五島市、新上五島町の登録資産の一覧です。
頭ヶ島の白浜海岸には縄文時代の遺跡があり、土器や石器の破片が見つかる。(頭ヶ島白浜遺跡)
かつては、30戸あまりの信徒がいたが、今は3戸の家で教会を維持している五輪の墓地。墓碑を建てるまでの目印として丸い石を集めて置いている土葬の墓は、古代遺跡のようにも見える。
この場所は細石流教会堂の跡地です。細石流集落では、解禁後においても立地環境の関係で、すぐには教会堂が建てられませんでした。1920年になって集落を見下ろす山頂付近のこの場所に木造の教会堂が建てられました。1969年に他の教会堂との統廃合により廃堂となり、その後の台風被害により倒壊しました。
上五島地域の潜伏キリシタンの中心的指導者であったドミンゴ森松次郎は1867年に頭ヶ島の白浜に移住し、屋敷を構え「仮の聖堂」とした。
三方を海に囲まれた福江城の城跡内にある天守閣を模した資料館。高校や文…
1907年、パリ外国宣教会のペルー神父によって赤レンガ造りに建て替えられ…
新上五島町の有川は、江戸時代に捕鯨によって栄えた歴史を持つ。
「土井ノ浦教会 カリスト記念館」は、若松…
潜伏キリシタンの子孫らが中心になってオープンした資料館です。 資料館は…
築年代1880年頃の古民家です。旧所有者の藤原家は久賀を代表する旧家で、…
世界遺産の全体像や「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の12の構…
白浜地区の民家を改修した施設
1980(昭和55)年、在任中の田中千代吉神父が収集した地元のキリシタン資…
国選定重要文化的景観のガイダンス施設
大村藩から移住してきた潜伏キリシタンは福江島や久賀島、奈留島などに散…
1868年(明治元年)、自らの信仰を告白した久賀島のキリシタンたちが捕え…
外海からキリシタンが移住したとき、船底の重りとして運んできた温石(結…
五島崩れで久賀島のキリシタンが投獄された牢屋があった場所は、後に「牢…
福江島の北の突端の海に飛び出した小山の斜面に風除けの石垣が駆け上がり…
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五島崩れの時、水ノ浦では、帳方・水浦久三郎の家で御身のナタル(クリス…
牢屋(帳方屋敷)跡の上には、水ノ浦港を臨んで26聖人のひとりで五島出身…
信仰が黙認された下五島で、最初の常駐の司祭として孤児からの救済をはじ…
寛政年間の五島藩の依頼による移住よりも早い1776(安永5)年、三井楽村渕…
五島領主・宇久純定の病が日本人医師でありキリシタンであったディエゴの…
五島列島司牧のペルー神父は、1891(明治24)年、ローマのバチカンにフラ…
五島ヨハネは、五島出身で西坂で処刑された26聖人のひとり。大阪で捕らえ…
五島崩れの時、三井楽でキリシタンであることが発覚した人々は、代官所で…
1853年、岐宿村のキリシタンの1家族が繁敷を開墾し、その後この地にキリシ…
昔々、岐宿の住民が三井楽沖合の無人島へツワブキを取りに行ったところ嵐…