Un voyage de découverte, avec des visites de sites du patrimoine historique et culturel chrétien, mais aussi la découverte d`intéressants lieux dans les environs. Allez là où vos pieds et votre esprit vous mènent... et allez-y doucement !
2017.10.11
五島市の中心市街地から車で約1時間。絶景の地、大瀬崎断崖(灯台)からほど近い玉之浦町の中心地に位置する玉之浦教会堂。仏教徒が多い玉之浦港付近に移住した信徒のために1962年に建てられました。車を停めて、漁船が停泊するのどかな海岸沿いを散歩しました。
2017.10.4
福江島の北西部にある半泊(はんどまり)集落。江戸末期、大村藩から数家族の潜伏キリシタンがやってきましたが、全員が住み着くには狭すぎたため、半数だけがここにとどまったことから「半泊」と呼ばれるようになったと言われています。そこからさらに北へ進み、間...
2017.9.27
奥浦地区の宮原は、大村藩から移住したキリシタンが潜伏した集落の一つ。復活後は1885年にペルー神父が巡回しミサを捧げ、当時の総代など十数人が洗礼を受けたと伝えられています。現在の教会堂は昭和45年に信徒たちが資金を出しあって改築、今も大切に守られています。
2017.9.20
1797年以降、五島へ移住した潜伏キリシタンは、六方の浜に上陸後、奥浦地区では平蔵、浦頭、宮原、大泊、堂崎、観音平、半泊、間伏などに住み着きました。それぞれ苦労しながら信仰を守り続け、明治になって禁教の高札が撤廃されるとカトリックに復帰。奥浦地区は、...
2017.9.13
楠原地区は、大村藩から移住した潜伏キリシタンの第一陣が開墾したといわれる土地の一つ。五島崩れの際は楠原の信徒たちも捕らえられ、牢で苦難の日々を過ごしました。1912年に建立した楠原教会堂は、どっしりとしたレンガ造り。その重厚感は、信徒たちが命をかけて...
2017.9.6
江戸時代末期、大村藩から五島に移住した潜伏キリシタンのうち、水ノ浦には5人の男性とその妻子が移住しました。信徒発見後、同年11月には信徒の代表がプチジャン神父と面会。厳しい弾圧を経てカトリックに復帰し、明治13年に最初の教会堂が完成、現在の教会堂は昭和...
2017.8.30
前回は大島の中心部をぶらっとしましたが、今回は島の西側の静かな漁師町にある太田尾教会堂をめざします。太田尾漁港付近から細い坂道をのぼった先にある美しい教会堂で、設計者は不明ですが、堂内の造りに特徴がある見応えのある教会堂です。
2017.8.23
大島のキリスト教の歴史は、文政年間(1820年頃)に外海地方の潜伏キリシタンが移住してきたことに始まりますが、解禁後にカトリックに復帰する人は少なく、少数の信徒が家御堂で礼拝行事を行っていました。ようやく信徒が増え、教会堂が創建されたのは昭和になって...
2017.8.16
天正遣欧少年使節の一人、中浦ジュリアン。現在の西海市中浦に生まれ、有馬のセミナリヨで学んだあと、天正遣欧少年使節の副使に選ばれて渡欧。ヨーロッパ各地で大歓迎を受けたものの、帰国後は波乱
の人生が待ち受け、最後は西坂で殉教しました。今回はジュ...
2017.8.9
長崎から海沿いを走る国道202号線は、サンセットオーシャン202と呼ばれる人気のドライブルート。天気の良い日は、海の向こうに、かつて潜伏キリシタンが新天地を求めて移り住んだ五島列島が望めます。今回はR202を通って大瀬戸をめざします。
2017.8.2
バスチャンゆかりの神山として潜伏キリシタンに崇拝されていた赤岳のふもとにある樫山地区。江戸時代の樫山は、大村藩の西樫山と佐賀藩(深堀領)の東樫山に分かれ、比較的取り締まりが緩やかだった東樫山には多くのキリシタンが潜伏しました。
2017.7.26
8月の原爆記念日を前に、平和祈念館として開放されている城山小学校とその周辺を訪ねてみました。
被爆当時この一帯はすべて焼け野原となりましたが、その後見事に復興を遂げました。このエリアにある城山教会堂は、市内屈指の美しい教会で、信徒数も2500人...
2017.7.19
赤岳は長崎市樫山町にある、赤い岩肌が特徴の山。昔からバスチャンの椿があるキリシタンの聖地とされ、赤岳に三度お参りするとローマにお参りしたことになるという言い伝えもあった場所です。その赤岳を望む新長崎漁港付近に行ってみました。
2017.7.12
旧北松浦郡の町と松浦市は、かつて炭坑で栄えたまち。明治中頃、信徒の中にも、外海や黒島、五島などから働き口を求めて移住する人たちが増え、教会堂も建てられました。今回はかつての炭坑のまちに立つ教会堂を訪ねてみました。
2017.7.5
平戸市の古江湾を見下ろす山間に立つ古江教会堂。正直、「ぶらり」と行ける教会堂ではなく、山道を車で走っていて、何度も「この道かな?」と不安になりました。でも、たどり着いた教会は、今も信徒さんに大切に守られていることが実感できる教会堂でした。
2017.6.28
田平と平戸島をつなぐ平戸大橋。今回は、平戸大橋を通って2つの教会を訪ねてみました。どちらも明治中期からの信徒の移住によって創設された教会です。教会めぐりの合間に、平戸瀬戸を眺めながら、おいしいランチをいただきます。
2017.6.21
今回は、鉄川与助の教会建築の集大成とも言われる田平天主堂を訪ねました。天主堂が建つ瀬戸山地区は、1886年以降、黒島や外海から移住した信徒たちによって開拓された場所です。
2017.6.14
今回は佐世保市の中里皆瀬地区へ。江戸時代は平戸往還の中里宿が置かれ、賑わった場所です。明治以降は炭鉱が栄え(昭和中期に閉山)、住宅地の開発が進んだことで、キリスト教信徒も多く移住。1970年に地区の高台に皆瀬教会堂が建てられました。
2017.6.7
5月下旬から6月上旬まで「ながさき紫陽花まつり」が行われている中島川界隈。中島川を上流に向かってぶらぶら歩いていると、神社と隣同士の教会堂をはじめ、このエリアならではの長崎らしいスポットに出合えます。
2017.5.31
長崎を代表する観光スポット・眼鏡橋が架かる中島川界隈にもキリシタンゆかりの場所が残っています。5月下旬から6月初旬にかけて開催される「ながさき紫陽花まつり」を見ながら、ぶらりと歩きましょう。