おらしょ こころ旅

Balades

Un voyage de découverte, avec des visites de sites du patrimoine historique et culturel chrétien, mais aussi la découverte d`intéressants lieux dans les environs. Allez là où vos pieds et votre esprit vous mènent... et allez-y doucement !

Découvrir les circuits par région

  • 2021.3.31

    純忠が晩年を過ごした館跡から本経寺へ

    純忠は日本で最初のキリシタン大名となり、洗礼名をドン・バルトロメオといい、亡くなるまで敬けんなキリスト教信徒でした。晩年は、「坂口館」という大村家の館で、病とたたかいながらも、信仰の生活を送り、1587年に55歳の生涯を閉じました。本経寺は大村家の菩提...

  • 2021.3.24

    「三城七騎ごもり」の舞台、三城城跡

    戦国時代、大村純忠が築いたとされる三城城。1572年、武雄の後藤氏、諫早の西郷氏、平戸の松浦氏の1500人の連合軍から突如城を攻撃されるも、城にいた7人の武将と女、子どもら70余名の大奮闘で勝利しました。この出来事は「三城七騎ごもり」として語り継がれています...

  • 2021.3.17

    マリナ伊奈姫の墓参りのあと、ガラスの砂浜へ

    伊奈姫は、大村純忠の娘(洗礼名マリナ)で、家臣の浅田家に嫁ぎました。弾圧が激しくなると、浅田氏は大村藩の領地だった琴海の戸根に日蓮宗寺を装った庵をつくり、伊奈姫はそこで密かに宣教を行っていたと伝えられています。今回は、伊奈姫の墓を訪れたあと、天正...

  • 2021.3.10

    獄門所跡から首塚、胴塚へ

    大村市内にある殉教地の多くは、1657年(明暦3)、大村で603人の潜伏キリシタンが見つかった大事件「郡崩れ」に関係した場所です。今回訪ねた3ヶ所も、郡崩れで捕らえられて殉教した131人の処刑後の悲惨な出来事を今に伝えています。当時のキリシタン弾圧の厳しさを...

  • 2021.3.3

    放虎原殉教地から水主町教会堂へ

    3月は、日本初のキリシタン大名「大村純忠」の拠点であった大村の地を5週に渡ってご紹介します。純忠がキリシタンになったことで大村では領民のほとんどが信徒でしたが、徳川幕府のキリスト教禁止令(禁教令)によって、信徒たちは厳しい弾圧を受けることになりまし...

  • 2021.2.24

    井樋ノ尾峠下から福瑞寺へ

    1570年頃になると、古賀周辺は島原藩有馬氏の所領となり、古賀村にあった神社仏閣はなくなり、天主堂とキリスト教伝道所が建てられ、領民はこぞってキリシタンになっていきました。今回は、かつての佐嘉藩領(佐賀藩領)と天領古賀村の境を出発し、長崎街道を通って...

  • 2021.2.17

    長崎街道から古賀の殉教地へ

    1612年幕府の直轄領における禁教令以来、松倉豊後守重政が島原・古賀を支配下においてからは、徹底したキリシタン弾圧が行われました。古賀のキリシタンたちは捕らえられ、厳しい拷問を受け続けてもそれに耐え、殉教者たちは信仰を守り通して帰天しました。今回は、...

  • 2021.2.10

    長崎街道を歩いて東望殉教之碑へ

    1571年、長崎港が開港されると長崎もキリスト教が栄え、宣教を推進する島原の有馬氏の領地だった古賀・矢上など東長崎地区でも、神社や仏閣が焼き払われ、領主の庇護を受けてキリスト教徒は増加しました。しかし、禁教期に入ると多数の殉教者が出た場所でもあります...

  • 2021.2.3

    椿の花びらが散る、小峰のルルドへ

    1858年、フランス南部のルルドの洞窟で、羊飼いの少女・ベルナデッタの前に聖母マリアが現れ、お告げどおりに土を掘ると清水が湧き出し、その水で難病などが治ったという奇跡が起こりました。その後、世界各地でこのルルドを模倣し、聖母マリア像を収めた「ルルド」...

  • 2021.1.27

    浦上信徒の聖地、十字架山へ

    浦上キリシタンの殉教の歴史を語る道標であり、信仰の遺産でもある十字架山は、1881年、当時の浦上教会のプトー神父と流配から帰って来た信徒たちが、絵踏みをしたことを罪として償い、そして信仰を表明できることに感謝し、当地の丘を購入して築造された聖地です。...

  • 2021.1.20

    潜伏キリシタンが祈りを捧げた一本木山へ

    今年のぶらり旅のテーマは「聖地巡礼」。キリシタンの殉教の歴史が残る長崎県にはカトリックの聖地と呼ばれているスポットがたくさんあります。今回はその中から日本二十六聖人とゆかりのある本原教会堂とその裏手に隣接する聖地「一本木山」を訪ねます。

  • 2021.1.13

    サンアウグスティン教会跡から中町教会堂へ

    約450年前のキリスト教の繁栄期、長崎市内にはいくつもの教会が建てられていました。今回はそんな長崎の歴史の一端を感じる眼鏡橋周辺を歩いた後、明治期に創建され、原爆によって破壊されるも見事に復活した中町教会堂を訪ねます。中町教会堂には聖トマス西と15殉教...

  • 2021.1.6

    夕暮れの大浦天主堂へ

    先月は日本二十六聖人が最後に歩いた時津港から西坂公園までの道のりを4回にわたってご紹介しました。そこで今年第1回目のぶらり旅は、ライトアップがきれいな冬の大浦天主堂を訪ねてみました。大浦天主堂は、正式には、「日本二十六聖殉教者聖堂」と言い、1862年...

  • 2020.12.23

    26聖人を偲び浦上街道をぶらり(4)銭座町から西坂へ

    1597年2月5日(慶長元年12月19日)の早朝、時津港に上陸した26人は、ひどい霜の中、3里(約12キロ)の浦上街道を歩き午前10時頃西坂の丘に到着したといわれています。今回は銭座町から西坂まで、26人が最後にたどった道を歩いて、殉教者たちの強い思いを感じてみます。

  • 2020.12.16

    26聖人を偲び浦上街道をぶらり(3)宿ん坂から山王神社界隈

    日本二十六聖人が歩いた時津港から西坂までの約12キロの行程をたどる今月のぶらり旅。26人は早朝から歩き出し、現在の山王神社周辺で休憩をとったといわれています。当時、浦上街道の宿場町であった平野宿あたりから坂本国際墓地までの旧道はアップダウンのある細い...

  • 2020.12.9

    26聖人を偲び浦上街道をぶらり(2)大クスからサンタ・クララ教会跡へ

    時津から浦上を通り長崎まで続く、長崎街道の脇街道と言われる浦上街道(別名:時津街道)。江戸時代の中頃まで大いに利用され、様々な人々が往来しました。なかでも最も有名なのが二十六聖人です。当時、時津村から浦上村を通って長崎村西坂までの距離は3里(約12km...

  • 2020.12.2

    26聖人を偲び浦上街道をぶらり(1)時津港から茶屋跡へ

    豊臣秀吉の命によって長崎の西坂で日本二十六聖人が処刑されたのは1597年2月5日、旧暦で言えば慶長元年12月19日。先週ご紹介した東彼杵町の彼杵浦から舟に乗せられた一行は時津港に着き、翌朝、西坂を目指して歩きました。今月は26聖人の一行が歩いた浦上(時津)街道...

  • 2020.11.25

    夕暮れの日本二十六聖人乗船地

    長崎街道の中でも彼杵宿は平戸街道への分岐点として重要な役割を担っていました。豊臣秀吉の命により京都で捕らえられた日本二十六聖人の一行は、処刑される前日、東彼杵の海岸から船で時津に向かいました。その地は今も悲しい歴史に思いを馳せる大切な場所として記...

  • 2020.11.18

    のどかな波佐見の風景とキリシタン墓碑

    波佐見地区の潜伏キリシタンは、1865年の郡崩れを機にほとんど消滅したと考えられていますので、現在、波佐見町に残るキリシタン墓碑はそれ以前のものと推定されています。紅葉が目立ち始めた秋の日、波佐見町ののどかな山里にあるキリシタン墓碑をたずねました。

  • 2020.11.11

    崖穴から見つかった「INRI」銘入りの自然石

    波佐見町のキリシタンに関する歴史資料は非常に少なく、原マルチノが波佐見町出身だという根拠もローマにある資料に「肥前国ハサミの首長の子」と書かれていることが由来になっています。しかし、町内で発見されたというキリシタンの遺物を見ると、紛れもなく波佐見...

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