佐世保市、平戸市、小値賀町、東彼杵郡の登録資産の一覧です。
禁教期に黒島の行政を担った庄屋屋敷の跡。黒島では毎年正月の宗門改めの際に本村の庄屋屋敷において絵踏が行われていた。
沖ノ神嶋神社は、中国との主要な航路の守り神として、704年に建てられました。古来より野崎島全体が神道の聖地とされ、五島列島一円の氏子から崇敬されていました。19世紀中頃、外海地域の潜伏キリシタンは、氏子として神道の聖地に移住すればキリシタンと疑われる可能性が低いと考え、野崎島に移住しました。
沖ノ神嶋神社の神官一家が代々暮らした屋敷の跡地です。神社の氏子を装っていた潜伏キリシタンも神事に参加しました。悪天候の際には屋敷に附属する遥拝所を通して神社を拝んでいました。遥拝所の祭壇は、禁教期の1823年につくられたことがわかっています。建物は、神官一家から小値賀町が譲り受けて修復しています。
野首集落に暮らした潜伏キリシタンの指導者(帳方)屋敷の跡地です。解禁後しばらく時間を経た1908年には、敷地内東側に3代目となる野首教会(現在の旧野首教会)が建立されました。
野首集落に暮らした潜伏キリシタンの指導者(水方)屋敷の跡地です。屋敷では、潜伏キリシタン信仰に基づく、様々な行事が行われていたと考えられています。また、解禁後の1882年には集落で最初の教会堂がここに建てられ、「潜伏」が終わりを迎えました。
舟森集落に暮らした潜伏キリシタンの指導者(水方)屋敷の跡地です。屋敷では、潜伏キリシタン信仰に基づく、様々な行事が行われていたと考えられています。ここに暮らした指導者は、解禁後には伝道師として活動し、舟森集落の潜伏キリシタンの教会への復活を支えました。
外見は仏教徒の墓と変わりませんが、発掘調査により、仏教の極楽浄土のあるとされる西側ではなく、反対向き(人骨の顔の向きが東側)に埋葬されていたことが確認されています。
解禁後の1881年、舟森集落に最初の教会堂が建立され、「潜伏」は終焉を迎えました。1966年の廃村に伴い教会堂も廃堂となりました。附随していた司祭館は、小値賀本島に移築され、現在もカトリック小値賀教会として利用されています。
住民が稲荷様としてまつる祠の周辺で発見されたキリシタン時代のものと考えられる墓地で、こぶし大の石が長方形に組まれている。
平戸島対岸の南田平集落にある教会堂で、1918年に鉄川与助(てつかわよす…
1885年、宝亀地区そばの京崎地区に18戸の信徒によって最初の仮教会堂が立…
キリシタン領主、籠手田氏が生月島を退去したのち、島のキリシタンの指導…
焼山という地名は、切り捨てたキリシタン信者を穴に放り込んで火をつけた…
舘浦の鎮守(土地…
「ダンジク様」がある山田集落には、日草
イエズス会宣教師カミロ・コンスタンツォの殉教地である。
16世紀の宣教師の書簡に、十字架を立てた場所として記されている。
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平戸島の西にある根獅子地区で、ひっそりと守られてきたかくれキリシタン…
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展示部屋(展示、映像、パンフレット、各種書籍の閲覧)
港そばの黒島観光拠点施設。各種体験の窓口でもあり、特産品の販売を行っ…
かつてはミサをお手伝いするシスターの宿泊所や、子どもたちに要理を教え…
この施設では野崎島の自然、文化遺産の保全ならびに来島者の皆様の安全を…
波佐見町歴史文化交流館(波佐見ミュージアム)内、常設展示室1の中世に「…
明歴3年(1657)、大村藩は郡崩れ(郡村中心の約600名の潜伏キリシタン摘発…
波佐見町北東部に位置する野々川郷のツンノオ墓地内にある。
波佐見町総合文化会館(ウエイブ・ホール)駐車場内に設置。
波佐見町歴史文化交流館(波佐見ミュージアム)内に展示。
京都、大坂などで捕えられたキリシタン26名が長崎まで歩かされ、1597年2月…
左の低いほうは、上部に花十字、下部に「元和七年卯月一瀬志ゆ阿ん」の銘…