南島原市、天草市、上天草市、苓北町の登録資産の一覧です。
長崎県島原半島南部の海に突き出た丘陵を利用した城跡である。【登録資産グループ/原城跡】
大漁、海上安全祈願のため、1647年に創建されたとされ、境内には1685年銘の鳥居が現存するなど、当初の境内の配置が現在ものこっている。【登録資産グループ/天草の﨑津集落】
キリスト教解禁直後に﨑津の大工によって最初の木造教会堂が建設されたのち、ハルブ神父の指導のもと、現教会堂が鉄川与助の設計・施工により1934年に建てられた。【登録資産グループ/天草の﨑津集落】
明治時代のキリスト教解禁後、1888年に最初に建てられたカトリック教会堂の跡地。禁教期に信者が祈りを唱えていた﨑津諏訪神社の隣接地に所在。1934年の現﨑津教会への移転までの間、信仰のよりどころとなった。現在は石垣や、昭和30年代に建築された修道院の建物が残っている。
長崎県島原半島の南部にある。
1959年に国史跡となった半円柱の蓋石型のキリ…
熊本県天草市下島…
園明山(えんめいざん)正覚寺は、島原・天草一揆(しまばら・あまくさい…
1933年、フランス人宣教師ガルニエ神父が私財を投じて建てたロマネスク様…
口之津港は、古くから多数の船が交易に来る港であった。1562年、有馬義直…
加津佐川河口近くの左岸に開けた小高い砂丘上にあり、5基の墓碑と1点のキ…
海岸砂丘の防砂用松樹林の中に2基確認されている。
口之津町白浜海岸の砂丘上にある。
天草を遠望する海岸砂丘上、国道251号線側の吉川・下方共同墓地内にある。
日野江城跡にほど近い墓地の一角にある。
八良尾は、1588年から1595年の間に加津佐をはさんでセミナリオが2回設置さ…
なだらかな傾斜の広大な畑地の一角に5基が集められている。
現在、個人宅の外庭に立碑としてまつられている。
1986年、町内の尾上、力野、桜馬場に点在していた墓碑を集め、史跡公園と…
国道251号側の一角に御堂風の覆屋が建てられ、その中に4基の墓碑がある。
宮の本共同墓地の南側に墓碑群として集められ、現在は覆屋で保護されてい…
巡察師ヴァリニャーノの布教方針のもと、1580年に日本で初めてイエズス会…
1966年に「本渡市立天草切支丹…
天草の河内浦(現在の河浦町)には、1…
ロザリオ館は、1933年にフランス人宣教師ガルニエ神父が信徒とともに建て…
南島原市の世界文化遺産である原城跡と、関連の深い日野江城跡の歴史スト…
﨑津集落の歴史や文化を紹介する施設として平成28年(2016)8月1…
島原・天草一揆を日表で紹介。
伝説と謎に包まれたわずか16歳であったと伝わる少年、天草四郎を中心に…
松倉重政が「一国一城令」(1615年)施行後の元和4(1618)年から約7年の…
﨑津集落の情報を発信する拠点施設。観光案内や﨑津・今富のキリシタン史…
雲仙天草国立公園の内容を紹介し、天草地域の魅力ある自然景観、歴史、文…
雲仙地獄は、 大叫喚、お糸、清七など30あまりの地獄があり、噴気孔から真…
富岡城は、関ヶ原の戦いの戦功により天草の領地を与えられた寺沢広高によ…
島原・天草一揆で討ち死にしたキリシタン一揆軍の首級1万余を三分(長崎…
アダム荒川は、1613(慶長18)年の禁教令により追放された、志岐駐在の宣教…
1637(寛永14)年におきた、島原・天草一揆において、天草四郎を大将とする…
スペインのヴァレンシアに生まれたトルレスは、1538年メキシコに渡り、フ…
1569年10月3日付、ミゲル・バズの報告書簡によれば、「(前略)当地より8…
釜蓋城は、永禄12年(1569)に千々石大和守直員が築城した城。
有明海に面する多比良港から山手へ5キロほど行った小高い丘陵に金山…
高さ5m、直径10mの円墳状の塚。
畑の中の叢林にあ…
千々石ミゲルは、千々石城主であった千々石大和守直員の子である。
南串山池崎地区の畑の中にあったが、昭和の初め頃に民家裏庭に移され、そ…
島原・天草一揆の際、湯島には島原と天草の切支丹教徒らが集まり、湯島の…
板碑状であり、全体が整形されている。17世紀前半のキリスト教が盛んだっ…
沖田畷の合戦は、天正12(1584)年3月24日朝から佐賀の龍造寺隆信が2万5千…
山寺町、竜源山西方寺の共同墓地内にあるキリシタン墓碑(県指定史跡)
バチカン公式巡礼地の一つ。
島原・天草一揆後、島原半島のキリシタンは途絶えたが、明治35(1902)年…
元和5(1619)年ローマ教皇パウロ5世は、ジュビレウム(許しの年)の恵み…
安土桃山時代から江戸時代初期のキリシタン
松倉重政が島原城築城の頃、重罪人の首をはね、見せしめにさらし首とした…
寛永14年(1637)に島原・天草一揆の鎮圧のための追討使として派遣された…
浜の城は中世島原の港に隣接して築かれた。当地を領していた有馬氏の家臣…
松倉重政は寛永7年(1630)に小浜温泉で死去したと伝えられる。松倉重政…