おらしょ こころ旅

ぶらり旅

島原・天草エリアのコース一覧

  • 2024年11月27日 公開

    秋の風景と有馬川の殉教地

    キリシタン大名有馬晴信の時代、南蛮貿易等で栄えた有馬の地(現在の南島原市)。長い間、宣教師たちの布教の拠点となりましたが、禁教期に入ってからは厳しい弾圧の舞台となりました。今回訪れた有馬川殉教地も棄教を拒否した有馬直純の3人の重臣とその家族が殉教し...

  • 2024年11月20日 公開

    セミナリヨの里に残るキリシタン墓碑

    南島原市は今から450年ほど前にキリスト教の教育機関、セミナリヨが設置された地区で、今もまちのあちこちにセミナリヨゆかりの場所があります。今回訪れた北有馬の八良尾もその一つ。近くには日本唯一となった自然石でできた石橋もあり、歴史のロマンを感じます。

  • 2024年4月3日 公開

    湯島の海岸線にある「原城スポット公園」へ

    原城から有明海を眺めると、正面にぽっかり浮かんでいるのが湯島(談合島)。その湯島に行くと、島原半島を望む海岸線に「原城スポット公園」という手作りの小さな空間があります。今回は、峯公園から海岸線を通って港へ戻るコースで、その途中に原城スポット公園に立...

  • 2024年3月27日 公開

    高山右近ゆかりの場所を通って、湯島の高台にある峯公園へ

    有明海の天草諸島と島原半島のあいだにある、1周約4キロの小さな湯島。島原・天草一揆の際、島原と天草のキリシタンが集まって戦略を練ったことから、「談合島」とも呼ばれているほか、戦国時代のキリシタン大名、高山右近ゆかりの地やキリシタン墓碑なども残ってい...

  • 2024年3月20日 公開

    島原・天草一揆ゆかりの鍛冶水盤が残る、談合島に上陸

    湯島は、島原・天草一揆の際、島原と天草の切支丹教徒らが集まり、湯島の峯の盆地で軍議や決起の準備を行ったといわれています。湯島に残る鍛冶水盤は、寛永14年(1637)10月24日に島原・天草一揆を起す際、軍評談合のかたわら、武器の製造のために鍛冶職人が鉄を鍛え...

  • 2024年3月13日 公開

    有明海を望む天草四郎ミュージアムで「愛の鐘」を鳴らして…

    伝説に包まれた天草四郎を中心に繰り広げられた島原・天草一揆。四郎の出身地である上天草市ではゆかりのスポットやモニュメントが各地にあります。その中でも天草四郎ミュージアム(旧天草四郎メモリアルホール)は、一揆が起きた歴史的背景などを映像と共にわかりや...

  • 2024年3月6日 公開

    雨上がりの崎津集落をぶらり

    島原・天草一揆で天草四郎が島原へ向けて乗船した地やキリスト教布教期の野呂々地区の教会跡などを訪ねた後、天草四郎ミュージアムへ向かう途中に崎津集落を訪ねました。海の香りがほんのり漂う集落を歩き、優美に佇む天主堂や風情ある崎津諏訪神社の境内などを眺め...

  • 2024年2月28日 公開

    かつてのキリシタン集落、都呂々を訪ねる

    熊本県南部の山奥に位置する熊本県天草郡苓北町都呂々町は、昭和31年に苓北町と合併するまでは都呂々村でした。現在は自然が豊かな山間の静かな集落に、500世帯、1200人ほどが暮らしています。訪れたのは2月の中旬、ちょうど暖かくなり始めた頃でした。

  • 2024年2月21日 公開

    鬼池港から天草四郎乗船の地へ

    今回から、天草・島原一揆の一揆軍のリーダー、天草四郎のふるさとでもある天草をぶらりと旅します。天草は、いたるところに天草四郎ゆかりのスポットがありますが、まず、鬼池港で天草四郎像にご対面。その後、海岸線を走り、天草四郎が富岡城攻撃をあきらめたあと...

  • 2024年2月14日 公開

    セミナリヨ・コレジヨの変遷を年代順にたどると…

    キリスト教が庇護された有馬晴信の治世下、セミナリヨとコレジヨが現在の南島原市に設置されていました。セミナリヨとは修道士育成のための初等教育機関(中学に相当)で、有馬、八良尾、有家に設置。コレジヨはキリスト教の聖職者を育成するための高等教育機関(大...

  • 2024年2月7日 公開

    有家のキリシタン墓碑とキリシタン処刑の地を訪ねて

    南島原市は貴重なキリシタン墓碑がたくさん残っているまちとして知られています。中でも有家地区にあるキリシタン史跡公園は市内から発掘されたキリシタン墓碑を集めた珍しい公園です。また、有家には禁教期に捕らえられたキリシタンが処刑された地も残されています。

  • 2024年1月31日 公開

    殿様道を通り、今村刑場跡で供養塔に手をあわせる

    島原往還沿いに今村処刑場が置かれたのは島原城築城の頃からで、重罪人の首をはね、見せしめの為にさらし首としていました。また、キリシタンを厳しく取締まった藩主・松倉重政がイタリア人宣教師ナバルロ神父、大村領信者56人の処刑など多くのキリシタン信者の処刑...

  • 2024年1月24日 公開

    水の都を散策しながら、見どころの多い島原教会堂へ

    現在島原市には70ヵ所を超える湧水地があり、その湧水量は一日20万tといわれています。まちのあちこちに清らかな湧き水が流れる風景に癒されながら歩くと、島原市唯一のカトリックの教会、島原教会堂があります。二十六聖人殉教から400年目の平成9(1997)年に新しく...

  • 2024年1月17日 公開

    島原純茂が築いた浜の城跡を訪ねた後、島原城下を散策

     島原といえば松倉氏が築いた島原城が有名ですが、キリスト教が伝わった戦国時代には、有馬氏の家臣島原純茂によって「浜の城」が港に隣接するように築かれていました。その後は、島津・有馬連合軍が龍造寺軍を破った「沖田畷合戦」の舞台の一つにもなりました。

  • 2024年1月10日 公開

    寒空の中、湯けむりを浴びながら雲仙地獄を散策

    2022年の土砂災害を乗り越え、新しいホテルや店もオープンしている雲仙。その中心の観光名所でもある雲仙地獄は、1627(寛永4)年から1631(寛永8)年まで雲仙の焦熱地獄で、キリシタンに信仰を棄てさせるための拷問と処刑がおこなわれた記録があります。今回は夕暮...

  • 2023年12月27日 公開

    夕陽を浴びた雲仙岳を背景に、殉教者を弔う雲仙教会堂へ

    前回、悲運ともいえるキリシタン城主、ジョルジュ結城弥平治の足跡をたどりながら金山城跡を訪れ、今回はその近くの狸山まんじゅうからスタート。雲仙殉教者の歴史が残る雲仙教会堂を訪れました。1627年から1632年まで、雲仙地獄は厳しい禁教政策の中、殉教の舞台と...

  • 2023年12月20日 公開

    歴史に翻弄されたジョルジュ結城弥平治の城跡を訪ねる

    有明海に面する雲仙市国見町の山手にある金山城跡(別名結城城跡)は、17世紀初頭、キリシタン城主として晩年を信仰に生きたジョルジュ結城弥平治によって築かれた山城です。秋晴れの中、美しい有明海の眺望や人気のスイーツも楽しながら、城跡を訪ねてみました。

  • 2023年12月13日 公開

    秋晴れの愛野町で、美術館、愛の駅を訪ねて教会へ

    1590年のフロイスの記録に千々石の司祭館の管轄にある「野井」という地は、現在の愛野教会がある一帯を指すと言われています。当時はキリスト教が栄えましたが、その後の禁教政策の中で信徒はいなくなったと言われています。今回は美術館や可愛い愛の駅などを訪ねた...

  • 2023年12月6日 公開

    県内屈指のバレイショ畑を眺めながら首塚古墳へ

    島原・天草一揆は1638年4月12日に一揆軍が全員討ち死して終焉を迎えましたが、一揆勢の首は3分割して、長崎の西坂と天草の苓北町富岡、そして雲仙市愛野町(旧愛津村)に埋祀したとも伝えられています。現在、その場所には小さな円墳があり、一揆の初め一揆軍とこれ...

  • 2023年4月12日 公開

    頼山陽公園から島原・天草一揆ゆかりの富岡城へ

    今回は、世界遺産巡礼ⅴ「キリスト教繁栄と島原・天草一揆の道」の巡礼路34の後編、頼山陽公園から島原・天草一揆のもう一つの舞台、富岡城を経由し、富岡港をめざします。富岡城内には、苓北町の歴史を紹介する展示物の他、キリスト教の迫害で処刑されたアダム荒川を...

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