おらしょ こころ旅

훌쩍 떠나는 여행

기독교 관련 역사문화유산군을 찾아가면서 호기심을 자극하는 주변 명소도 소개하는 발견 여행. 발이 가는 대로 마음이 가는 대로 자, 함께 가볼까요?

지역으로 부터 코스 알아 보기

  • 2017.12.6

    針尾瀬戸を眺めて早岐へ

    佐世保市の東南部にあり、昔から交通の要衝として栄えて来た早岐。2014年にJRの駅がリニューアルして以来、ますます便利な街になっています。今回は、そんな早岐に昭和30年代に創建された教会堂をたずねてみました。

  • 2017.11.29

    まだれいなの墓参り

    キリシタン信仰が盛んだった島原半島には100あまりのキリシタン墓碑が見つかっていますが、その中でも一番美しいとされているのが「まだれいなの墓」。その近くには沖田畷の戦いの前夜に龍造寺隆信が過ごしたという寺中(三会)城跡もあります。まだれいなのお墓参り...

  • 2017.11.22

    白土湖と眉山を望む島原教会堂へ

    島原半島にはキリシタン遺跡や殉教地などがたくさんありますが、島原・天草一揆でキリシタンが根絶されたこともあり、現在も教会堂の数は少なく、島原市内にあるのは島原教会堂のみ。別名は「島原半島殉教者記念聖堂」といいます。過去の悲しい歴史を偲びながら、訪...

  • 2017.11.15

    キリシタンゆかりの島原城へ

    1618年より、松倉重政が島原城の築城を開始。4万石の大名としては立派すぎる城であったため、民衆は多大な負担を強いられ、さらには2代目勝家の圧政、キリシタンへの迫害、飢饉も重なり、耐えかねた民衆は1637年の島原・天草一揆を起こしました。その発端となった島...

  • 2017.11.8

    殉教の歴史を刻む有明海

    禁教期、島原半島での厳しすぎるキリシタン弾圧で、領民から「悪魔」と呼ばれた松倉氏。徳川家光の時代になるとさらに激しさを増し、棄教しない領民への残虐な拷問が繰り返されました。今は静かで落ち着いた城下町の面影を残す島原市内で、刑場跡や殉教地を訪ねてみ...

  • 2017.11.1

    十字架が立つ金山城跡へ

    1602年、肥後(熊本)出身のキリシタンで武士の結城弥平次は、有馬晴信の招へいで国見の金山城の城主となり、布教活動が行われました。しかし、晴信の子、直純の時代になると弾圧が激しくなり、弥平次は家来や家族と共に追放され、金山城は廃城となります。秋の気配...

  • 2017.10.25

    打折峠から渕ノ元へ

    下五島にキリシタン弾圧の嵐が吹き荒れた明治初期、打折(うちおり)の信徒も捕えられ、水ノ浦の牢に入れられました。解禁後、打折の集落には長い間教会堂がなく、信徒たちは日曜のミサに参加するため、徒歩で2時間かけて楠原教会堂に行くか、船を漕いで水ノ浦教会...

  • 2017.10.18

    荒川から井持浦教会堂へ

    井持浦教会が建っている玉之浦一帯は、五島に迫害の嵐が吹き荒れた明治初期、唯一迫害を逃れた地区です。島の中心地から非常に遠い場所にあったこと、当時、玉之浦では藩の財政に重要な塩の生産(キリシタンが従事)が行われていたことなどが、迫害を逃れた要因では...

  • 2017.10.11

    玉之浦教会堂を訪ねて

    五島市の中心市街地から車で約1時間。絶景の地、大瀬崎断崖(灯台)からほど近い玉之浦町の中心地に位置する玉之浦教会堂。仏教徒が多い玉之浦港付近に移住した信徒のために1962年に建てられました。車を停めて、漁船が停泊するのどかな海岸沿いを散歩しました。

  • 2017.10.4

    半泊教会から間伏集落へ

    福江島の北西部にある半泊(はんどまり)集落。江戸末期、大村藩から数家族の潜伏キリシタンがやってきましたが、全員が住み着くには狭すぎたため、半数だけがここにとどまったことから「半泊」と呼ばれるようになったと言われています。そこからさらに北へ進み、間...

  • 2017.9.27

    戸岐大橋を渡って宮原教会堂へ

    奥浦地区の宮原は、大村藩から移住したキリシタンが潜伏した集落の一つ。復活後は1885年にペルー神父が巡回しミサを捧げ、当時の総代など十数人が洗礼を受けたと伝えられています。現在の教会堂は昭和45年に信徒たちが資金を出しあって改築、今も大切に守られています。

  • 2017.9.20

    五島カトリック復活の地・奥浦へ

    1797年以降、五島へ移住した潜伏キリシタンは、六方の浜に上陸後、奥浦地区では平蔵、浦頭、宮原、大泊、堂崎、観音平、半泊、間伏などに住み着きました。それぞれ苦労しながら信仰を守り続け、明治になって禁教の高札が撤廃されるとカトリックに復帰。奥浦地区は、...

  • 2017.9.13

    楠原教会堂を訪ねて

    楠原地区は、大村藩から移住した潜伏キリシタンの第一陣が開墾したといわれる土地の一つ。五島崩れの際は楠原の信徒たちも捕らえられ、牢で苦難の日々を過ごしました。1912年に建立した楠原教会堂は、どっしりとしたレンガ造り。その重厚感は、信徒たちが命をかけて...

  • 2017.9.6

    水ノ浦教会堂を訪ねて

    江戸時代末期、大村藩から五島に移住した潜伏キリシタンのうち、水ノ浦には5人の男性とその妻子が移住しました。信徒発見後、同年11月には信徒の代表がプチジャン神父と面会。厳しい弾圧を経てカトリックに復帰し、明治13年に最初の教会堂が完成、現在の教会堂は昭和...

  • 2017.8.30

    大島大橋を渡って(2)

    前回は大島の中心部をぶらっとしましたが、今回は島の西側の静かな漁師町にある太田尾教会堂をめざします。太田尾漁港付近から細い坂道をのぼった先にある美しい教会堂で、設計者は不明ですが、堂内の造りに特徴がある見応えのある教会堂です。

  • 2017.8.23

    大島大橋を渡って(1)

    大島のキリスト教の歴史は、文政年間(1820年頃)に外海地方の潜伏キリシタンが移住してきたことに始まりますが、解禁後にカトリックに復帰する人は少なく、少数の信徒が家御堂で礼拝行事を行っていました。ようやく信徒が増え、教会堂が創建されたのは昭和になって...

  • 2017.8.16

    中浦ジュリアンの故郷へ

    天正遣欧少年使節の一人、中浦ジュリアン。現在の西海市中浦に生まれ、有馬のセミナリヨで学んだあと、天正遣欧少年使節の副使に選ばれて渡欧。ヨーロッパ各地で大歓迎を受けたものの、帰国後は波乱
    の人生が待ち受け、最後は西坂で殉教しました。今回はジュ...

  • 2017.8.9

    R202を通って大瀬戸へ

    長崎から海沿いを走る国道202号線は、サンセットオーシャン202と呼ばれる人気のドライブルート。天気の良い日は、海の向こうに、かつて潜伏キリシタンが新天地を求めて移り住んだ五島列島が望めます。今回はR202を通って大瀬戸をめざします。

  • 2017.8.2

    赤岳のふもと、樫山地区へ

    バスチャンゆかりの神山として潜伏キリシタンに崇拝されていた赤岳のふもとにある樫山地区。江戸時代の樫山は、大村藩の西樫山と佐賀藩(深堀領)の東樫山に分かれ、比較的取り締まりが緩やかだった東樫山には多くのキリシタンが潜伏しました。

  • 2017.7.26

    もう一つの平和と祈りのゾーン

    8月の原爆記念日を前に、平和祈念館として開放されている城山小学校とその周辺を訪ねてみました。
    被爆当時この一帯はすべて焼け野原となりましたが、その後見事に復興を遂げました。このエリアにある城山教会堂は、市内屈指の美しい教会で、信徒数も2500人...