地として許され、正式に南蛮貿易港として開かれました。1567年にポルトガル船3隻が入港し、また、キリシタン布教の拠点となり、天主堂も建てられました。
2020.9.2
戦国時代、島原半島を治めていた有馬義貞は弟の大村純忠が横瀬浦を開港した1562年に口之津を開港、1582年までポルトガルとの交易が行われました。宣教の拠点となった口之津には、イエズス会の巡察使ヴァリニャーノやアルメイダなども来航し、口之津を拠点に宣教活...
2020.8.26
1563年、アルメイダが島原半島で初めて口之津で250人に洗礼を授け、その4年後に南蛮船が入港。キリスト教は島原半島全体に広がり、口之津は布教の中心となったといわれています。その証ともいえるのが、各地から発掘、発見されているキリシタン墓碑。島原半島で発...
2020.1.29
長崎から﨑津集落をめざしたバス旅も、いよいよ今回がラスト。天草では﨑津集落の世界文化遺産登録を記念して3宗教巡拝の御朱印を頂くことができます。前回紹介した﨑津教会堂に続き、﨑津諏訪神社と仏教のお寺の普応軒をまわり、世界中でここしかない御朱印をゲッ...
2020.1.22
今回はいよいよ世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産である天草市の﨑津集落に到着。散策できる時間は3時間半ほどですが、まずは﨑津集落ガイダンスセンターで情報収集後、﨑津教会堂を見学し、すぐそばにある「﨑津資料館みなと屋」を...
2014.10.7