Découverte des balades
513 balades ont été trouvées.
2024.10.9
今から450年ほど前、日本初のキリシタン大名として名を馳せ、横瀬浦や長崎を南蛮貿易港として開いた戦国大名、大村純忠。幾度となく戦乱に巻き込まれ波乱な人生を送りました。今回は、純忠が亡くなるまでの数年を静かに過ごしたと言われる居宅跡を訪ねながら、キリス...
2024.10.2
平山亀吉とは、明治初期に建てられ世界遺産の構成資産の一つでもある旧五輪教会堂を作った大工で、教会建築を学ぶために長崎の大浦天主堂にも出向いています。その平山亀吉の名前が刻まれた石灯篭がある田之浦神社や久賀島のカトリックのシンボルである浜脇教会を見...
2024.9.25
前回訪ねた旧藤原邸(現在の久賀島観光交流拠点センター)のお庭を拝観後、禁教期に絵踏みが行われた猿田彦神社を参拝。その後、1868年(明治元年)、久賀島内の信徒たちが捕らえられ、残酷な責め苦を受けた牢屋の窄殉教記念教会を対岸に眺めながら、久賀島におけるキ...
2024.9.18
「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産の一つである久賀島を一望するのが折紙展望台。島の住民がコツコツと手作りしたという、郷土愛が詰まった展望台です。また、久賀島観光交流センターは久賀島の旧家、藤原家のお屋敷を活用したもので、風情ある...
2024.9.11
「映画けいおん!」や「映画 聲の形」等のヒット作を手掛けたアニメ―ション監督・山田尚子の最新作『きみの色』が8月30日より全国公開中。映画には、長崎県ならではの景色がモデルとなって多数登場しますが、今回はその中から主人公たち3人のバンドの練習場所として...
2024.9.4
浦上地区のラストは、浦上街道沿いの山王神社へ足を延ばしました。被爆クスノキや被爆して1本になった二の鳥居などが有名ですが、その昔、豊臣秀吉の時代には、キリスト教の弾圧を受けた26人の信徒や聖職者たちが処刑される西坂へと向かう途中に休憩をとった場所とい...
2024.8.28
浦上地区には、日本に蒔かれたキリスト教の種が250年の厳しい迫害に堪えて長崎で復活した歴史と原爆が落とされた第二の都市であるという二つの歴史があります。その二つの歴史を紹介した資料館が浦上キリシタン資料館。浦上を訪れたなら、ぜひ足を運んでほしいスポッ...
2024.8.21
8月の平和記念式典前日、世界平和を発信する平和公園を訪ねました。それから原爆遺構が数々残る浦上天主堂へ。戦争や宗教弾圧の無い平和な日々のありがたさを改めて感じながら、さんさんと輝く太陽の下を歩きました。
2024.8.14
隣人愛による恒久平和を訴え、願い続けた永井隆博士は、潜伏キリシタンの末裔である妻と出会ったことで自らもカトリックとなりました。今回訪れた浦上地区の山里小学校は原爆遺構が残る他、永井隆作詞の「あの子」を今も歌い継いでいます。
2024.8.7
外海の出津集落は、潜伏キリシタンゆかりの地であり、明治初期に赴任したフランス人のド・ロ神父が信徒たちの暮らしを助けるために生涯をかけてさまざまな貢献をした地でもあります。また、作家・遠藤周作の代表作「沈黙」の舞台としても知られています。
2024.7.31
バスチャンは伝説の日本人伝道士で、外海や浦上や五島の人々が日繰りや予言などを残した人物として語り伝えられている人物です。今回は、バスチャンが役人に見つからないように隠れていたと言われる屋敷跡へ足をのばしてみました。蒸し暑い夏の日、森の中のひんやり...
2024.7.24
明治初期、キリスト教が解禁されたばかりの外海へ赴任し、外海の貧しい人たちを救うために私財はもちろん、全身全霊を傾けたフランス人のド・ロ神父。外海にはド・ロ神父の功績がうかがえるたくさんのスポットがあります。そのスポットをめぐる前に、ド・ロ神父のお...
2024.7.17
江戸時代、長崎から遠く陸の孤島と呼ばれた外海には多くのキリシタンが潜伏し、信仰を守り続けました。江戸後期には、新天地を求めて3000人以上もの信徒が五島に移住し、そこからまた各地へ移り住んで行った信徒たちも多く、外海はキリシタンのふるさとと呼ばれてい...
2024.7.10
前回訪ねた平原キリシタン墓碑から車で約15分、西海市西彼町の亀浦郷、波静かな大村湾を望む小干浦の岬の突端に、一つのキリシタン殉教碑が立てられています。1624年、この地で殉教した四五郎左衛門親子の遺骨が眠っていて、日本で発見された唯一の殉教者の遺骨とさ...
2024.7.3
西海市は元々大村領だった地域で、大村純忠が開いた南蛮貿易港、横瀬浦や中浦ジュリアンのふるさと、中浦など、キリシタンの歴史が各地に息づいています。今回、田植えの美しい時期に訪れた西彼町のキリシタン墓碑も、今から400年以上前のものと思われる古いものです。
2024.6.26
時津港沖に浮かぶ鷹島は、キリスト教が禁止されていた1617年にナワレトとエルナンドの両神父と伝道師が処刑された地。今回は、その鷹島を眺めた後、そのような厳しい弾圧の中、密かに琴海の寺に身を寄せ、信徒たちを守ったといわれる大村純忠の娘、伊奈ゆかりの地を...
2024.6.19
古くは時津街道で賑わった地域であり、日本二十六聖人が京都から処刑地である西坂までを目指す途中、東彼杵から船で大村湾を渡り、時津港に上陸しました。時津港には二十六聖人が上陸したことを示す記念碑が立てられていますが、他にも時津にはキリシタンの歴史の足...
2024.6.12
黒瀬の辻殉教地の大きな十字架の裏に回ると、林の中にひっそりとガスパル西の墓があります。墓には目印に松の木が植えられ、禁教期にも大切に守られていました。その松で作られた十字架が、山田教会堂の祭壇に飾られています。
2024.6.5
近年、全国的に人気の「あごだし」ですが、平戸市では昔からあごが代表的な特産品で、今も日本有数の産地でもあります。昔ながらの味、ご当地名物のあごだしラーメンも不動の人気。腹ごしらえして、生月巡礼のメインスポットでもある黒瀬の辻に向かいました。
2024.5.29
平戸市生月にある壱部地区は、キリシタンで松浦藩の家臣だった壱部氏の旧領地で、潜伏したキリシタンの子孫らによって、1884年に最初の教会が建てられ、現在地の教会は1964年に建てられました。両脇の門柱に可愛い天使が立つ、見た目も可愛い教会堂です。
2024.5.22
平戸市生月は、明治時代になり禁教令が解かれた後もなお、自分たちが密かに守ってきた信仰形態を貫き通したかくれキリシタンの方たちが住んでいた地区が点在しています。今回訪れた焼山周辺もその一つで、焼山の御堂は堺目地区のかくれキリシタンの信仰対象である「...
2024.5.15
平戸市生月の舘浦(たちうら)の土地の守り神である比売(ひめ)神社が、毎年祇園祭や例大祭で神輿巡礼の際の御旅所にしているのが、キリシタンの殉教地、千人塚。20年ほど前までは、山田集落のかくれキリシタンの人たちが中江ノ島参りの際には立ち寄っていたという歴史...
2024.5.8
江戸時代、禁教令による厳しい弾圧の中、多くのキリシタンの信仰を支えた日本人司祭トマス次兵衛(別名:金鍔次兵衛)。次兵衛神父が潜伏していた隠れ家として伝承されている場所は外海の山奥の岩洞窟が有名ですが、実は長崎市南部の戸町にも次兵衛神父が隠れ家として...
2024.5.1
新型コロナの影響もほぼ無くなり、長崎港には続々と観光船が入港するようになりました。歴史を遡れば、日本初のキリシタン大名によって海外に開かれた長崎港。今回は春風にのって入港した客船を眺めながら、長崎を代表する観光地の一つでもある大浦天主堂と、その周...
2024.4.24
江戸時代、現在の長崎市の中心部は江戸幕府の直轄地(天領)でしたが、深堀地域をはじめ長崎港口にある神ノ島、香焼島、伊王島、高島および外海の樫山、黒崎、出津などは佐賀藩深堀鍋島家が領していました。佐賀藩は大村藩よりも取り締まりが緩かったこともあり、多く...
2024.4.17
長崎市深堀地区にある標高350mの城山の山麓、大籠町(おおごもりまち)にある善長谷教会。高台に建つ教会からの眺望は、遮るものが何ひとつない180度の大海原で、「沈黙」の作者、遠藤周作も愛した風景です。禁教期、樫山の潜伏キリシタンの6家族が旅芸人を装いなが...
2024.4.10
前回は天草の海に浮かぶ湯島を紹介しましたが、今回は長崎の中心部から約30分、気軽に行ける伊王島をご紹介。今はリゾートホテルが立ちとても賑やかな島になりましたが、天草や外海、三重、樫山などから移住した潜伏キリシタンが密かに祈りを捧げていた歴史があります。
2024.4.3
原城から有明海を眺めると、正面にぽっかり浮かんでいるのが湯島(談合島)。その湯島に行くと、島原半島を望む海岸線に「原城スポット公園」という手作りの小さな空間があります。今回は、峯公園から海岸線を通って港へ戻るコースで、その途中に原城スポット公園に立...
2024.3.27
有明海の天草諸島と島原半島のあいだにある、1周約4キロの小さな湯島。島原・天草一揆の際、島原と天草のキリシタンが集まって戦略を練ったことから、「談合島」とも呼ばれているほか、戦国時代のキリシタン大名、高山右近ゆかりの地やキリシタン墓碑なども残ってい...
2024.3.20
湯島は、島原・天草一揆の際、島原と天草の切支丹教徒らが集まり、湯島の峯の盆地で軍議や決起の準備を行ったといわれています。湯島に残る鍛冶水盤は、寛永14年(1637)10月24日に島原・天草一揆を起す際、軍評談合のかたわら、武器の製造のために鍛冶職人が鉄を鍛え...
2024.3.13
伝説に包まれた天草四郎を中心に繰り広げられた島原・天草一揆。四郎の出身地である上天草市ではゆかりのスポットやモニュメントが各地にあります。その中でも天草四郎ミュージアム(旧天草四郎メモリアルホール)は、一揆が起きた歴史的背景などを映像と共にわかりや...
2024.3.6
島原・天草一揆で天草四郎が島原へ向けて乗船した地やキリスト教布教期の野呂々地区の教会跡などを訪ねた後、天草四郎ミュージアムへ向かう途中に崎津集落を訪ねました。海の香りがほんのり漂う集落を歩き、優美に佇む天主堂や風情ある崎津諏訪神社の境内などを眺め...
2024.2.28
熊本県南部の山奥に位置する熊本県天草郡苓北町都呂々町は、昭和31年に苓北町と合併するまでは都呂々村でした。現在は自然が豊かな山間の静かな集落に、500世帯、1200人ほどが暮らしています。訪れたのは2月の中旬、ちょうど暖かくなり始めた頃でした。
2024.2.21
今回から、天草・島原一揆の一揆軍のリーダー、天草四郎のふるさとでもある天草をぶらりと旅します。天草は、いたるところに天草四郎ゆかりのスポットがありますが、まず、鬼池港で天草四郎像にご対面。その後、海岸線を走り、天草四郎が富岡城攻撃をあきらめたあと...
2024.2.14
キリスト教が庇護された有馬晴信の治世下、セミナリヨとコレジヨが現在の南島原市に設置されていました。セミナリヨとは修道士育成のための初等教育機関(中学に相当)で、有馬、八良尾、有家に設置。コレジヨはキリスト教の聖職者を育成するための高等教育機関(大...
2024.2.7
南島原市は貴重なキリシタン墓碑がたくさん残っているまちとして知られています。中でも有家地区にあるキリシタン史跡公園は市内から発掘されたキリシタン墓碑を集めた珍しい公園です。また、有家には禁教期に捕らえられたキリシタンが処刑された地も残されています。
2024.1.31
島原往還沿いに今村処刑場が置かれたのは島原城築城の頃からで、重罪人の首をはね、見せしめの為にさらし首としていました。また、キリシタンを厳しく取締まった藩主・松倉重政がイタリア人宣教師ナバルロ神父、大村領信者56人の処刑など多くのキリシタン信者の処刑...
2024.1.24
現在島原市には70ヵ所を超える湧水地があり、その湧水量は一日20万tといわれています。まちのあちこちに清らかな湧き水が流れる風景に癒されながら歩くと、島原市唯一のカトリックの教会、島原教会堂があります。二十六聖人殉教から400年目の平成9(1997)年に新しく...
2024.1.17
島原といえば松倉氏が築いた島原城が有名ですが、キリスト教が伝わった戦国時代には、有馬氏の家臣島原純茂によって「浜の城」が港に隣接するように築かれていました。その後は、島津・有馬連合軍が龍造寺軍を破った「沖田畷合戦」の舞台の一つにもなりました。
2024.1.10
2022年の土砂災害を乗り越え、新しいホテルや店もオープンしている雲仙。その中心の観光名所でもある雲仙地獄は、1627(寛永4)年から1631(寛永8)年まで雲仙の焦熱地獄で、キリシタンに信仰を棄てさせるための拷問と処刑がおこなわれた記録があります。今回は夕暮...
2023.12.27
前回、悲運ともいえるキリシタン城主、ジョルジュ結城弥平治の足跡をたどりながら金山城跡を訪れ、今回はその近くの狸山まんじゅうからスタート。雲仙殉教者の歴史が残る雲仙教会堂を訪れました。1627年から1632年まで、雲仙地獄は厳しい禁教政策の中、殉教の舞台と...
2023.12.20
有明海に面する雲仙市国見町の山手にある金山城跡(別名結城城跡)は、17世紀初頭、キリシタン城主として晩年を信仰に生きたジョルジュ結城弥平治によって築かれた山城です。秋晴れの中、美しい有明海の眺望や人気のスイーツも楽しながら、城跡を訪ねてみました。
2023.12.13
1590年のフロイスの記録に千々石の司祭館の管轄にある「野井」という地は、現在の愛野教会がある一帯を指すと言われています。当時はキリスト教が栄えましたが、その後の禁教政策の中で信徒はいなくなったと言われています。今回は美術館や可愛い愛の駅などを訪ねた...
2023.12.6
島原・天草一揆は1638年4月12日に一揆軍が全員討ち死して終焉を迎えましたが、一揆勢の首は3分割して、長崎の西坂と天草の苓北町富岡、そして雲仙市愛野町(旧愛津村)に埋祀したとも伝えられています。現在、その場所には小さな円墳があり、一揆の初め一揆軍とこれ...
2023.11.29
国内にあるキリシタン墓碑の中でも、和洋折衷の碑銘がある川棚町のキリシタン墓碑はとても珍しく、美しいといわれています。今回は、この美しいキリシタン墓碑を見学後、九州のマッターホルンといわれる虚空蔵山の山並みや大村湾を望む大崎半島等、川棚町の美しい景...
2023.11.22
東彼杵郡に唯一存在するカトリックの教会が川棚教会。1950年、オーストラリア人フリン神父によって教会が始まり、現教会堂は1966年に建てられました。今回はコスモスなどの秋の草花が美しい日向(ひなた)の棚田を散策後、美しいマリア像と日本二十六聖人の最年少、...
2023.11.15
かつて大村領だった波佐見。1600年代はキリスト教が栄え、原マルチノのような偉大な司祭も生み出しています。禁教期以降、キリスト教の信者はいなくなり、現在も教会などの施設はありませんが、野々川集落の墓地に残るキリシタン墓碑の存在に、はるか昔のキリシタン...
2023.11.8
天正遣欧少年使節の一人、原マルチノは波佐見の出身と伝えられ、波佐見町総合文化会館(ウェイブホール)の敷地内にりっぱな銅像が建てられ、その功績が讃えられています。今回は改めて、原マルチノの銅像を訪ねた後、収穫後ののんびりした鬼木の棚田に足をのばして...
2023.11.1
波佐見町は、安土桃山時代、日本初のキリシタン大名、大村純忠が領する波佐見村として大村領となり、キリスト教が広まりました。江戸時代からは焼き物の産地として栄え、今もたくさんの窯元が魅力ある商品を作り出しています。今回は波佐見の焼き物の里を巡りながら...
2023.10.25
日本初のキリシタン大名、大村純忠の本拠地であった大村市。今回訪れた帯取殉教地は大村で初めてキリシタンが殉教した地として知られ、最後に立ち寄った宝生寺跡は、純忠が領内の寺社を破壊した時に宝生寺は残して司祭館とし、脇に大きな教会堂を建立した場所で、純...
2023.10.18
キリシタン大名、大村純忠の居城のあった大村は、今も市内各地にキリシタンゆかりのスポットが存在しています。今回訪ねた今富のキリシタン墓碑は、元々「慶長十九年」(1614年)に建てられたものですが、キリシタン禁教時代に入り取り締まりが厳しくなったため、墓...
2023.10.11
千々石ミゲルの墓からのどかな県道を通って、大村市の鈴田牢跡をめざしました。鈴田牢は、1617年7月から1622年9月までの5年間、長崎奉行所に捕えられた宣教師や信者35人が閉じ込められた場所で、非常に狭い鳥かごのような牢屋だったと伝えられています。
2023.10.4
大村湾の南部沿岸に位置する諫早市多良見町は、全国的にも知られる「伊木力みかん」の産地。一帯の山々にはみかんの段々畑が広がり、今の季節は穫れたてのみかんが直売所で販売されています。みかんの香りが漂う伊木力地区に、天正遣欧少年使節の一人で数奇な人生を...
2023.9.27
五島市岐宿町にある魚津ヶ崎(ぎょうがさき)。西海国立公園内に位置し、遣唐使船寄泊地として歴史に名を記す岬にある大自然を満喫できるレジャー公園。大パノラマで数々の島と海を一望できます。今回は、ここから車で10分ほど走って、下五島では堂崎天主堂に次いで...
2023.9.20
水ノ浦教会の歴史は、江戸時代末期に大村藩領から移住した潜伏キリシタンのうち、5人の男性とその妻子らの移住にはじまります。教会には、外海からキリシタンが移住したとき、船底の重りとして運んできた温石(結晶片岩)が今も残っています。今回は温石を探しながら...
2023.9.13
キリシタン迫害の中でも最も悲惨な事件の一つである五島崩れ。五島崩れの時、三井楽でキリシタンであることが発覚した人々は、代官所で拷問を受け、岳の信徒の家が仮牢となって投獄されました。現在、牢屋跡には、信仰を守り抜いた先祖の遺徳を偲ぶ碑が立てられてい...
2023.9.6
記録では1797年に大村藩から移住して来たといわれている三井楽の潜伏キリシタンたち。五島キリシタンの信仰を最も長く刻んだ地ともいわれています。現在の三井楽教会は、三井楽町嶽地区にあるため、地元の人々は「岳の教会(たけのきょうかい)」と呼んでいました。
2023.8.30
この夏、何度となく計画し、その都度悪天候で延期になっていた五島ぶらり取材。今回、満を持して行って来ましたが、福江港に着いたとたんに雨。でも、雨が降り注ぐ夏の五島も風情があり、しっとりと静かに巡礼ができました。テレビドラマ「ばらかもん」でも度々登場...
2023.8.23
前回に引き続き小値賀島をぶらり。小値賀島は潜伏キリシタンの歴史を刻む野崎島のほか、遣唐使の時代からアジア貿易の要衝として栄え、後には捕鯨やアワビ漁でも賑わいました。夏は島が一番美しい季節。自然の風景を楽しみながら、小値賀の歴史スポットをたずねました。
2023.8.16
夏と言えば島旅、ということで小値賀島をぶらりと散策。小値賀島は属島の野崎島の集落跡が世界遺産の構成資産にもなっている信仰の島。野崎島の野首集落に立つ旧野首教会が有名ですが、野崎島が無人島になってからは、小値賀の祈りの場は小値賀教会堂になり、今も厳...
2023.8.9
前回の大島から、明治時代に造られた石原岳堡塁へ立ち寄って、横瀬浦公園へ。全く雰囲気の違う2つの公園ですが、どちらもそれぞれに歴史があり、散策しながら心に感じるものがある公園です。特に、横瀬浦公園一帯は今回紹介した以外にもキリシタンゆかりのスポットが...
2023.8.2
西彼杵半島から橋でつながっている大島を抜けると、崎戸島に入ります。崎戸も風光明媚な島で見所がたくさん。また、大島のもう一つの教会、太田尾教会は現在の中村大司教を輩出した教会で、今も熱心な信徒さんによって信仰が守られています。美しい教会堂も見る価値...
2023.7.26
西彼杵半島と橋でつながっている大島は、かつて炭鉱で栄えた島。炭鉱に働きに来る人たちの中にはカトリックの人たちも多く、昔からあった太田尾教会の巡回協会として約60年前に建てられたのが間瀬(ませ)教会堂。公共施設や商店街などがある賑やかな場所にあります。
2023.7.19
16世紀に天正遣欧少年使節の一員としてローマに渡った中浦ジュリアン。西洋の文化を学んで帰国した後は、禁教期にも関わらず宣教活動を続けました。最後は捕らえられ西坂で殉教しますが、ジュリアンの偉大な功績は今も語り継がれています。今回はそんなジュリアン...
2023.7.12
今回は、佐世保中心部のベイエリア、鹿子前の九十九島パールシーリゾートから九十九島の絶景ポイントを訪ねます。その途中で訪ねる鹿子前教会堂や船越教会堂は、黒島や平戸、五島から移住した信徒や、軍関連や漁業に携わる信徒が増加したため、1950年代に創建された...
2023.7.5
19世紀半ばに五島や外海、田平などから信徒が移住してきた神崎地区。昭和5年に建てられた教会は、異国情緒を漂わせるゴシック様式で「神崎天主堂」と呼ばれ、県内の天主堂の中でも美しい教会として知られていました。老朽化の為に2004年に新築された現教会も荘厳な造...
2023.6.28
褥崎(しとねざき)教会は、一説には、島原・天草一揆に敗れて五島へ逃れた信徒がキリシタン弾圧の追及をさらに逃れてこの地に住み着いた人たちの子孫とも言われています。明治になって信仰が自由になると、最初浜辺に民家風の聖堂を持ち祈りをささげていたそうですが...
2023.6.21
県北のカトリックの教会は、外海や平戸、五島などの潜伏キリシタンを先祖に持つ信徒たちが移住して建てたものがほとんどです。今回訪ねた大加勢教会も1930年頃外海などから鹿町の炭鉱で働く信徒が集まりはじめ、1931年に約16戸の信徒によって初代の教会が建てられま...
2023.6.14
その昔、長崎県北部から佐賀県北部の海を仕切っていた水軍、松浦党。「海の武士団」とも呼ばれ、源平合戦の壇ノ浦の戦いでは平家方の水軍の主力となったことが記録されています。現在の松浦市は火力発電所とアジを代表とする水産物の宝庫。また市内には移住者によっ...
2023.6.7
松浦鉄道の西木場駅にほど近い場所にある西木場教会堂は、1936年に聖フランシスコ・ザビエル渡来400年記念事業として建てられました。設計は教会建築で有名な鉄川与助です。教会の近くには教会が運営する保育園やおつげのマリア修道会などもあり、一帯は厳かな祈りの...
2023.5.31
平戸市から松浦市に向かう松浦鉄道沿いに広がる静かな里山には、明治期に黒島や五島、外海などから移住した潜伏キリシタンの子孫がつくった教会堂が点在します。今回訪れた福崎教会堂もその一つで、今は巡回教会になっていますが、炭鉱が栄えていた頃は多くの信徒た...
2023.5.24
平戸市の入口の田平地区には前回ご紹介した田平天主堂の他に、平戸口教会と福崎教会があります。どの教会も、潜伏キリシタンの子孫が移住してできた教会です。今回は平戸瀬戸を見下ろす平戸口教会と、禁教期に火刑によって殉教したカミュロ・コンスタンツォ神父ゆか...
2023.5.17
平戸大橋のたもとに広がる平戸市田平町にある田平天主堂は、明治期に黒島や外海の信徒たちが移住してできた瀬戸山集落に立っています。現在は建物の老朽化でモルタルが一部落下したため、一般の観光客は内部の見学はできなくなっていますが、外観を眺めるだけでもそ...
2023.5.10
平戸島の安満岳を中心として防風石垣や石塀を備える春日、獅、根獅子、宝亀、田崎、神鳥、紐差の集落は、かくれキリシタンの伝統を引き継ぎつつ、島ならではの伝統的な生活が営まれているということで「平戸島の文化的景観」に指定されています。今回はその中から宝...
2023.5.3
キリスト教とゆかりの深い長崎県ですが、その始まりは1551年、フランシスコ・ザビエルが平戸に来航し、松浦家の家臣らにキリスト教を伝えたことに始まります。当時は南蛮貿易で栄え、「天門寺」という教会堂も建てられ、外国人宣教師が行き交っていた平戸。今回は、...
2023.4.26
キリスト教とゆかりの深い長崎県ですが、その始まりは1551年、フランシスコ・ザビエルが平戸に来航し、松浦家の家臣らにキリスト教を伝えたことに始まります。当時は南蛮貿易で栄え、「天門寺」という教会堂も建てられ、外国人宣教師が行き交っていた平戸。今回は、...
2023.4.19
今回は、世界遺産巡礼のゴールとなる巡礼路35、茂木港から旧茂木街道を歩き、鍋冠山や南山手で長崎の美しい風景を眺めながら、キリスト教史上の奇跡といわれた「信徒発見」の舞台、大浦天主堂をめざします。大浦天主堂は、創建当時は、居留地に住む外国人のために建...
2023.4.12
今回は、世界遺産巡礼ⅴ「キリスト教繁栄と島原・天草一揆の道」の巡礼路34の後編、頼山陽公園から島原・天草一揆のもう一つの舞台、富岡城を経由し、富岡港をめざします。富岡城内には、苓北町の歴史を紹介する展示物の他、キリスト教の迫害で処刑されたアダム荒川を...
2023.4.5
世界遺産巡礼ⅴ「キリスト教繁栄と島原・天草一揆の道」の巡礼路34は、下田温泉から富岡港までのコース。以前は1日1便バスが通っていましたが、現在は廃止となっています。「天草西海岸サンセットライン」と呼ばれる海沿いの道路を、潮風を感じながら歩きましょう。今...
2023.3.29
今回は、世界遺産巡礼ⅴ「キリスト教繁栄と島原・天草一揆の道」の巡礼路33の後編、大江教会を訪ねたあと、徒歩とバスで移動して下田温泉をめざします。途中にある「五足の靴文学散歩道」の周辺にある展望所からの絶景は息をのむほどの美しさです。※五足の靴文学散...
2023.3.22
世界遺産巡礼ⅴ「キリスト教繁栄と島原・天草一揆の道」の巡礼路33は、天草に渡ったあと、崎津集落と大江教会を訪ね、五足の靴文学散歩道を歩いて下田温泉へ向うコース。見所いっぱいなので、今回は前半の崎津集落から大江教会までのルートをご紹介します。
2023.3.15
島原・天草一揆の舞台・原城跡から南蛮船寄港地だった口之津港へ
世界遺産巡礼ⅴ「キリスト教繁栄と島原・天草一揆の道」の巡礼路32は、島原・天草一揆の舞台となった原城跡を見学した後、長崎よりも早く南蛮船が来航した歴史ある港町、口之津港をめざします。原城跡は、城全体を含めると東京ドーム10個分ほどの広さがあり、歩き応え...
2023.3.8
世界遺産巡礼ⅴ「キリスト教繁栄と島原・天草一揆の道」の巡礼路31は、キリシタン文化が花開いた日野江城下を歩くコース。南島原市役所がある西有家をスタートして、海岸沿いを歩き、北有馬を散策したあと南有馬まで歩きます。キリスト教が花開いた頃の史跡のほか、禁...
2023.3.1
世界遺産巡礼ⅴ「キリスト教繁栄と島原・天草一揆の道」の巡礼路30は、キリシタン大名、有馬氏の領地を歩くコース。現在の南島原市南有馬町論所原をスタートして、みそ五郎や手延べそうめんが有名な西有家町をめざします。ゴール近くの切支丹墓碑のほか、山道を抜ける...
2023.2.22
前回に引き続き、世界遺産巡礼ⅴ「キリスト教繁栄と島原・天草一揆の道」巡礼路28「かつての殉教の地は、外国人避暑地の人気ルートへ」の後半を歩きます。禁教期、長崎で捕らえられたキリシタンが処刑された雲仙地獄がある温泉街を散策。近年、豪雨災害や新型コロナの...
2023.2.15
今回から世界遺産巡礼ⅴ「キリスト教繁栄と島原・天草一揆の道」に入り、巡礼路28「かつての殉教の地は、外国人避暑地の人気ルートへ」を歩きます。禁教期、長崎で捕らえられたキリシタンの中には茂木港から船で小浜に運ばれ、処刑地の雲仙地獄まで、山道を歩いて登っ...
2023.2.8
今回は「キリシタン大名と少年使節の道」をテーマの最後、巡礼路27「天正遣欧少年使節、千々石ミゲルのふるさとを歩く」の後半をご紹介。千々石の海岸沿いを歩いた後、商店街を通ってゴールのミゲル像のある雲仙市千々石支所へ。その後、国道を通ってミゲルゆかりの...
2023.2.1
今回は「キリシタン大名と少年使節の道」をテーマの最後、巡礼路27「天正遣欧少年使節、千々石ミゲルのふるさとを歩く」の前半をご紹介。歩いたのは、1月の下旬、粉雪が舞い散る厳寒の日、北風に肩をすぼめながら海岸沿いを歩きました。でも歩いていると次第に体が温...
2023.1.25
今回は、世界遺産巡礼の道「キリシタン大名と少年使節の道」の10番目のルート、諫早市の中心部から郊外の唐比まで歩く、約13.5キロのコースです。見所は諫早氏の歴史に触れる市内中心部ですが、のどかな田園風景を眺めながら歩く唐比までの道のりもアップダウンが少...
2023.1.18
今回は、巡礼路25「大村城下を通り、峠の古道を歩く」の後半をご紹介。かつて多くの旅人が歩き、異国の文化を運んだ長崎街道を満喫できるコースです。鈴田峠は日本歴史の道100選にも選ばれている風情ある散策路。大村市郊外の岩松あたりから昔ながらの風景が広がり、...
2023.1.11
今年も引き続き世界遺産巡礼のルートを参考に、周辺のスポットなども楽しみながら散策します。今回は「キリシタン大名と少年使節の道」をテーマに、巡礼路25「大村城下を通り、峠の古道を歩く」の前半をご紹介。大村駅前を出発して、風情ある城下町通りを歩きます。
2022.12.28
今回は巡礼路24「長崎街道沿いのキリシタンの歴史をたどりながら歩く」コース。海のそばのレトロな駅舎が人気の千綿駅をスタートし、のどかな大村湾を眺めながらゴールの大村駅をめざします。長崎街道松原宿には風情ある街並が残っているほか、日本初のキリシタン大...
2022.12.21
今回は巡礼路23「琴の海を眺めながら、長崎街道の宿場を歩く」をぶらり。川棚駅前をスタートし、美しい大村湾を眺めながらゴールの千綿駅をめざす約12キロのコースで、アップダウンが無く、比較的楽に歩けます。長崎街道の彼杵宿がある東彼杵町は風情ある海沿いの町...
2022.12.14
今回は巡礼路22「天正遣欧使節、原マルチノのふるさと波佐見を歩く」の後半をご紹介。西の原地区にある登録有形文化財、旧波佐見町立中央小学校講堂兼公会堂を見学後、波佐見町の潜伏キリシタンの歴史を物語る十字架入りの遺物を見学し、ゴールの川棚駅をめざします。
2022.12.7
今月も引き続き「キリシタン大名と少年使節の道」をテーマに歩き、今回は巡礼路22「天正遣欧使節、原マルチノのふるさと波佐見を歩く」の約20キロのコースの前半をご紹介。はさみ温泉・湯治楼を出発して、原マルチノの像や歴史資料館を訪ねます。
2022.11.30
今回も「キリシタン大名と少年使節の道」をテーマに歩きます。世界遺産巡礼の道の巡礼路21、ハウステンボスからかつて松浦藩の殿様が歩いた道、平戸往還を通って波佐見町まで歩く、少しハードではありますが風情あふれるコースです。めざす波佐見町は天正遣欧少年使...
2022.11.23
今回も「キリシタン大名と少年使節の道」をテーマに歩きます。世界遺産巡礼の道の巡礼路20、西海橋公園からハウステンボス町までのコースです。現在はキリスト教の歴史を伝える遺跡などは残っていませんが、この周辺もかつてはキリスト教が繁栄した地域で、佐世保湾...
2022.11.16
今回も「キリシタン大名と少年使節の道」をテーマに歩きます。世界遺産巡礼の道の巡礼路19、道の駅さいかいみかんドームから西海橋公園までのコースです。キリシタンの史跡などは残っていませんが、かつてはキリシタン大名、大村純忠が支配していた地。海あり山あり...
2022.11.9
前回に引き続き、「キリシタン大名と少年使節の道」をテーマに西海市方面を歩きます。今回は世界遺産巡礼の道の巡礼路18、大田和から木場までのコース。その間には日本初のキリシタン大名、大村純忠が受洗した地でもあり、かつて南蛮貿易港として栄華を極めた横瀬浦...
2022.11.2
今月から「キリシタン大名と少年使節の道」をテーマに西海市方面を歩きます。天正遣欧使節の副使、中浦ジュリアンは小佐々水軍の一族で、ふるさとは西海市中浦地区です。今回は世界遺産巡礼の道の巡礼路17に沿って、神浦を出発して、西海の美しい風景を眺めながらジ...
2022.10.26
前回に引き続き「希望を与えた予言の道」をテーマに、長崎市内を歩きます。今回は、伝説の伝導師バスチャンの予言を信じて信仰を守り通した外海のキリシタンの足跡と、外海の太陽と言われるド・ロ神父のが手がけた教会をたどります。世界遺産の構成資産はもちろん、...
2022.10.19
前回に引き続き「希望を与えた予言の道」をテーマに、長崎市内を歩きます。今回は、あぐりの丘を出発して、浦上キリシタンが聖なる山として崇拝した「赤岳」を望む三重地区をめざして歩きました。その途中には、2011年に発見された垣内のキリシタン墓地にも立ち寄り...
2022.10.12
前回に引き続き「希望を与えた予言の道」をテーマに、長崎市内を歩きます。今回は、平和公園を出発して、浦上キリシタンが禁教期に巡礼地としていた岩屋山に登り、式見ダムを経由して、ゴールのあぐりの丘をめざします。
2022.10.5
10月は「希望を与えた予言の道」をテーマに、長崎市内を歩きます。今回は、岬の教会があった旧県庁舎跡地をスタートし、長崎奉行所跡で山のサンタマリア教会があったという長崎歴史文化博物館、西坂公園などを訪ねたあと、日本二十六聖人殉教者が歩いた浦上街道を歩...
2022.9.28
今回は「密かな聖地を巡る道」巡礼路2のコースのラスト。根獅子を出発して、のどかな田畑が広がる飯良地区は、島内の宝亀や紐差、根獅子などと共に、重要文化的景観に選定されています。飯良から中津良、津吉までの道のりは、昔ながらの風景を眺めながらのんびり歩き...
2022.9.21
前回に引き続き「密かな聖地を巡る道」巡礼路2のコースで、今回は春日集落を出発して海岸沿いに広がる根獅子地区まで歩きます。根獅子はキリスト教が平戸に初めて布教された当時、住民全員が信徒になったと伝わっており、今も禁教令時代の悲しい殉教史跡やカクレキリ...
2022.9.14
今回から「密かな聖地を巡る道」巡礼路2のコースが始まります。生月からバスで生月大橋を渡り、橋のたもとの白石バス停から世界遺産の構成資産にもなっている春日集落をめざして歩きます。春日集落散策の拠点施設「かたりな」で軽く休憩したあと、丸尾山の頂上まで登...
2022.9.7
今回は「密かな聖地を巡る道」巡礼路1の最後のコース。鉄川与助氏の設計で完成した美しい山田教会堂を見学後、生月のキリシタンの聖地の一つ、ダンジク様を訪ね、そして海岸沿いの絶景を見ながら、ゴールの平戸市生月町博物館 島の館まで歩きます。
2022.8.31
世界遺産巡礼の道の「密かな聖地を巡る道」巡礼路1は、平戸港交流広場から城下町を通って川内峠、その後バスで生月にわたり、生月島の殉教地を訪ねるコース。今回は九州自然歩道を通りながら、川内峠から信仰の島、生月島にわたり、生月キリシタンの聖地を訪ねます。
2022.8.24
長崎県に初めてキリスト教が伝わった平戸市は、世界遺産巡礼の道のスタートでもあります。「密かな聖地を巡る道」の巡礼路1は、平戸港交流広場から城下町を通って川内峠、その後バスで生月にわたり、生月島の殉教地を訪ねるコース。今回は最初に歩く城下町からキリ...
2022.8.17
今週から平戸方面をぶらりと旅します。平戸は長崎県で初めてキリスト教が伝わり、繁栄したまちで、禁教期になっても多くのキリシタンが厳しい弾圧の中で信仰を守り続けた歴史があります。「世界遺産巡礼の道」は平戸港交流広場がスタート地点になっていますが、今回...
2022.8.10
世界遺産巡礼の道のⅣ「キリシタン大名と少年使節の道」は、大村純忠ゆかりの地や天正遣欧少年使節のふるさとを巡りながら、9つの市町を巡るコース。今回は、そのゴールとなる巡礼路27の唐比から千々石までのコースです。ゴールには真新しい世界遺産巡礼のモニュメン...
2022.8.3
明治のカトリック復活時には諫早に信者はいなかったようですが、昭和初期、長崎などから信徒の転入があり、最初は信徒の家でミサが行なわれていましたが、一人の信者が現教会と幼稚園がある土地を購入し、早坂司教の呼びかけによって1932年に最初の教会堂が立てられ...
2022.7.27
優美な眼鏡橋が架かる諫早公園は15世紀後半に西郷氏が築城した高城(諫早城)があった場所で、1587年から明治維新までは龍造寺氏(後の諫早氏)の居城でした。頂上(本丸跡)に茂る巨大クスノキは樹齢800年と言われており、築城時から諫早を見守っています。今回は諫早公園...
2022.7.20
長崎街道の中でも難所に一つといわれる鈴田峠は、大村領と諫早領との境の峠で、今でも当時の景観を残している道として、文化庁の「歴史の道百選」に選ばれています。駕籠立場跡や藩境石など、当時の街道の面影が残る史跡を探訪できます。
2022.7.13
かつてキリシタン大名・大村純忠の領地であった大村。市内には2つのカトリックの教会堂があり、中心部にあるのが水主(かこ)町教会堂で、アーケードの入口付近からも神々しい十字架を眺めることができます。今回は水主町教会堂を出発し、本陣跡や五色塀の草場小路など...
2022.7.6
大村市内にはキリシタン弾圧に関係するスポットがいくつもありますが、今回訪れた大村牢跡もそのひとつです。本小路を歩いた先にあるので「本小路牢」とも呼ばれ、1648年(慶安元)3代藩主大村純信の時に長崎奉行からの要請で、異国の囚人や特別に幕府の指令によって捕...
2022.6.29
前回から引き続き、大村のキリシタンゆかりの地をめぐりました。白亜の聖母像がたたずむ獄門所跡と放虎原殉教地を訪れたあと、大村家の菩提寺、本経寺へ。その後、大村純忠らがローマに派遣した天正遣欧少年使節がモチーフとなった天正夢時計を眺めながら、450年の歴...
2022.6.22
今回は東彼杵町の有名駅舎「JR千綿駅」を出発し、大村市の松原宿を経由し、郡崩れゆかりの首塚や胴塚、獄門所跡などを訪ねます。長崎街道の宿場町として栄えた松原宿は建物や神社、史跡などに今でもその面影を残していて、歩くのも楽しい通りです。
2022.6.15
今回は川棚駅近くの城山公園からスタートし、国道205号を東彼杵町方向へ歩くコースです。“琴の海”と呼ばれる波穏やかで美しい大村湾を間近で感じる道や、かつて長崎街道の宿場町の面影を残す彼杵港周辺などを歩き、今から450年ほど前、日本二十六聖人が時津に向けて...
2022.6.8
天正遣欧少年使節の一人としてローマに渡った原マルチノのふるさと、波佐見。かつてはキリスト教が栄えましたが、今はその面影は無く、全国屈指のおしゃれな焼き物の里として、魅力ある施設やショップが続々オープンしています。今回はそんな波佐見に昨年オープンし...
2022.6.1
平戸街道は、県北の山間にひっそりと続く道で、平戸藩の殿様が参勤交代の折に歩いたことから、地元では「とんさんみち」とも呼ばれています。山中には特に目印もないので、各所に設置された案内板が頼りに歩きましょう。川棚に出たら、キリシタン墓碑のある常在寺ま...
2022.5.25
前回から引き続き、キリシタンの歴史が残る横瀬浦を散策したあと、西海市のグリーン・ツーリズムの拠点にもなっている道の駅「さいかいみかんドーム」をめざして歩きます。その途中には、波穏やかな大村湾やみかん畑が連なる風景、佐世保市にそびえる戦争遺構の一つ...
2022.5.18
太田和から横瀬浦までは歩いて約2時間。長距離ではありますが、大島大橋を眺める海岸線などは西海の絶景を楽しめるコースです。日本初のキリシタン大名・大村純忠が長崎よりも早く開港したのが横瀬浦港。この波静かな小さな入り江にかつて南蛮船が来航し、教会が建ち...
2022.5.11
キリシタン大名・大村純忠の名代として14歳の若さで天正遣欧使節の一人としてローマに渡った中浦ジュリアン。しかし、華々しいローマでの歓迎ぶりとは裏腹に、帰国後の日本は禁教政策に入り、悲しい運命をたどります。今回はそんなジュリアンの生誕地である中浦地区...
2022.5.4
西彼杵半島はかつては大村純忠の領地であり、キリスト教が栄えた場所。およそ14歳の若さで天正遣欧使節の一人としてローマに渡った中浦ジュリアンは、西海市中浦に本拠地を置く小佐々氏の一族と言われています。小佐々氏(小佐々水軍)は戦国時代にこの一帯を治めてい...
2022.4.27
今週から世界遺産巡礼の道Ⅳ「キリシタン大名と少年使節の道」をぶらりと歩きます。神浦地区は、外海地区で最初にキリスト教が栄えた場所。城主が1571年に受洗すると、たちまちキリスト教が栄え、教会堂はもちろんレジデンシア(支部修道院)が設置された時期もあったそ...
2022.4.20
3月から5回連続でご紹介した黒島巡礼。改修されて新たな輝きを放つ天主堂をはじめ、グリーンスローモビリティや蕨展望台からの景観、御朱印巡り、信仰復活の地までの風情ある山道など、新しい黒島の魅力を発見できました。最後は、黒島観光協会の新たな取り組みの一...
2022.4.13
対馬暖流の影響を受けて、暖かい気候の黒島。常緑照葉樹が濃い緑の葉を茂らせ、島全体が黒っぽく見えることから「黒島」と名付けられたとも言われています。今回は、そんな黒島に育つ巨大なサザンカやアコウの木を見たあと、黒島で初めてカトリックのミサが行われた...
2022.4.6
五島列島や奄美王島、伊王島などで宣教を行い、1897年黒島天主堂の建設を使命として黒島教会に赴任したフランス人のマルマン神父。天主堂建設の費用が嵩み、一時フランスに帰国するも、終生を黒島で過ごし、1912年黒島で司祭やシスターたちに見守られながら天に召さ...
2022.3.30
「御朱印」といえば、一般的には神社や寺に参拝した証としていただくものですが、黒島では黒島天主堂、黒嶋神社、興禅寺の3スポットの御朱印台紙(印刷、日付のみ手書き、黒島ウェルカムハウスで配布)をいただくことができます。2020年11月に黒島で開催された御朱印...
2022.3.23
世界遺産「長崎・天草の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産である黒島の集落。今回は、地域おこし協力隊として黒島に赴任中の榎本さんの案内で、2021年12月から導入された、黒島観光協会の新しい取り組みの一つ、グリーンスローモビリティ(時速20km未満で公道を走る...
2022.3.16
佐世保市から西へ約12km、佐世保本土と平戸島南端部のほぼ中間地点に位置する黒島は、全部で208の島があるという九十九島の中で一番大きい島です。江戸時代のキリスト教禁止令により、外海から五島に逃れた信徒たちが、新たな移住地を求めて目指した島の一つでもあり...
2022.3.9
島原半島の「世界遺産巡礼の道」の中で最もハードなコースが高岩山。雲仙の宝原園地から無数の鳥居をくぐりながら登り、下りは九州自然歩道の案内板を参考に、南島原市塔ノ坂(とうのさか)という小さな集落をめざして林道を進みます。頂上からは島原・天草一揆ゆか...
2022.3.2
島原半島はキリシタン大名の有馬氏の保護の元でキリスト教が栄えましたが、禁教期は各地で厳しい弾圧が行われました。その中の一つ、雲仙地獄では1627年、武士のパウロ内堀作右衛門ら26人が熱湯に投げ込まれ殉教。2008年、福者に列せられました。毎年5月には殉教祭も...
2022.2.23
1627年島原藩主・松倉重政は雲仙地獄の熱湯をキリシタンへの拷問に使用、長崎奉行・竹中采女正重義も長崎の牢に繋がれていたキリシタンを小浜経由で雲仙地獄に連行し、棄教するよう弾圧を加えました。雲仙殉教道は、小浜や口之津方面から登ってきた道が、合流する地...
2022.2.16
1629年7月、長崎で捕らえられ、茂木港から橘湾を渡ってきたキリシタンは、62名と言われ、小浜温泉街を通って処刑地の雲仙地獄まで歩いて連行されました。その道沿いには、今も「鬢串」や「耳採」など、キリシタンへの拷問をうかがわせる地名が残っています。
2022.2.9
禁教期、長崎で捕らえられ、茂木港から橘湾を渡ってきたキリシタンは、石合浜に降り立ったあと、温泉街を通って、処刑地である雲仙地獄への険しい山道を歩いて連行されました。途中の休憩所では、キリシタンは水を飲むことも許されなかったと伝えられています。今回...
2022.2.2
夕陽が美しいことでも知られる雲仙市小浜町。千々石町から海沿いを歩いて小浜の中心部を目指すと旧小浜鉄道の記念碑や、「緑のトンネル」とよばれる雰囲気の良い道路があります。海辺の道を抜けて国道を進むと、禁教期、長崎で捕らえられ、茂木港から橘湾を渡ってき...
2022.1.26
昨年9月から始めた五島巡礼の旅もいよいよゴールの福江港へ。前回訪れた六方の浜から福江の中心部に入り、五島唯一の城下町、福江城下を歩いてみました。そして五島での巡礼の締めくくりは福江教会堂。1962年に市中心部で発生した大火災「福江大火」の時、この教会だ...
2022.1.19
五島市奥浦地区にある六方の浜は、昔から平家の落人伝説などが残っている場所です。キリシタン史では、江戸時代後半に、大村藩からの公式移住が1797(寛政9)年から始まり、108人の移住者(潜伏キリシタン)が五島に新天地を求めて、第1歩を踏み出したのが、この六...
2022.1.12
浦頭教会堂は、大村藩から五島へ移住した信徒たちがいち早く住み着いた平蔵(ひらぞう)地区にあります。移住後、密かに信仰を守っていた信徒たちですが、1868年(明治元)には久賀島に引きつづきキリシタン迫害が本格化した場所です。初代の教会堂が1888年創建され、2...
2022.1.5
明治初期、フランス人神父のマルマン神父は上五島での宣教後、福江島の奥浦地区で布教を始めると共に、恵まれない赤ちゃんを引きとって育てる「子部屋」を設立。マルマン神父転任後、後任のペルー神父によって「養育院」が建てられ、これが五島で3番目の児童養護施設...
2021.12.22
江戸時代後期、大村藩の外海地方を中心に信仰を守っていたキリシタンの一部は、土地が貧しく、厳しい弾圧を逃れるために、五島藩に移住しました。その開拓移住のキリシタンが最初に住み着いたのが奥浦の周辺といわれています。今回は明治初頭、五島キリシタンの宣教...
2021.12.15
明治時代、奈留島と周辺地区には葛島と江上の2教会しかなく、最初の奈留教会堂が建ったのは1926年(大正15年)のことでした。その後、1961年(昭和36年)に現在の奈留教会堂が新築され、その12年後には、葛島の島民が集団で奈留島に移転し、信徒の全員が奈留教会の所...
2021.12.8
五島列島のちょうど真ん中ぐらいにある奈留島には、キリスト教の信仰が禁じられていた江戸時代末期、大村藩(外海)から潜伏キリシタンが移住。奈留島の属島である葛島(かずらしま)をはじめ島内各地に分かれて住み、開墾に従事しながら小さな集落を形成していきま...
2021.12.1
新上五島町の絶景の一つが、若松町にある龍観山展望台からの眺め。九州自然歩道の中通島・若松島ルート上にあり、小島が浮かぶ若松瀬戸を一望できます。そこから山道をしばらく走ると、海沿いに小さな大平集落があります。潜伏キリシタンの歴史がある集落で、住民の...
2021.11.24
新上五島町の教会堂の中でも、特に観光客からの人気が高い教会堂の一つが、中ノ浦教会堂。海辺に映る姿が特徴で「水鏡の教会」とも称され、堂内の花をモチーフにした装飾も特徴的です。また、若松大浦教会堂は、民家のような造りで、復活当時のお御堂の雰囲気をとど...
2021.11.17
古代より海上交通の要衝であり、交易・交流の拠点であった五島の各地には、日本遺産「国境の島 壱岐・対馬・五島~古代からの懸け橋~」の構成資産が点在しています。山王山もその一つで、遣唐使の遺跡が存在する、最澄ゆかりの山岳信仰の山で、山頂には1200年の歴...
2021.11.10
新上五島町は、五島市と同じく、中世期には遣唐使船の風待ち港だった歴史があります。今回は、遣唐使船が係留したといわれる「ともじり石」なども残る青方地区を出発し、跡次教会堂を見学後、遣唐使船が3日間滞在したことからその名がついたと言われる三日ノ浦をたず...
2021.11.3
世界遺産の構成資産でもある、新上五島町の頭ヶ島集落にある頭ヶ島天主堂。地元の石を切り出して造ったという、重厚な石造りの天主堂です。整備された道を通って行くこともできますが、今回はかつて信徒たちが歩いて通ったという里道(昔から地元の人が使っていた道...
2021.10.27
青砂ヶ浦教会堂から県道を3キロほど歩いた場所にある丸尾教会堂。教会堂からは、鉄川与助の出身地、丸尾集落を見渡せます。丸尾漁港近くの「鉄川與助居宅跡」は、建物はレンガ塀のみが残っているだけですが、敷地内にはたくさんの鉄川與助に関する説明板が立てられて...
2021.10.20
波静かな奈摩湾を望み、対岸の冷水教会堂と向き合うように立つ青砂ヶ浦教会堂。1878年頃に初代の教会が建設されてから3代目となる教会堂で、新上五島町出身の鉄川与助の設計施工によって1910年に建立されました。建設時は、奈摩湾の海岸に船で届いたレンガを信徒総出...
2021.10.13
今回歩いた曽根地区は、五島崩れの際に、信仰を公にした信徒たちが激しい迫害を受けたところです。最初の木造の曽根教会堂は、1899年にフランス人のペルー神父のもと、曽根郷長山に建てられ、鉄川与助が関わりました。現在の教会堂は1966年に建てられ、保護者である...
2021.10.6
中通島は、厳しい地形条件に適応し、農村及び漁村という対照的な形態をなす集落による価値の高い文化的景観をのこしているということで、国指定重要文化的景観「北魚目の文化的景観」に選定されています。今回、訪れた小瀬良(こぜら)教会堂もそのエリアに含まれて...
2021.9.29
昔、中通島は、北部は平戸藩、それから下は五島藩に管轄が分かれていました。今回は、その藩境をまたいで、上五島の中でも有名な江袋教会堂へ向かいます。2007年に火災で大部分を焼失したものの、県や町からの補助金のほか、カトリック長崎大司教区が全国に寄付を呼...
2021.9.22
新上五島町には29の教会がありますが、その中でも北部の拠点のひとつになっているのが仲知教会です。教会堂も大きくて、特にステンドグラスの素晴らしさが有名です。また、島の断崖にある赤波江教会堂は、細い山道をひたすら歩いた先にあり、その辺境の地に立つと、...
2021.9.15
中通島の北部にある津和崎港は小値賀港、有川港との航路があり、巡礼客の移動手段としても利用されています。また、津和崎港からチャーター便を利用して野崎島や小値賀港などに行くこともできます。今回は、この津和崎港から、眺めの良い道路を通って米山教会堂を訪...
2021.9.8
千々石は、天正遣欧使節の一人、千々石ミゲルの生誕地です。千々石ミゲルの本名は千々石紀員(のりかず)で、父は有馬晴純の三男で、千々石淡路守直員。大村純忠の甥にあたり、有馬晴信とは従兄弟という関係です。今回はミゲルの父の直員が建てた釜蓋城の跡に建つ展望...
2021.9.1
先週は、諫早市で天正遣欧使節に随行した少年、ドラードの像を見学に行きましたが、今週は天正遣欧使節の一人、千々石ミゲルの像を見学に、千々石を訪れました。「ミゲル」は洗礼名で、本名は千々石紀員(のりかず)で棄教後は千々石清左衛門に改名。彼が一番輝いてい...
2021.8.25
戦国時代に築造されたという桃山様式の大名庭園が残る諫早市の高城回廊は市役所、高城公園、諫早公園周辺を一周する約1.3キロの情緒豊かな散策路。特に夏は樹木が日差しを妨げ、涼しくおすすめの場所です。今回はそんな高城回廊を歩いて、諫早市図書館にあるコンスタ...
2021.8.18
川棚川は、佐賀県・長崎県境の桃ノ木峠を水源とし、大村湾に注ぐ二級河川で、流域は川棚町から波佐見町まで延び、周囲には田畑を望む川沿いには遊歩道が整備されています。今回は、その遊歩道を通って川棚から波佐見まで歩いてみました。波佐見は天正遣欧使節の原マ...
2021.8.11
彼杵宿と千綿宿は、どちらも波静かな大村湾沿いにあり、長崎街道の宿場町として栄えた歴史があります。八坂神社、元禄波止場など歴史的な建造物が残る旧彼杵港から日本二十六聖人が時津へと向かった海岸に立ち寄り、その後、千綿宿、奇跡的に残ったキリシタン墓碑へ...
2021.8.4
かつて海軍鎮守府が置かれていた佐世保には、今も無線塔や防空壕など戦時中の史跡がいくつも残っています。針尾の無線塔や戸尾市場の防空壕などは有名ですが、今回は比較的あまり知られていない巨大な手彫りの防空壕「無窮洞」を訪ねてみました。また、佐世保駅近く...
2021.7.28
激しい弾圧の中にあっても奇跡的に残った川棚町のキリシタン墓碑。今回は、キリシタン墓碑を訪ねたあと、2つの戦時遺構に足をのばしてみました。太平洋戦争時代、海軍工廠が建てられた川棚には、今も町内のあちこちに戦争の歴史を伝えるスポットがあり、特攻殉国の...
2021.7.21
長崎県のほぼ中央に位置し、波静かな大村湾に面した川棚町。大村湾に大きく突き出た大崎半島は、付近に小島が点在して屈曲に富み、県立自然公園に指定される風光明媚なところで、キャンプ場や海水浴場、温泉のほか、県下唯一のくじゃく園があることでも知られていま...
2021.7.14
1950年の着工当時は「東洋一のアーチ橋」と呼ばれた西海橋。国内初の海峡横断橋であり、戦後日本における長大橋建設の原点として2020年12月、国指定重要文化財に指定されました。今回は改めて西海橋の優美な姿と、そこから眺める針尾瀬戸の美しい潮流を堪能し、早岐...
2021.7.7
今回登った岩屋山(いわやさん)は、長崎市北西部に位置する標高475.2mの山で、古くから信仰の山として崇められ、長崎七高山にも数えられています。また、禁教期には、「三度、岩屋山に登れば樫山(赤岳)に一度巡礼したことになる。三度、樫山に巡礼すれば一度ロー...
2021.6.30
中浦ジュリアンは有馬のセミナリヨで学び、伊東マンショ、千々石ミゲル、原マルチノらとともに天正遣欧使節に選ばれ、1582年にヨーロッパへと海を渡りました。ジュリアンはヨーロッパの記録で、中浦の領主(大村氏の家臣・小佐々氏の一族)の子とあり、「館」とよば...
2021.6.23
長崎市のキリシタンの聖地のひとつ、浦上地区。布教から繁栄、弾圧、そして迫害による追放からの帰還、さらには原爆による被害など、浦上は度重なる苦難を受けながらも、信仰を支えに見事に復興を遂げました。今回は、そんな浦上の歴史を今に伝える2つの資料館をた...
2021.6.16
今回訪れた飯良町は、キリシタンの伝統を継承しつつ、限られた土地を巧みに利用した昔ながらの集落景観が残っており、島内の宝亀や紐差、根獅子などと共に、重要文化的景観に選定されています。今回はのどかな風景が広がる飯良から中津良周辺を散策したあと、大佐志...
2021.6.9
梅雨の晴れ間に平戸島に車を走らせ、緑の大草原が広がる川内峠から、江戸後期に外海から上五島に渡った信徒が再移住したとされる山野地区を訪ねてみました。ほとんど信徒だけが住むという山野集落は、名前の通り、山の中にあります。
2021.6.2
1550年、長崎県で初めてザビエルがキリスト教を伝えた平戸。一時はキリスト教が栄えましたが、松浦藩主は南蛮貿易は歓迎するもキリスト教徒にはならず、城下には寺院が多く建てられました。キリスト教と仏教が混在する風景は、今もエキゾチックな平戸を象徴する風景...
2021.5.26
1550年、長崎県で初めてザビエルがキリスト教を伝えた平戸。当時は「フィランド」として世界にも知られる国際貿易港でした。今は静かな港町ですが、高台には平戸城がそびえ、昔ながらの町家風建築に統一された街並みが目を楽しませてくれます。南蛮貿易やキリスト教...
2021.5.19
根獅子(ねしこ)にあるキリシタン関連史跡にはいくつもの言い伝えがのこされています。その中でも、おろくにん様の言い伝えは、信仰を守り続けてきた根獅子の信徒たちの心に強く刻まれています。今回は、おろくにん様が眠るウシワキの森や切支丹資料館周辺を散策した...
2021.5.12
根獅子は前回訪れた春日集落と同じく、平戸松浦氏の家臣・籠手田氏の所領でした。そのため領民のほとんどがキリシタンとなり、禁教期には多くの殉教者を生みました。今でも根獅子地区にはいくつもの聖地や史跡が残っています。今回は夕暮れに訪れたせいか、根獅子の...
2021.5.5
平戸には1550年にザビエルによってキリスト教が伝えられ、領主の籠手田氏が改宗したことから 春日集落にもいち早くキリスト教が広まりました。禁教期の春日集落の潜伏キリシタンは山や島を拝むことによって信仰を実践していました。その一つが平戸島最高峰で標高約51...
2021.4.28
生月島には潜伏キリシタンゆかりのスポットがいくつもありますが、その中でも海沿いにある「だんじく様」は、この近くに潜伏していた両親と男の子の3人家族のキリシタンが捕らえられ、処刑された場所として、聖地とされています。子どもが海岸で遊んでいるところを役...
2021.4.21
生月島はキリシタンの歴史はもちろんですが、もう一つ、捕鯨の歴史も大きな特徴です。その両方の歴史資料を保管・展示しているのが平戸市生月町博物館「島の館」。今回は、生月のシンボルでもある巨大観音様と生月大橋を眺めながら「島の館」をめざします。
2021.4.14
生月島は1588年にガスパル・ヴィレラ神父によって布教が始まると、現在の黒瀬の辻には巨大な十字架が立ち、山田地区には600人ほど収容できる大きな教会堂があったといわれています。前回ご紹介した黒瀬の辻殉教地から山田教会堂まで、のんびり歩いてみました。
2021.4.7
平戸市中心部から車で約30分。水色の生月大橋が架かる生月島は、キリシタンの歴史が息づく祈りの島。長崎県でいち早くキリスト教が伝えられ、キリシタン文化の繁栄をみました。しかし、その後は弾圧や迫害が激しく、多くの殉教者を出しました。生月島を訪ねると島の...
2021.3.31
純忠は日本で最初のキリシタン大名となり、洗礼名をドン・バルトロメオといい、亡くなるまで敬けんなキリスト教信徒でした。晩年は、「坂口館」という大村家の館で、病とたたかいながらも、信仰の生活を送り、1587年に55歳の生涯を閉じました。本経寺は大村家の菩提...
2021.3.24
戦国時代、大村純忠が築いたとされる三城城。1572年、武雄の後藤氏、諫早の西郷氏、平戸の松浦氏の1500人の連合軍から突如城を攻撃されるも、城にいた7人の武将と女、子どもら70余名の大奮闘で勝利しました。この出来事は「三城七騎ごもり」として語り継がれています...
2021.3.17
伊奈姫は、大村純忠の娘(洗礼名マリナ)で、家臣の浅田家に嫁ぎました。弾圧が激しくなると、浅田氏は大村藩の領地だった琴海の戸根に日蓮宗寺を装った庵をつくり、伊奈姫はそこで密かに宣教を行っていたと伝えられています。今回は、伊奈姫の墓を訪れたあと、天正...
2021.3.10
大村市内にある殉教地の多くは、1657年(明暦3)、大村で603人の潜伏キリシタンが見つかった大事件「郡崩れ」に関係した場所です。今回訪ねた3ヶ所も、郡崩れで捕らえられて殉教した131人の処刑後の悲惨な出来事を今に伝えています。当時のキリシタン弾圧の厳しさを...
2021.3.3
3月は、日本初のキリシタン大名「大村純忠」の拠点であった大村の地を5週に渡ってご紹介します。純忠がキリシタンになったことで大村では領民のほとんどが信徒でしたが、徳川幕府のキリスト教禁止令(禁教令)によって、信徒たちは厳しい弾圧を受けることになりまし...
2021.2.24
1570年頃になると、古賀周辺は島原藩有馬氏の所領となり、古賀村にあった神社仏閣はなくなり、天主堂とキリスト教伝道所が建てられ、領民はこぞってキリシタンになっていきました。今回は、かつての佐嘉藩領(佐賀藩領)と天領古賀村の境を出発し、長崎街道を通って...
2021.2.17
1612年幕府の直轄領における禁教令以来、松倉豊後守重政が島原・古賀を支配下においてからは、徹底したキリシタン弾圧が行われました。古賀のキリシタンたちは捕らえられ、厳しい拷問を受け続けてもそれに耐え、殉教者たちは信仰を守り通して帰天しました。今回は、...
2021.2.10
1571年、長崎港が開港されると長崎もキリスト教が栄え、宣教を推進する島原の有馬氏の領地だった古賀・矢上など東長崎地区でも、神社や仏閣が焼き払われ、領主の庇護を受けてキリスト教徒は増加しました。しかし、禁教期に入ると多数の殉教者が出た場所でもあります...
2021.2.3
1858年、フランス南部のルルドの洞窟で、羊飼いの少女・ベルナデッタの前に聖母マリアが現れ、お告げどおりに土を掘ると清水が湧き出し、その水で難病などが治ったという奇跡が起こりました。その後、世界各地でこのルルドを模倣し、聖母マリア像を収めた「ルルド」...
2021.1.27
浦上キリシタンの殉教の歴史を語る道標であり、信仰の遺産でもある十字架山は、1881年、当時の浦上教会のプトー神父と流配から帰って来た信徒たちが、絵踏みをしたことを罪として償い、そして信仰を表明できることに感謝し、当地の丘を購入して築造された聖地です。...
2021.1.20
今年のぶらり旅のテーマは「聖地巡礼」。キリシタンの殉教の歴史が残る長崎県にはカトリックの聖地と呼ばれているスポットがたくさんあります。今回はその中から日本二十六聖人とゆかりのある本原教会堂とその裏手に隣接する聖地「一本木山」を訪ねます。
2021.1.13
約450年前のキリスト教の繁栄期、長崎市内にはいくつもの教会が建てられていました。今回はそんな長崎の歴史の一端を感じる眼鏡橋周辺を歩いた後、明治期に創建され、原爆によって破壊されるも見事に復活した中町教会堂を訪ねます。中町教会堂には聖トマス西と15殉教...
2021.1.6
先月は日本二十六聖人が最後に歩いた時津港から西坂公園までの道のりを4回にわたってご紹介しました。そこで今年第1回目のぶらり旅は、ライトアップがきれいな冬の大浦天主堂を訪ねてみました。大浦天主堂は、正式には、「日本二十六聖殉教者聖堂」と言い、1862年...
2020.12.23
1597年2月5日(慶長元年12月19日)の早朝、時津港に上陸した26人は、ひどい霜の中、3里(約12キロ)の浦上街道を歩き午前10時頃西坂の丘に到着したといわれています。今回は銭座町から西坂まで、26人が最後にたどった道を歩いて、殉教者たちの強い思いを感じてみます。
2020.12.16
日本二十六聖人が歩いた時津港から西坂までの約12キロの行程をたどる今月のぶらり旅。26人は早朝から歩き出し、現在の山王神社周辺で休憩をとったといわれています。当時、浦上街道の宿場町であった平野宿あたりから坂本国際墓地までの旧道はアップダウンのある細い...
2020.12.9
26聖人を偲び浦上街道をぶらり(2)大クスからサンタ・クララ教会跡へ
時津から浦上を通り長崎まで続く、長崎街道の脇街道と言われる浦上街道(別名:時津街道)。江戸時代の中頃まで大いに利用され、様々な人々が往来しました。なかでも最も有名なのが二十六聖人です。当時、時津村から浦上村を通って長崎村西坂までの距離は3里(約12km...
2020.12.2
豊臣秀吉の命によって長崎の西坂で日本二十六聖人が処刑されたのは1597年2月5日、旧暦で言えば慶長元年12月19日。先週ご紹介した東彼杵町の彼杵浦から舟に乗せられた一行は時津港に着き、翌朝、西坂を目指して歩きました。今月は26聖人の一行が歩いた浦上(時津)街道...
2020.11.25
長崎街道の中でも彼杵宿は平戸街道への分岐点として重要な役割を担っていました。豊臣秀吉の命により京都で捕らえられた日本二十六聖人の一行は、処刑される前日、東彼杵の海岸から船で時津に向かいました。その地は今も悲しい歴史に思いを馳せる大切な場所として記...
2020.11.18
波佐見地区の潜伏キリシタンは、1865年の郡崩れを機にほとんど消滅したと考えられていますので、現在、波佐見町に残るキリシタン墓碑はそれ以前のものと推定されています。紅葉が目立ち始めた秋の日、波佐見町ののどかな山里にあるキリシタン墓碑をたずねました。
2020.11.11
波佐見町のキリシタンに関する歴史資料は非常に少なく、原マルチノが波佐見町出身だという根拠もローマにある資料に「肥前国ハサミの首長の子」と書かれていることが由来になっています。しかし、町内で発見されたというキリシタンの遺物を見ると、紛れもなく波佐見...
2020.11.4
波佐見町は、布教当時は大村藩の中でもキリシタンが多い村でした。その後の弾圧でキリシタンは姿を消してしまい、現在は教会堂などはありませんが、波佐見出身で天正遣欧使節の一員としてローマに渡った原マルチノの銅像が立てられ、キリスト教の歴史を伝えています。
2020.10.28
今回の平戸のぶらり旅、最後の目的地は木ヶ津(きがつ)教会堂です。宝亀や紐差方面から行くと、木ヶ津漁港のある中心地から2キロくらい先の山の中にあります。木ヶ津地区の信徒は、明治中期に五島や黒島から移住してきた潜伏キリシタンを先祖に持ち、今でも信仰の篤...
2020.10.21
禁教期に外海から移住してきた信者の子孫が多く住む宝亀地区。現在の宝亀教会堂は、1898年に平戸瀬戸が見渡せる小高い丘に建てられました。教会堂はマタラ神父の指導で建てられ、平戸に現存する教会堂では最古と言われています。教会堂周辺には「宝亀」という地域...
2020.10.14
明治以降の平戸におけるカトリックの布教に大きな役割を果たしたフランス人のマタラ神父は、1887年プティジャン神父より平戸・黒島の教区主任を命じられると、赤痢が流行する平戸・生月島に赴任。自身も病を患いながら聖体拝領と洗礼を続けたといわれています。秋...
2020.10.7
今月は平戸を代表する紐差教会堂と宝亀教会堂を中心に、その周辺のスポットを訪ねます。まず今週は、平戸を代表する海水浴場、千里ヶ浜を通って紐差地区をぶらり。1885年に初代聖堂が建立されると、潜伏していた信者が続々とカトリックに復帰し、県北の宣教活動の...
2020.9.30
南島原市内には100基を超えるキリシタン墓碑が確認され、そのうち有家町内の道路端や石垣、畑の中などに点在していた墓碑を集めたものが有家キリシタン史跡公園です。この地で最もキリスト教が栄えた天正年間(1573-1592)には2つの教会があり、住民は全員信徒だった...
2020.9.23
セミナリヨとは、イエズス会によって日本に設置された司祭・修道士育成のための初等神学校のことで、最初、日野江城下に置かれたセミナリヨは、秀吉のバテレン追放令などの影響を受け、有馬領内の八良尾(北有馬)に移転し、その後1595年に有家に移転しました。現在...
2020.9.16
南島原市加津佐町は、ルイス・フロイスの記録に「修院も学校も海に近い丘の上にある」などと記載があるように、かつてキリスト教が繁栄した町です。また、加津佐にあったコレジヨでは、日本で最初のキリシタン版『サントスの御作業の内抜書』が刊行されました。
2020.9.9
口之津港は、古くから多くの船が交易に来る港でしたが、1562年有馬義直(のちの義貞)によりポルトガル船の寄港地として許され、正式に南蛮貿易港として開かれました。1567年にポルトガル船3隻が入港し、また、キリシタン布教の拠点となり、天主堂も建てられました。
2020.9.2
戦国時代、島原半島を治めていた有馬義貞は弟の大村純忠が横瀬浦を開港した1562年に口之津を開港、1582年までポルトガルとの交易が行われました。宣教の拠点となった口之津には、イエズス会の巡察使ヴァリニャーノやアルメイダなども来航し、口之津を拠点に宣教活...
2020.8.26
1563年、アルメイダが島原半島で初めて口之津で250人に洗礼を授け、その4年後に南蛮船が入港。キリスト教は島原半島全体に広がり、口之津は布教の中心となったといわれています。その証ともいえるのが、各地から発掘、発見されているキリシタン墓碑。島原半島で発...
2020.8.19
中ノ浦教会は若松瀬戸の笛吹浦から入り込んだ小さな入江に面し、対岸から見る教会建物の優美なたたずまいはポスターなどでもお馴染みの風景です。中ノ浦教会の先祖は、寛政年間に外海の黒崎地区から移住した潜伏キリシタンで、明治初期の迫害では信徒が捉えられ拷...
2020.8.12
1797年に五島藩は大村藩に対し、領民を土地開拓民として移住させるよう要請、大村藩主はこれを快諾し、外海地方から100人あまりが五島へ移住しました。今回訪れた浜串集落は、1815年頃、外海の樫山地区から移り住んだのが始まりとされ、現在も住民のほとんどがカト...
2020.8.5
やっぱり夏は五島でしょ!ということで、前回に引き続き中通島の教会堂を巡ります。今回は美しい海沿いに立つ高井旅教会堂と福見教会堂を訪問。どちらも先祖は外海から移住した潜伏キリシタンですが、福見教会は1878年(明治11)にカトリックに復帰、一方、高井旅教...
2020.7.29
世界遺産の構成資産に登録されている教会堂をはじめ、約50の教会堂がある五島列島。リアス式海岸の入り組んだ小さな入江の集落に、ひっそりと佇む教会堂は、五島のキリシタン信仰の歴史を物語っています。今回は新上五島町の奈良尾港からスタートして、周辺の教会...
2020.7.22
久賀島には、旧五輪教会堂のほか、以前から牢屋の窄(さこ)殉教記念聖堂や浜脇教会堂など、潜伏キリシタンの歴史を物語るスポットがありましたが、久賀島の集落が世界遺産の構成資産になってからは観光交流拠点センターや潜伏キリシタンに関する資料館なども整備さ...
2020.7.15
世界遺産の構成資産にもなっている久賀島の集落。今回は長崎から朝一便のジェットフォイルで福江港へ渡り、連絡船シーガルで久賀島の田ノ浦港に9時30分に到着。帰りの14時35分発のフェリーの時間まで正味約4時間、レンタカーで島内の潜伏キリシタンゆかりのスポッ...
2020.7.8
実は長崎よりも早く南蛮貿易港として栄え、キリシタンの町となった横瀬浦。開港からわずか1年後に焼き討ちにあい消滅してしまいましたが、それがなければ、もしかしたら横瀬浦が後に日本のキリスト教の拠点となる長崎だったかもしれません。横瀬浦を歩くと、そんな...
2020.7.1
約420年前、平戸の次に南蛮貿易港となった横瀬浦は、「日本史」の著者としても知られる宣教師ルイス・フロイスが日本に降り立った最初の地でもあります。開港と同時にキリシタンの町となり、現在の横瀬浦公園がある場所にはりっぱな天主堂があったといわれています。
2020.6.24
1562年、平戸にかわって南蛮貿易港となったのが横瀬浦。教会が建てられ、港は「聖母の港」と呼ばれるようになり、大村純忠はこの地で家来と共に受洗しました。残念ながらその繁栄は1年で終わってしまいましたが、横瀬浦を訪ねると今も歴史の面影をあちこちで感じる...
2020.6.17
禁教令により宣教師たちが全て国外に追放されたあと、外海地方ではバスチャンという日本人伝道者が、厳しい取締りの中、追っ手から逃れながら、潜伏キリシタンたちを指導したといわれています。現在、牧野地区の山中にはバスチャンの隠れ家をイメージした建物が建...
2020.6.10
明治時代になってキリスト教が黙認されるようになると、外海の大野地区にいた潜伏キリシタンもカトリックに復帰しました。1879年、外海地区に着任したド・ロ神父は、26戸の信者と力を合わせ、1893年に大野教会堂を完成させました。小さいながらも、現地の石を積み...
2020.6.3
西彼杵半島中部の外海地区は、出津(しつ)や黒崎などを中心に、禁教後も信仰を守る潜伏キリシタンが多くいました。出津に近い大野地区には各地から潜伏キリシタンが移り住んだと言われています。今回は、大野教会堂の駐車場から近年整備された石段を登って大野教会...
2020.5.27
1614年に禁教令が出されて以降、キリシタンへの取り締まりはいっそう厳しさを増しましたが、外海地方のキリシタンの多くは潜伏して信仰を守り続けました。その中でも黒崎地区に住む潜伏キリシタンたちは、枯松といわれる山の中に集まり、代々オラショを伝承してき...
2020.5.20
禁教期、外海の大野集落の潜伏キリシタンは、表向きは仏教寺院に所属し、さらに集落内にある大野神社、門神社、辻神社の3つの神社の氏子として信仰を守り続けました。今回は、大野集落の東端、大野教会堂から坂道を歩いて登った山の中にある辻(つじ)神社をご紹介し...
2020.5.13
禁教期、外海の大野集落の潜伏キリシタンは、表向きは仏教寺院に所属し、さらに集落内にある大野神社、門神社、辻神社の3つの神社の氏子として信仰を守り続けました。今回は、前回の大野神社に引き続き、門(かど)神社をご紹介します。
2020.5.6
外海の大野集落一帯では1571年にイエズス会宣教師カブラルらが宣教活動を行い、キリスト教が伝わりました。禁教期になってからも表向きは仏教徒や集落内の神社の氏子となり、神社に自分たちの信仰対象をひそかにまつって拝むことによって信仰を守り続けました。今...
2020.4.29
相浦の信徒は、1906年頃の平戸や現西海市の大島からの移住者に始まります。1938年に信徒の家が仮教会となり、1941年、集会所の名目で教会が建ち相浦教会の歴史が始まりました。高台にそびえる白亜の教会堂は、1960年に建てられたもので、約60年の歳月を経ています。
2020.4.22
明治中期頃、大崎地区に黒島や平戸、五島から信徒が移住し、最初は三浦町教会に通っていましたが、1941年に大崎に仮聖堂が建立され相浦小教区になり、1989年に分離独立した教会堂です。九十九島に突き出た半島にあり、海岸からは正面に大崎教会堂の十字架を望むこ...
2020.4.15
佐世保市のシンボルとも言える、美しいゴシック建築の三浦町教会堂。創建当時は、1899年に佐世保教会という名称で谷郷町に設立されましたが、信者の急増に伴い、1931年に現在の教会堂が完成しました。再開発で新しい魅力を発信している万津町周辺から徒歩圏内にあ...
2020.4.8
佐世保市大野地区には昭和の初期から炭鉱の開発により各地から信徒が移り住み、1961年に初代教会堂、1982年に現教会堂が建てられました。国内に日本二十六聖人に捧げられた教会堂はいくつもありますが、聖ヨハネ絹屋に捧げられたカトリックの教会堂は大野教会堂だ...
2020.4.1
県内の市町の中でも教会数が多い佐世保市、そのほとんどが移住者によって設立された教会です。天神教会も黒島や五島、平戸などから移住した信徒たちによって作られました。最初の教会堂は1974年に建てられ、その後1986年に現在地に新聖堂が建設されました。入り口...
2020.3.25
江戸時代になると、徳川幕府はキリスト教の信仰を禁止し、大村藩もキリシタンに厳しい弾圧を行いました。しかし、かつてキリシタン大名が支配した大村には多数のキリシタンが存在し、彼らの中には禁教後も隠れて信仰を続ける人も多くいました。1657年に起きた潜伏...
2020.3.18
大村市には大村純忠に関するスポットはもちろん、大村家に由来する文化財も多く点在します。大村家の菩提寺である本経寺もその一つで、大きな墓は大村家がキリシタンをやめ、仏教徒になったことをアピールするためともいわれています。本経寺の見学後、江戸時代の...
2020.3.11
大村純忠は、島原の有馬家から養子として大村家に迎えられ、大村家の領主となると、横瀬浦、福田、そして長崎を開港して南蛮貿易を行いました。また、日本初のキリシタン大名となり天正遣欧少年使節の派遣など歴史に残る多くの事業を行いました。今回は大村市で、...
2020.3.4
2019年10月に大村市にオープンした「ミライon図書館」。県立・市立一体複合型図書館で、都道府県と市町村が共同運営する図書館としては日本で2例目という、まさに公共施設の未来を感じる運営スタイル。今回は、図書館に併設されている大村歴史資料館を訪ねてみまし...
2020.2.26
先週から引き続き、38年前に来崎したローマ教皇故ヨハネ・パウロ二世が訪れた場所をたどります。今回は大浦天主堂や、アウシュビッツで若い兵士の身代わりとなって亡くなったコルベ神父ゆかりの本河内教会堂で教皇の思い出にふれました。コルベ神父は1982年10月10...
2020.2.19
今回から2週にわたり、38年前に来崎したローマ教皇故ヨハネ・パウロ二世が訪れた場所をたどってみます。“自ら巡礼者として長崎を訪れた”と語った教皇。38年前は長崎空港に1981年2月25日17時過ぎに到着し、翌日夜10時まで滞在されたため、市内のあちこちで記念ミサ...
2020.2.12
2019年11月24日に長崎を訪れたローマ教皇フランシスコは、爆心地で平和のメッセージを発信した後、日本二十六聖人殉教地である西坂公園を訪れました。限られた時間の中で、教皇フランシスコがどうしても訪ねたかった場所にはどんな意味が込められているのでしょう...
2020.2.5
2019年11月23~26日、ローマ教皇フランシスコが来日し、24日に長崎を訪れました。原爆落下中心地で発した平和のメッセージや3万人が集まったミサなど、記念すべき日となりました。そこで、今回から4週にわたり、ローマ教皇フランシスコが訪れた長崎の地、そして38...
2020.1.29
長崎から﨑津集落をめざしたバス旅も、いよいよ今回がラスト。天草では﨑津集落の世界文化遺産登録を記念して3宗教巡拝の御朱印を頂くことができます。前回紹介した﨑津教会堂に続き、﨑津諏訪神社と仏教のお寺の普応軒をまわり、世界中でここしかない御朱印をゲッ...
2020.1.22
今回はいよいよ世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産である天草市の﨑津集落に到着。散策できる時間は3時間半ほどですが、まずは﨑津集落ガイダンスセンターで情報収集後、﨑津教会堂を見学し、すぐそばにある「﨑津資料館みなと屋」を...
2020.1.15
天草市内に泊まり、翌朝、いよいよ﨑津集落へ向けて出発します。バスで行く場合は、本渡バスセンターからまず下田温泉まで行き、そこから河浦行きに乗り換えないといけません。せっかくなので、バスの待ち時間に下田温泉街を散歩してみました。※バスの時間は曜日や季...
2020.1.8
12月から引き続き、世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産である原城跡と﨑津集落を路線バスで訪ねる旅をご紹介します。今回は、南島原市の原城跡を散策したあと、口之津港に向かい、フェリーで鬼池港着。そこから最終バスで本渡市内へ...
2019.12.25
諌早市を出発して、バスで南島原市の原城跡と天草の﨑津集落を巡る旅。今回はようやく目的地の一つ、原城跡に到着します。原城跡から徒歩30分のところに「南島原市有馬キリシタン遺産記念館」があるので時間の余裕があれば寄りたいですね。口之津港発のフェリーの時...
2019.12.18
南島原市の原城跡と天草の﨑津集落の2つをバスで巡る旅は、まだまだ序盤。今回は、雲仙からバスに乗って島原市に移動し、城下町をしばし散策しました。事前に時刻表でチェックしてちゃんと予定を立てて動くと、路線バスでもいろんな場所を回ることができますよ。
2019.12.11
南島原市の原城跡と天草の﨑津集落の2つを1泊2日で巡る旅の途中、最初に立ち寄った雲仙温泉。今回は、湯けむりと硫黄の匂いが旅情をかきたてる雲仙地獄を30分ほどで散策してみました。江戸時代はキリシタンの処刑も行われていた雲仙地獄には、キリシタン殉教碑が建て...
2019.12.4
前回から引き続き、世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産を路線バスで訪ねる旅をご紹介します。今回は、南島原市の原城跡と天草の﨑津集落の2つを1泊2日で巡る旅がスタート。路線バスを乗り換えながらの旅は、車での移動とはまた違った...
2019.11.27
春日集落のほぼ中央に、地元の人々が昔から崇拝している「丸尾山」。こんもりとした小さな山で、現在は頂上に石の祠が立てられていて、祭事も行われています。キリシタン時代には聖地として十字架が立てられていたと記されています。今回は、この丸尾山の頂上をめざ...
2019.11.20
バスで行く春日集落への旅、今回はいよいよ春日集落に到着です。白石バス停から春日集落拠点施設「かたりな」までの道のりは登りあり下りありの軽いウォーキングコース。生月島を散策した後に少しハードな行程ですが、「かたりな」のおばあちゃんの笑顔にふれると疲...
2019.11.13
前回から引き続き、春日集落へ向かうバスが出るまでの空き時間を利用して、生月島を徒歩で散策。今回は生月島で最も大きな教会の山田教会堂と生月を代表する聖地、黒瀬の辻殉教地を訪ねました。黒瀬の辻からは中江ノ島を望むことができます。
2019.11.6
前回は長崎から「平戸市生月町博物館 島の館」までの行程をご紹介しました。今回は、それから春日集落へ向かう平戸行きのバス(生月大橋公園前バス停14時11分)が出るまでの空き時間を利用して、生月島の舘浦周辺を徒歩で散策。まちなかに点在するキリシタン関連のス...
2019.10.30
世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産の一つ、平戸市の春日集落を訪ねるには車やツアーバスが便利ですが、事前に時刻表等をチェックしておけば公共交通機関を使って訪ねることもできます。そこで今回から5回に分けて、春日集落までのバ...
2019.10.23
島内のどこを走っても教会堂にたどり着く新上五島町。小さな集落にも大切に守られている教会堂があります。今回は、遣唐使船の歴史も残る道土井湾の近くにある真手ノ浦教会堂から洋上石油備蓄基地を見下ろす高台に建つ跡次教会堂、そして上五島では珍しい山に囲まれ...
2019.10.16
1907年築の冷水教会堂は、近くの丸尾郷出身の鉄川与助が棟梁となって初めて手掛けた教会堂です。冷水は五島崩れで迫害を受けた地域の一つで、逃れた信徒たちは戻ることはなかったと伝えられ、現教会堂は解禁後に近隣や平戸、下五島などから移住してきた信徒たちによ...
2019.10.9
新上五島町の中でも見学者が多い人気スポット、青砂ケ浦教会堂。鉄川与助が手がけたレンガ造りの教会堂で、国指定重要文化財です。また、青方教会堂は、島外ではあまり知られていませんが、実は上五島の中心的な存在で、カトリックセンターの役割も担っています。今...
2019.10.2
新上五島町は明治期から昭和初期にかけて教会建築に多大な功績を残した大工棟梁・鉄川与助の出身地。島内のあちこちに、鉄川ゆかりのスポットや教会堂が存在します。今回は、有川港のターミナルから丸尾教会堂に立ち寄り、鉄川が生まれ住んだ居宅跡を訪ねました。
2019.9.25
前回から引き続き頭ヶ島集落を散策。今回は、キリシタンゆかりの前田家の墓地がある福浦地区と南岸の田尻地区へ足をのばしてみました。キリシタンが拓いた田尻地区も石積みの風景が印象的です。上五島の各地で見られる五島石を使った石積みは、外海から渡ったキリシ...
2019.9.18
今回は、世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産にもなっている頭ヶ島集落の中の白浜地区を訪ねました。集落のシンボル的な存在の頭ヶ島天主堂は、全国的にも珍しい石造りの教会堂。堂内は花の装飾が特徴的であるため「花の御堂(はなのみどう...
2019.9.11
久しぶりに上五島を訪ねました。鯛ノ浦教会堂は、清らかなルルドの泉に心が安らぐ上五島を代表する巡礼スポット。そこから車で25分の場所にあり、頭ヶ島にも近い友住集落は、国の重要文化的景観「崎浦の五島石集落景観」に属する集落で、美しい石畳や石積みの風景が...
2019.9.4
1590年のルイス・フロイスの記録に千々石の司祭館の管轄にある「野井」という地名で現在の愛野町一帯が紹介されているなど、いち早くキリスト教が広まった地区の一つです。今はのどかなじゃがいも畑が広がる農村地帯ですが、可愛い教会堂と、キリシタンの伝説を秘め...
2019.8.28
新元号「令和」の出典となったことで注目されている万葉集。県内では五島市三井楽町が万葉の里として有名です。また、三井楽町は大村藩から移住した潜伏キリシタンが信仰を守り続けた地であり、禁教期に捕らえられたキリシタンを収容した牢屋跡地なども残されています。
2019.8.21
教会堂が多い五島市の中で、最も信徒数が多く、市内の教会の中心的な役割も担っている福江教会堂。美しい白亜のコンクリート造りの教会堂は、いつ見ても清々しく、荘厳な雰囲気を醸し出しています。今回は福江教会堂を見学した後、富江町経由で三井楽へ足をのばして...
2019.8.14
前回は、かつて南蛮船が来航した長崎港から樺島町周辺を散策しましたが、長崎が開港した翌年の1571年、町ができた岬の突端に小聖堂が建てられました。1601年には被昇天の聖母教会堂が完成し、日本のキリスト教の拠点となりました。今回は、岬の教会があったとされる...
2019.8.7
長崎港は今から400年以上前、大村純忠によって開港され、南蛮船や唐船が頻繁に来航し、キリスト教をはじめたくさんの海外文化を運び入れた場所です。埋め立てが進み、波止場の位置などは変わってしまいましたが、今も大波止や樺島町付近を歩くと、キリスト教伝来当時...
2019.7.31
明治初期、外海に赴任したド・ロ神父は「隣人を自分のように愛しなさい」というキリスト教の教えを実践。深い人類愛で外海の人々のために力を注ぎ、一度も母国へ帰ることなく、1914年(大正3年)に74歳で逝去しました。今回は、出津文化村からド・ロ神父が眠る野道の...
2019.7.24
外海地区の中でも、やはり一番の見所はド・ロ神父が赴任して最初に建てた出津教会堂。1882年にド・ロ神父の設計施工で建てられた後、1891年に一部改造、1909年に玄関部を増築し、現在の教会の形が整えられました。100年以上の時を経てもなお美しい佇まいを見せる出津...
2019.7.17
明治初頭、潜伏キリシタンの歴史が残る貧しい外海地区の教会に赴任したフランス人のド・ロ神父。外海の人々を救済するため、私財を投げ打って社会福祉事業に貢献したド・ロ神父の存在は、今も「外海の太陽」として地元の人々の心に生き続けています。国選定重要文化...
2019.7.10
国選定重要文化的景観にもなっている長崎市外海の石積集落景観は、主に畑作を中心とした集落の景観ですが、出津漁港周辺の漁業を生業とする人たちの集落にも石積みの美しい景観が残っています。今回は外海歴史民俗資料館を訪ねる前に、出津漁港周辺をぶらりと歩いて...
2019.7.3
豊臣秀吉の禁教令により、1597年2月5日大阪や京都方面で活動していた宣教師と日本人信徒の計26名が処刑された西坂の丘は、世界的に知られるキリスト教の聖地。長崎駅のすぐ近くにありながら、季節の花が咲く落ち着いた雰囲気の公園は、散歩の途中の休憩スポットにも...
2019.6.26
西海市西彼町平原にあるキリシタン墓碑は、平原を開拓した相川家一族の先祖で、 相川勘解由左衛門慰藤原義武の墓碑といわれています。相川勘解由は大村藩の家令で、松浦氏の家臣で形上一帯を領した武将 。西彼町キリシタン墓碑は、もともと形上にありましたが、子孫...
2019.6.19
お伊奈は、日本初のキリシタン大名・大村純忠の娘(洗礼名マリナ)で、家臣の浅田家に嫁ぎました。キリシタンの弾圧が激しくなると、浅田氏は大村藩の領地だった戸根に日蓮宗を装った庵をつくりました。お伊奈はそこで宣教師をかくまい、密かに宣教を行ったともいわ...
2019.6.12
400年以上前、日本にキリスト教が伝来した頃に活躍した宣教師ルイス・フロイスが「日本史」の中に書き残した「小浜の聖なる十字架」の話は、当時のヨーロッパで広く紹介されたと言われています。今回は、当時のキリスト教繁栄の歴史をうかがわせる雲仙市小浜町のキリ...
2019.6.5
江戸時代、幕府は捕らえたキリシタンに対して改宗を迫り、1627年から1631年まで雲仙はキリシタン責めの場所となり、地獄につけたり熱湯を浴びせるなど、過酷な弾圧が行われ、多くの人が命を信仰に捧げました。今回は、5月に殉教祭を終えたばかりの雲仙の殉教地を訪ね...
2019.5.29
禁教期に小浜から雲仙地獄まで歩いて連れて行かれ、処刑されたキリシタンたち。前回は、石合浜から休憩所となった上の川湧水までの道のりを辿りながら、弾圧の歴史に思いをはせました。今回は小浜の温泉街を抜けたところから、殉教の道をたどってみました。
2019.5.22
温泉で有名な雲仙市小浜町にも、キリシタン弾圧の歴史が残っています。禁教期、長崎で捕らえられたキリシタンが茂木港から船で小浜に送られ、そこから雲仙まで歩いて連れて行かれ、地獄で処刑されたのです。今回から2週に分けて、小浜から雲仙までの道をたどりながら...
2019.5.15
戦国時代、日本人として初めてヨーロッパに公式に派遣され、ローマ法王に謁見した天正遣欧少年使節。今年1月には彼らの物語が初めて実写ドラマ化され世界に発信されました(Amazon Prime Videoで配信)。今回は、改めて大村市にある天正遣欧少年使節像を訪ね、彼らの功...
2019.5.8
「キリシタン弾圧」と「原爆」、2つの大きな受難を乗り越えてきた浦上キリシタン。今も平和町界隈を歩くと、その歴史の痕跡が点在しています。2014年5月5日に浦上天主堂からほど近い場所にオープンした「浦上キリシタン資料館」は、浦上の歴史を次の世代に語り次ぐ...
2019.5.1
諫早は佐賀藩だったこともあり、歴史的にはキリスト教は根付いていませんが、昭和に入り宅地開発がされニュータウンができたことで信徒の数も増え、1932年に諫早小教区が創立され、1983年に現在の聖堂が改築・献堂されました。諫早の中心部の高台にあり、敷地からは...
2019.4.24
諫早市は旧佐賀藩諌早領であり、大村藩の大村市や有馬領の島原地方に比べてキリスト教の足跡が少ない土地柄です。しかし、キリスト教が繁栄した16世紀、諫早生まれの15歳の少年ドラードが天正遣欧少年使節に随行したという歴史が伝えられています。今回は、新緑の諫...
2019.4.17
今週は諌早市高来町へ行ってきました。先週の小長井教会堂と同じく、多良岳の中腹の風光明媚な地に修道会と修道会が設立した社会福祉施設などがあり、その中に湯江教会堂があります。主に施設の利用者と職員のための教会堂で、見学に訪れたときも堂内では熱心にお祈...
2019.4.10
自然豊かな諌早市を代表する多良岳。その中腹に位置する山茶花高原の近くには、カトリックの修道院や福祉施設、教育施設が集まったエリアがあり、その中に小長井教会堂があります。春の心地よい日差しと爽やかな風を感じながら、小長井町に足をのばしました。
2019.4.3
まちの中心を穏やかな長与川が流れ、山にはみかん畑が広がる風光明媚な長与町。長崎のベッドタウンとして発展し、今では県下で最も人口の多い町となりました。信徒数も多く、町の中心部に素晴らしいステンドグラスを備えた立派な教会堂が建っています。
2019.3.27
時津町は、かつては船待ちの港として栄えた古い港町。長崎街道の脇街道である時津街道が通り、たくさんの人や物が行き交いました。1970年代になると湾岸を中心に工場誘致が進み、また長崎市のベッドタウンとしても人口が増加。そのため滑石小教区の巡回教会として時...
2019.3.20
時津港沖に浮かぶ鷹島は、1617年にドミニコ会の2人の神父が処刑された地です。宣教師たちの日本再潜入に火をつけた殉教といわれています。2人の神父は共に206福者となっています。今回は、その鷹島を最もよく眺められるスポットへ行ってみました。
2019.3.13
江戸後期に黒島に移住してきた潜伏キリシタンたちは、大浦天主堂での「信徒発見」一報を受け、命がけで長崎に渡って宣教師に会い、黒島に600人のキリシタンがいることを報告。その後、密かに宣教師が来島し、黒島で初めてのミサが行われたのは1872年のことでした。
2019.3.6
1897年に黒島に赴任して黒島天主堂を建てたフランス人のマルマン神父は、1912年に黒島の地で亡くなるまで全身全霊で黒島信徒の司牧にあたりました。今でも黒島の信徒たちにとって偉大で特別な存在です。今回は、禁教期のキリシタンゆかりの地を巡ったあと、マルマン...
2019.2.27
明治になってキリスト教が解禁されると、黒島の集落の全ての潜伏キリシタンはカトリックに復活。フランス人のペルー神父が赴任すると、1878年に木造の教会ができました。その後、1897年に着任したマルマン神父が設計し、現在の黒島天主堂が完成。黒島教会資料館では...
2019.2.20
佐世保市相浦桟橋から船で50分で到着する黒島は、かつて潜伏キリシタンが迫害を逃れて各地から移住した地。現在も島民の8割がカトリックという信仰の島です。この日はあいにくの雨でしたが、レンガ造りの荘厳な黒島天主堂はいつもと変わらない姿で迎えてくれました。
2019.2.13
国宝であり世界遺産にもなった大浦天主堂に注目が集まっていますが、実際の信徒の祈りの場は、そのすぐそばにある大浦教会堂。大浦天主堂の聖堂に多くの観光客が訪れ、祈りの場に適さなくなった為、 1975年に大浦の信徒のために建設されました。南山手散策の途中に、...
2019.2.6
大浦天主堂は、1865年12月29日に工事が完了し、翌1865年2月19日にジラール神父をはじめ、フランス領事、長崎港内に停泊中のフランス、ロシア、オランダ、イギリス各国の軍艦艦長臨席のもとに盛大な献堂式が行われました。それから154年、世界遺産になって初めての誕...
2019.1.30
ポーランド出身のコルベ神父は、昭和5年に長崎に上陸し「聖母の騎士」を創刊。本河内に聖母の騎士修道院を設立しましたが、帰国後、ナチス軍に捕らえられ、アウシュヴィッツ収容所で死刑を宣告された1人の父親の身代わりとなって亡くなりました。今回は「身代わりの...
2019.1.23
洋館などが多く残り、国の伝統的建造物群保存地区にも指定されている長崎市の南山手地区。その中でもドンドン坂の上にあるマリア園は、美しい洋館として知られています。プティジャン司教の招きに応じて、フランスから来日した修道院が開設した「長崎センタンファン...
2019.1.16
坂道が多い長崎市。高台にある教会堂へは公共交通機関が通っていないところも多く、高齢者にとっては通うのが大変です。稲佐教会堂もそんな教会堂の一つです(車は通行可能)。でもそのぶん、教会堂からの眺めは最高です。
2019.1.9
「キリシタン神社」とは、キリシタンを御神体として祀っている神社のことで、日本では、伊豆大島の「おたいね大明神」、外海の「枯松神社」、そして今回ご紹介する淵神社の中にある「桑姫社」などが知られています。淵神社は長崎ロープウェイの駅が隣接しているので...
2018.12.26
船で長崎港へ入ると、玄関口で出迎えてくれる純白のマリア像は、信仰の歴史を刻む神ノ島のシンボル。航海の安全を見守る存在でもあり、神ノ島の漁師さんたちは船の中からマリア様に向かって手をあわせるそうです。
2018.12.19
その名前の通り、高台に白亜の教会堂が建つ、カトリック集落の神ノ島。今は橋でつながっていますが、昔は船で渡っていました。禁教期には潜伏キリシタンが多く移り住み、殉教の歴史も刻んでいます。また信徒発見後に信仰復活のために活躍した熱心な信徒の足跡も残っ...
2018.12.12
幕末に創業を開始した長崎造船所(長崎溶鉄所)は、明治から大正、昭和と巨艦や客船の建造で発展し、一時は長崎市の人口の3分の1以上を三菱の従業員とその家族で占めていました。県内外から人が集まり、その中には当然信徒も多くいたため、現在もりっぱな教会堂が建っ...
2018.12.5
大村純忠の領地だった福田浦は、1565年から長崎開港の1570年の間、ポルトガル船が入港し、福田村には修道士や司祭が派遣され、教会堂も建てられるなど、キリスト教が繁栄しました。しかし、1614年の禁教令で長崎に集められた宣教師たちは福田浦からマカオ等へ追放さ...
2018.11.28
大崎温泉やくじゃく園などでも知られる川棚町。キリスト教は、戦後、オーストラリア人のF.フリン師の宣教により、一戸の信徒家族より出発し、1950年、教会・幼稚園・保育所の事業を開始、1952年にスカポロ外国宣教会に移管、1966年に現在の聖堂を建立しました。日本...
2018.11.21
先週の東彼杵町から少し足をのばして川棚町を散策。川棚町は、九州のマッターホルンと呼ばれる虚空蔵山を望む風光明媚なまち。キリシタンの歴史もあり、町内のお寺の墓地には奇跡的に難を逃れたキリシタン墓碑が残っています。
2018.11.14
お茶の産地として知られる東彼杵町は、近年新しいスポットが登場し、若い人たちからの注目を浴びています。その中でも海が見えるレトロな駅舎として知られる千綿駅と旧米倉庫をリノベーションして活用したショップ&カフェは大人気。実は、その旧米倉庫の隣にある小...
2018.11.7
東彼杵町は、長崎街道の「彼杵宿」が置かれたところで、昔から交通の要衝として栄え、幕府の役人や長崎警備の福岡藩などの武士たち、オランダ商館長も行き来しました。また、日本二十六聖人が彼杵の海岸から船に乗せられ時津港まで送られたという歴史もあり、一行の...
2018.10.31
この地に移住した潜伏キリシタンが山を開墾し田を広げたことから、繁敷は「山ン田」と呼ばれ流ようになりました。最初の教会は山のふもとに建てましたが火事で焼失。再建した教会もダム建設で取り壊され、多くの信徒が島外に移住。残った信徒が山奥のわずかな土地に...
2018.10.24
嵯峨島は貝津の西方沖合に浮かぶ周囲12kmの小さな島。島民の3分の1はカトリックで、先祖は、江戸時代に大村藩から逃れてきた潜伏キリシタンです。復活後、最初は信徒の家を利用してミサが捧げられていましたが、1918年に教会堂が完成。今回は、今年10月に創建100周年...
2018.10.17
外海から移住した信徒の子孫によって1924年に建てられた貝津教会堂。五島市三井楽町にある3つの教会堂のうちの一つで、1952年に岳小教区から独立し貝津小教区となりました。1962年に大幅な増改築がなされたものの創建当時の面影が残る素朴な木造教会。美しいステン...
2018.10.10
福江教会は、明治以降、旧福江城下に五島各地から信徒が集まり、1914年に堂崎小教区から独立。現在、下五島地区では信徒数が最も多く、市内の教会の中心的な役割も担っています。現教会は、1962年建立。同年の福江大火では街中が被害にあいましたが、この教会だけは...
2018.10.3
江戸時代に建てられた武家屋敷の石垣が残る五島市の武家屋敷通り。周辺には、五島高校や福江文化会館、五島市図書館、五島観光歴史資料館があり、五島市の文化ゾーンとなっています。今回は、キリシタン関係の展示がリニューアルしたという五島観光歴史資料館を訪ね...
2018.9.26
神浦(こうのうら)地区は、外海で最初にキリスト教が栄えたところ。神浦8代城主、神浦正信は大村家の家臣となり、1571年に受洗。神浦はキリスト教が栄え、教会堂はもちろんレジデンシア(支部修道院)が設置された時期もありました。今回は神浦にかすかに残るキリスト...
2018.9.19
外海地区の山間にひっそりと立つ大野教会堂は、世界文化遺産に登録された構成資産の一つ「外海の大野集落」の中にある教会堂。通常は利用されておらず、一年に一度、ミサが行われていますが、世界遺産登録によって観光客は増えているようです。今回は、そんな大野教...
2018.9.10
外海とゆかりの深い作家・遠藤周作の遺品・生原稿・蔵書等に出会える長崎市遠藤周作文学館が、遠藤周作生誕95周年を記念して2018年7月に全館リニューアルし、旧喫茶スペースも「思索空間アンシャンテ」として新たにオープン。さっそく訪ねてみました。
2018.9.5
外海地区は、昔は交通の便が悪かったため「陸の孤島」と呼ばれていました。そのため役人の目が届きにくく、禁教期はキリシタンの潜伏地となりました。特に、黒崎地区は潜伏キリシタンの歴史が色濃く残る場所。2017年3月には、地元のキリシタンの歴史を公開するための...
2018.8.29
長崎市の西町小教区は、1959年に浦上小教区から分離した800人の信徒で発足。現在は扇型の美しい教会堂が建てられています。一方、滑石小教区は滑石団地の開設に伴い1970年に設立され、現在の二つの塔屋、双塔を持つ教会堂は2008年に建てられました。どちらも子どもた...
2018.8.22
前回から引き続き長崎港沖の高島をぶらり。高島のカトリックの先祖は、宝暦年間に外海の樫山地区から、迫害を逃れて移住した潜伏キリシタンといわれています。その後、炭鉱の発展とともに信徒数も増加しましたが、1987年の閉山に伴い激減。2004年から馬込小教区の巡...
2018.8.15
長崎港沖に浮かぶ高島は、世界遺産に登録された軍艦島と同じようにかつては炭鉱の島として栄え、グラバーが炭鉱開発のため邸宅を建てた歴史もあります。現在は、高島炭鉱資料館でその歴史をしのぶことができますが、なんとその展示品の中に教会にゆかりのあるものを...
2018.8.8
今から73年前、原爆が長崎に投下。「東洋一の聖堂」と称された浦上天主堂は無残にも破壊され、天主堂内にいた神父と信徒は即死、浦上地区に住んでいた約1万2000人の信徒のうち、約8500人が原爆の犠牲になりました。今も原爆の爪痕を残す浦上天主堂を、8月9日の「長崎...
2018.8.1
江戸時代、外海などの潜伏キリシタンが移り住んだといわれている伊王島は、現在もカトリックの島として知られる一方で、リゾートの島として生まれ変わりました。2018年春には宿泊施設がさらにリニューアル、夜のアトラクションなども加わり注目を集めています。今回...
2018.7.25
南島原市は国内でもキリシタン墓碑が多い地域として知られています。2012年に発刊された「日本キリシタン墓碑総覧」に掲載されている国内202基の墓碑のうち、なんと114基が南島原市に存在。今回はその中から、北有馬町にある墓碑を訪ねながら、周辺の名所にも足を運...
2018.7.18
戦国時代、有馬氏の居城であり、華やかな城の様子が宣教師の記録にも残されている日野江城。キリスト教が栄えた時代は城下にセミナリヨが開設されるなど、布教の拠点となりました。しかし、禁教期に入ると、厳しい弾圧により殉教の舞台となるなど、悲しい歴史も刻ん...
2018.7.11
世界文化遺産の原城跡は、島原・天草一揆の舞台として昔から知られていますが、訪れる際には、近くにある有馬キリシタン遺産記念館で軽く予備知識を入れておくのがコツ。そうすると、原城跡を何倍も興味深く見ることができますよ。せっかくなので、周辺も散策してみ...
2018.7.4
今回は平戸島に車を走らせ、布教当時からの信仰の歴史を刻む中野地区や、江戸後期に外海から上五島に渡った信徒が再移住したとされる山野地区を訪ねてみました。ほとんど信徒だけが住むという2つの小さな集落には、今も熱心な信徒たちにより大切に守られている教会...
2018.6.27
フランシスコ・ザビエルは、1550年に平戸に来航。領主松浦隆信の許しを得て、キリスト教の布教に当たりました。その後一旦平戸を離れるものの、短い日本滞在の中で3度平戸を訪ねています。その足跡を後世に残そうと、平戸の崎方公園にはザビエルの記念碑が立てられて...
2018.6.20
16世紀、平戸は『西の都フィランド(Firando)』と呼ばれ、ポルトガルや中国、オランダ、イギリスなどを相手に、貿易港として栄えました。キリスト教を伝えたザビエルも、ポルトガル船に乗って平戸に来航。今でも平戸市内のあちこちには、当時をしのぶ史跡が残されてい...
2018.6.13
今回は天正遣欧使節の一人、原マルチノの出身地である東彼杵郡波佐見町へ行ってみました。マルチノは使節の中では最年少でしたが、有馬のセミナリヨに通う頃から優秀で、特に語学に長けており、ローマからの帰途のゴアでラテン語の演説を行ったといわれています。
2018.6.6
前回は千々石ミゲルの生誕地である雲仙市千々石町の釜蓋城址などを訪ねましたが、千々石町には他にも千々石ミゲルゆかりの場所があります。散策の途中、故郷の「偉人」として大切にされていることが実感できる銅像に出会いました。
2018.5.30
天正遣欧少年使節の一人としてローマに渡った千々石ミゲル。帰国後、イエズス会に入会するも、脱会し、さらには棄教したと伝えられていましたが、近年千々石ミゲルの墓と思われる場所からロザリオ等が出土したことなどから、本当は棄教していなかったのでは?と波紋...
2018.5.23
ジャガイモの産地として知られ、赤土の大地が広がるのどかな愛野町。1590年のフロイスの記録にある、千々石の司祭館の管轄にある「野井」という地は、愛野教会堂がある一帯を指しているといわれています。今回は、そんな愛野の小さな丘に建つ、可愛い教会堂を訪ねて...
2018.5.16
富岡城は天草の領主・肥前唐津藩の寺沢志摩守広高によって1604年に築かれました。天草四郎が率いる一揆軍の2度にわたる猛攻撃にも落城せず、やむなく一揆軍は島原へと渡って行ったと伝えられています。平成になってから復元されたという富岡城へ行ってみました。
2018.5.9
1887年、天草のフェリエ神父は、貧しさの中で食べ物に困っている子どもたちを引き取り、根引山を開拓し、自立を促すための孤児院を建設。「根引きの子部屋」と呼ばれていたそうです。時間が流れ、孤児院跡が発見されたのは1960年代のこと。現在は地元の信徒たちによ...
2018.5.2
江戸時代の干拓によって田畑が築かれ、農業を生業としながら密かに信仰を守っていた今富集落。キリスト教が解禁されても、多くはカトリックへ復帰せず、「かくれキリシタン」として信仰を続けますが、指導者である帳方が途絶え信仰は衰退。しかし現在も、キリシタン...
2018.4.25
天草灘の入江にある小さな漁港・﨑津。日本の原風景ともいえる漁師まちの風景に、西洋の教会堂が融合した独特の景観は、訪れる人を魅了し続けています。その美しい景観を高い場所から眺望できるのが、約600段の石段を登ってたどり着くチャペルの鐘展望公園。ちょっと...
2018.4.18
﨑津集落の海岸にある、海に向かって立てられたマリア像。ここを往き来する船人、漁人たちの海の道しるべであり、心の灯となるように建立されました。漁に出る信徒たちは必ず行きと帰りに船から手を合わせるそうです。美しい白亜のマリア様に会いに行って来ました。
2018.4.11
2018年の世界遺産登録を目指す﨑津集落は、ここ数年間のうちにあちこちに新しい施設が誕生。資料館や案内所、駐車場やトイレなども整備され、以前よりも快適に散策ができる環境になっています。今回は、そんな﨑津集落の新しい施設を尋ねてみました。
2018.4.4
口之津からアルメイダ修道士が渡って、1566年に布教が開始された天草。豊臣秀吉から天草支配を任された小西行長の庇護のもとでキリスト教が繁栄し、コレジヨなどもできました。今回は、アルメイダが初めて天草に上陸した河浦町周辺を訪ねてみます。
2018.3.28
禁教期にはキリシタンが収容された牢屋が各地にありましたが、大村市の鈴田牢は、周囲も天井も竹の柱で囲まれた鳥籠のような部屋で、広さは奥行6.6m、間口4.6m、横に寝ることも身動きさえ自由にはできなかったと伝えられます。
2018.3.21
1657年、大村領内で「郡崩れ(こおりくずれ)」という事件が起こりました。郡村を中心にキリシタン608人が捕らえられ、取り調べ中に78人が死亡、20人が永牢(終身刑)、411人が斬首という厳しい処罰が下されました(人数については諸説あり)。今回はその発端となっ...
2018.3.14
バルトロメウという洗礼名を持った大村の領主・大村純忠。長崎に港を開き、キリシタンの町を作り、戦いに明け暮れた純忠。晩年は、病に伏せ、大村の地で静かに祈りの毎日を過ごしたと言われています。今回は純忠の終焉の地と植松教会堂を訪ねてみました。
2018.3.7
日本初のキリシタン大名・大村純忠の拠点であった大村は、領民のほとんどがキリシタンでした。そのため、禁教令が出されても信仰を守り続ける人が多く、殉教者もたくさん輩出しています。今回は、郡崩れ以前の歴史をたどってみました。
2018.2.28
日本の美しい教会としても名前の挙がる平戸ザビエル記念教会堂。1913年に創建された平戸教会が最初で、1931年に現在地に建設。1971年に聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂となり、さらに近年、正式名称を「平戸ザビエル記念教会」に改称しました。
2018.2.21
大村純忠の娘で自身も敬虔なカトリックだったメンシア。政略結婚でキリスト教嫌いの松浦家へ嫁いでからは、棄教をせがまれながらも、頑なに拒否し、信仰を守りつづけました。その陰には、夫久信の深い愛情と理解がありました。今回は、そんなメンシアのお墓を訪ねて...
2018.2.14
毎年、旧正月の時期は、長崎市ではランタンフェスティバルが開催されます。出島の表門橋の完成で、その周辺を歩かれる方も多いことでしょう。今回は、かつてミゼリコルディアがあったフロイス通りから出島まで、キリスト教繁栄の歴史を物語る場所を歩いて見ましょう。
2018.2.7
佐世保市の中心を通る広い国道に面し、奇抜なデザインが目を引く俵町教会堂。教会堂の隣には幼稚園、近くには地域密着型の俵町商店街という賑やかな環境にあり、冬はイルミネーションでさらに注目を集めます。
2018.1.31
佐世保富士とも呼ばれ、佐世保市内で一番高い山が烏帽子岳。西海国立公園にも指定されている山頂から少し下った標高430mの高台にあるのが烏帽子教会堂。戦後、平戸の紐差地区から烏帽子岳の開拓地に移住した信徒たちのために建てられたという教会堂です。
2018.1.24
参勤交替の折、平戸藩主が宿泊した一番目の宿(本陣屋敷)が残る佐世保市江迎町。戦後は北松炭鉱の一つとして栄え、信徒も多く移住。最初は炭鉱住宅を仮聖堂として使用していましたが、1952年に地元の景勝地である潜竜ヶ滝から名をとった潜竜教会堂が建てられました。
2018.1.17
平戸や黒島、五島、西彼杵半島など、海との関わりが深かった信徒たちは、移住先に海沿いの土地を選んだ人が多かったようです。今回たずねた浅子教会堂や横浦教会堂も海のそばにある教会堂です。
2018.1.10
佐世保は1900年代初頭に平戸や西彼杵半島から移住した信徒によって創建された教会堂が多く、戦後は炭坑が始まったことでさらに移住者が増えました。そんな移住の歴史をたどりながら、教会堂をめぐってみましょう。
2017.12.27
九十九島(くじゅうくしま)を望む高台の展望スポットはいくつもありますが、一番気軽に行けるのが船越展望所。今回はそこからスタートして、高台にある船越教会堂を目指します。
2017.12.20
九十九島パールシーリゾートがある鹿子前地区には、黒島、平戸、五島から移住して軍関連や漁業に携わる信徒のために1953年に創建された鹿子前教会堂があります。海からの心地よい風を感じながらぶらっと行ってみました。
2017.12.13
佐世保の駅前にどーんとそびえる三浦町教会堂。昭和6年に建てられ、1945年の佐世保大空襲にも負けず、奇跡的に生き残りました。今回は、そんな佐世保のシンボルとも言える三浦町教会堂をたずねます。
2017.12.6
佐世保市の東南部にあり、昔から交通の要衝として栄えて来た早岐。2014年にJRの駅がリニューアルして以来、ますます便利な街になっています。今回は、そんな早岐に昭和30年代に創建された教会堂をたずねてみました。
2017.11.29
キリシタン信仰が盛んだった島原半島には100あまりのキリシタン墓碑が見つかっていますが、その中でも一番美しいとされているのが「まだれいなの墓」。その近くには沖田畷の戦いの前夜に龍造寺隆信が過ごしたという寺中(三会)城跡もあります。まだれいなのお墓参り...
2017.11.22
島原半島にはキリシタン遺跡や殉教地などがたくさんありますが、島原・天草一揆でキリシタンが根絶されたこともあり、現在も教会堂の数は少なく、島原市内にあるのは島原教会堂のみ。別名は「島原半島殉教者記念聖堂」といいます。過去の悲しい歴史を偲びながら、訪...
2017.11.15
1618年より、松倉重政が島原城の築城を開始。4万石の大名としては立派すぎる城であったため、民衆は多大な負担を強いられ、さらには2代目勝家の圧政、キリシタンへの迫害、飢饉も重なり、耐えかねた民衆は1637年の島原・天草一揆を起こしました。その発端となった島...
2017.11.8
禁教期、島原半島での厳しすぎるキリシタン弾圧で、領民から「悪魔」と呼ばれた松倉氏。徳川家光の時代になるとさらに激しさを増し、棄教しない領民への残虐な拷問が繰り返されました。今は静かで落ち着いた城下町の面影を残す島原市内で、刑場跡や殉教地を訪ねてみ...
2017.11.1
1602年、肥後(熊本)出身のキリシタンで武士の結城弥平次は、有馬晴信の招へいで国見の金山城の城主となり、布教活動が行われました。しかし、晴信の子、直純の時代になると弾圧が激しくなり、弥平次は家来や家族と共に追放され、金山城は廃城となります。秋の気配...
2017.10.25
下五島にキリシタン弾圧の嵐が吹き荒れた明治初期、打折(うちおり)の信徒も捕えられ、水ノ浦の牢に入れられました。解禁後、打折の集落には長い間教会堂がなく、信徒たちは日曜のミサに参加するため、徒歩で2時間かけて楠原教会堂に行くか、船を漕いで水ノ浦教会...
2017.10.18
井持浦教会が建っている玉之浦一帯は、五島に迫害の嵐が吹き荒れた明治初期、唯一迫害を逃れた地区です。島の中心地から非常に遠い場所にあったこと、当時、玉之浦では藩の財政に重要な塩の生産(キリシタンが従事)が行われていたことなどが、迫害を逃れた要因では...
2017.10.11
五島市の中心市街地から車で約1時間。絶景の地、大瀬崎断崖(灯台)からほど近い玉之浦町の中心地に位置する玉之浦教会堂。仏教徒が多い玉之浦港付近に移住した信徒のために1962年に建てられました。車を停めて、漁船が停泊するのどかな海岸沿いを散歩しました。
2017.10.4
福江島の北西部にある半泊(はんどまり)集落。江戸末期、大村藩から数家族の潜伏キリシタンがやってきましたが、全員が住み着くには狭すぎたため、半数だけがここにとどまったことから「半泊」と呼ばれるようになったと言われています。そこからさらに北へ進み、間...
2017.9.27
奥浦地区の宮原は、大村藩から移住したキリシタンが潜伏した集落の一つ。復活後は1885年にペルー神父が巡回しミサを捧げ、当時の総代など十数人が洗礼を受けたと伝えられています。現在の教会堂は昭和45年に信徒たちが資金を出しあって改築、今も大切に守られています。
2017.9.20
1797年以降、五島へ移住した潜伏キリシタンは、六方の浜に上陸後、奥浦地区では平蔵、浦頭、宮原、大泊、堂崎、観音平、半泊、間伏などに住み着きました。それぞれ苦労しながら信仰を守り続け、明治になって禁教の高札が撤廃されるとカトリックに復帰。奥浦地区は、...
2017.9.13
楠原地区は、大村藩から移住した潜伏キリシタンの第一陣が開墾したといわれる土地の一つ。五島崩れの際は楠原の信徒たちも捕らえられ、牢で苦難の日々を過ごしました。1912年に建立した楠原教会堂は、どっしりとしたレンガ造り。その重厚感は、信徒たちが命をかけて...
2017.9.6
江戸時代末期、大村藩から五島に移住した潜伏キリシタンのうち、水ノ浦には5人の男性とその妻子が移住しました。信徒発見後、同年11月には信徒の代表がプチジャン神父と面会。厳しい弾圧を経てカトリックに復帰し、明治13年に最初の教会堂が完成、現在の教会堂は昭和...
2017.8.30
前回は大島の中心部をぶらっとしましたが、今回は島の西側の静かな漁師町にある太田尾教会堂をめざします。太田尾漁港付近から細い坂道をのぼった先にある美しい教会堂で、設計者は不明ですが、堂内の造りに特徴がある見応えのある教会堂です。
2017.8.23
大島のキリスト教の歴史は、文政年間(1820年頃)に外海地方の潜伏キリシタンが移住してきたことに始まりますが、解禁後にカトリックに復帰する人は少なく、少数の信徒が家御堂で礼拝行事を行っていました。ようやく信徒が増え、教会堂が創建されたのは昭和になって...
2017.8.16
天正遣欧少年使節の一人、中浦ジュリアン。現在の西海市中浦に生まれ、有馬のセミナリヨで学んだあと、天正遣欧少年使節の副使に選ばれて渡欧。ヨーロッパ各地で大歓迎を受けたものの、帰国後は波乱
の人生が待ち受け、最後は西坂で殉教しました。今回はジュ...
2017.8.9
長崎から海沿いを走る国道202号線は、サンセットオーシャン202と呼ばれる人気のドライブルート。天気の良い日は、海の向こうに、かつて潜伏キリシタンが新天地を求めて移り住んだ五島列島が望めます。今回はR202を通って大瀬戸をめざします。
2017.8.2
バスチャンゆかりの神山として潜伏キリシタンに崇拝されていた赤岳のふもとにある樫山地区。江戸時代の樫山は、大村藩の西樫山と佐賀藩(深堀領)の東樫山に分かれ、比較的取り締まりが緩やかだった東樫山には多くのキリシタンが潜伏しました。
2017.7.26
8月の原爆記念日を前に、平和祈念館として開放されている城山小学校とその周辺を訪ねてみました。
被爆当時この一帯はすべて焼け野原となりましたが、その後見事に復興を遂げました。このエリアにある城山教会堂は、市内屈指の美しい教会で、信徒数も2500人...
2017.7.19
赤岳は長崎市樫山町にある、赤い岩肌が特徴の山。昔からバスチャンの椿があるキリシタンの聖地とされ、赤岳に三度お参りするとローマにお参りしたことになるという言い伝えもあった場所です。その赤岳を望む新長崎漁港付近に行ってみました。
2017.7.12
旧北松浦郡の町と松浦市は、かつて炭坑で栄えたまち。明治中頃、信徒の中にも、外海や黒島、五島などから働き口を求めて移住する人たちが増え、教会堂も建てられました。今回はかつての炭坑のまちに立つ教会堂を訪ねてみました。
2017.7.5
平戸市の古江湾を見下ろす山間に立つ古江教会堂。正直、「ぶらり」と行ける教会堂ではなく、山道を車で走っていて、何度も「この道かな?」と不安になりました。でも、たどり着いた教会は、今も信徒さんに大切に守られていることが実感できる教会堂でした。
2017.6.28
田平と平戸島をつなぐ平戸大橋。今回は、平戸大橋を通って2つの教会を訪ねてみました。どちらも明治中期からの信徒の移住によって創設された教会です。教会めぐりの合間に、平戸瀬戸を眺めながら、おいしいランチをいただきます。
2017.6.21
今回は、鉄川与助の教会建築の集大成とも言われる田平天主堂を訪ねました。天主堂が建つ瀬戸山地区は、1886年以降、黒島や外海から移住した信徒たちによって開拓された場所です。
2017.6.14
今回は佐世保市の中里皆瀬地区へ。江戸時代は平戸往還の中里宿が置かれ、賑わった場所です。明治以降は炭鉱が栄え(昭和中期に閉山)、住宅地の開発が進んだことで、キリスト教信徒も多く移住。1970年に地区の高台に皆瀬教会堂が建てられました。
2017.6.7
5月下旬から6月上旬まで「ながさき紫陽花まつり」が行われている中島川界隈。中島川を上流に向かってぶらぶら歩いていると、神社と隣同士の教会堂をはじめ、このエリアならではの長崎らしいスポットに出合えます。
2017.5.31
長崎を代表する観光スポット・眼鏡橋が架かる中島川界隈にもキリシタンゆかりの場所が残っています。5月下旬から6月初旬にかけて開催される「ながさき紫陽花まつり」を見ながら、ぶらりと歩きましょう。
2017.5.24
雲仙地獄は、1627年~1631年まで、島原城主・松倉重政がキリシタンを改宗させるために拷問や処刑を行った地。硫黄の匂いと湯けむりに包まれながら、殉教碑が立つ場所を訪ねてみました。
2017.5.17
長崎県を代表する観光地であり、国立公園に指定されている雲仙。その歴史をたどると、1600年代には多くのキリシタンが殉教した聖地でもあります。今回は、南串山町から農道を通って、殉教地がある雲仙の温泉街を訪ねます。
2017.5.10
先週訪ねた東望地区から約3キロ離れた古賀地区も、かつてはキリスト教が盛んだったところ。ルイス・フロイスの「日本史」には、1593年頃には全住民がキリシタンであったと書かれています。
2017.5.3
長崎市の東長崎地区は、江戸から陸路で長崎に入るときの玄関口にあたる宿場町として栄えました。
また、1570年頃にはキリシタン大名、有馬氏の保護を受けてキリスト教が発展。禁教期には殉教者も多く出ています。
2017.4.26
前回は、禁教令によって破壊された山のサンタマリア教会跡とトードス・オス・サントス教会堂跡をたずねましたが、今回は長崎に初めて建てられた教会の跡地を訪ねます。
2017.4.19
南蛮貿易が栄えた頃の長崎は、市中に多くの教会が建てられ、その風景はまさに小さなローマのようだったと記録に残っています。禁教期に全てが壊され、今は跡地に碑が立つのみですが、その場所を訪ねると、当時の長崎に思いを馳せることができます。
2017.4.12
長崎駅から少し歩くと見えてくる白亜の中町教会堂。ステンドグラスが美しいことでも知られています。聖トマス西と15殉教者に捧げられた教会で、敷地内には16人の記念碑が立てられています。
2017.4.5
みなさんもよくご存じの長崎市西坂公園にある日本二十六聖人殉教記念碑。今回は、その裏側にある日本二十六聖人記念館を訪ねてみました。日本有数のキリシタン資料館で、殉教者ゆかりの品を中心に、貴重な資料が展示されています。
2017.3.29
諫早教会堂から湯江教会堂、そして小長井教会堂へ。多良岳のふもとにある教会や修道院には、長崎市本河内を拠点に布教活動を続けたコルベ神父の愛の心が息づいていました。
2017.3.22
今週と来週の2回は早春の諫早市をめぐる旅。1回目は、新鮮な野菜や海の幸が揃った農家直売所を起点に諫早図書館にあるコンスタンチノ・ドラード像、そして諫早教会堂に建つ聖パウロ三木像に出会いました。
2017.3.15
上五島(ごとう)には29の教会堂があり、その一つひとつに独自の歴史が息づいています。今回のぶらり旅は少々急ぎ足でしたが、海を渡ってこの地に移り住んだ人々の想いにもふれることができました。最後は高井旅(たかいたび)教会堂、福見(ふくみ)教会堂、浜串(...
2017.3.8
日島(ひのしま)から有福(ありふく)島、若松(わかまつ)島を通って再び中通(なかどおり)島に入り、桐(きり)教会堂、高井旅(たかいたび)教会堂を訪れました。外海(そとめ)から移り住んだ人々が信仰を守り続けたのは美しい入江や海岸が見える場所でした。
2017.3.1
土井ノ浦(どいのうら)教会堂にあるカリスト記念館、風の聖母ルルドを訪れたあと、車を北西に走らせて有福(ありふく)教会堂へ。さらにそこから日島(ひのしま)に向かい、約70基の石塔が並ぶ壮大な景観を楽しみました。
2017.2.22
中ノ浦(なかのうら)教会堂から若松大浦(わかまつおおうら)教会堂、若松大橋を渡って土井ノ浦(どいのうら)教会堂へ。徐々にピッチが上がってきた教会堂めぐりもいよいよ中通(なかどおり)島から若松島へとたどり着きました。
2017.2.15
猪ノ浦(いのうら)教会堂から焼崎(やきざき)教会堂、真手ノ浦(まてのうら)教会堂、中ノ浦(なかのうら)教会堂へ。人里離れた静かな入江のそばに建つ教会堂は、海とともに生きる信徒たちにとってこの上ない心休まる祈りの場だったのでしょう。
2017.2.8
跡次(あとつぎ)教会堂がある高台から上五島(ごとう)石油備蓄基地を望み、教会堂の下にある共同墓地へ。そこから山道を通って猪ノ浦(いのうら)教会堂を訪れました。ここにも共同墓地あり、供えられた花々に信徒の皆さんの厚い信仰と優しい想いを感じたのでした。
2017.2.1
信徒の集団移転によりつくられた大規模な青方(あおかた)教会堂、造形美に優れたレンガ造りの大曽(おおそ)教会堂を訪れ、五島(ごとう)うどんやかんころ餅など地元の特産品も販売している農林水産直売所へ。さらに跡次(あとつぎ)教会堂をめざしました。
2017.1.25
矢堅目(やがため)の夕陽が見える場所から移動して冷水(ひやみず)教会堂を訪れ、矢堅目公園へ。大自然がつくりだす造形美を楽しんだあとは、宿舎で五島(ごとう)列島ならではのグルメを味わいました。
2017.1.18
米山(よねやま)教会堂から足を伸ばして津和崎(つわざき)灯台へ。風は強くて冷たいけれど、紺色の海に浮かぶ島々の景色は素晴らしい。灯台から南に向かう車から見えた野崎(のざき)島。険しい山道を歩いて訪れた舟森(ふなもり)集落跡の思い出がよみがえってき...
2017.1.11
江袋(えぶくろ)教会堂から赤波江(あかばえ)教会堂、仲知(ちゅうち)教会堂へ。比較的自然条件に恵まれた平地や、湧き水のある場所を見つけて移住しようとした信徒たち。しかし、信仰を守るためにはあえて厳しい山間地を選ばざるを得なかったのかもしれません。...
2017.1.4
国選定重要文化的景観にもなっている北魚目(きたうおのめ)。漁業集落と農業集落という二つの対局的な景観の中に、カトリック復帰後の人々が待ち望んだいくつかの教会堂があります。大水(おおみず)教会堂から小瀬良(こぜら)教会堂、江袋(えぶくろ)教会堂を訪...
2016.12.28
青砂ヶ浦(あおさがうら)教会堂から曽根(そね)教会堂、大水(おおみず)教会堂をめぐった今回のぶらり旅。ちょっと急ぎ足でしたが、心休まるルルドを訪れ、おいしいランチをいただき、東シナ海の絶景を堪能した大満足のコースでした。
2016.12.21
旧鯛ノ浦(たいのうら)教会堂から丸尾(まるお)教会堂、そして青砂ヶ浦(あおさがうら)教会堂へ。丘の上に建つ教会堂のもう一つの魅力は、そこから眺める家々と海の風景。人々の営みの中に “祈り”が息づいています。
2016.12.14
いくつかの顕彰碑をめぐってブレル神父やドミンゴ森松次郎に想いを馳せたあと、旧教会堂の下にある鯛ノ浦(たいのうら)教会堂へ。そこから悲しい歴史が刻まれた共同墓地へと向かいました。
2016.11.30
伊王島(いおうじま)にある大明寺(だいみょうじ)教会堂から小さな橋をわたって沖之島(おきのしま)の馬込(まごめ)教会堂へ。海を見下ろす丘に建つ白い聖堂は人々の暮らしを見守るように、優しくそして力強く青空にそびえていました。
2016.11.23
深堀(ふかほり)から香焼(こうやぎ)に向かい、香焼教会堂を訪れたあとは伊王島(いおうじま)大橋を渡って伊王島へ。迫害を逃れてこの地に移住してきた外海(そとめ)のキリシタンの歴史を感じながら大明寺(だいみょうじ)教会堂を訪れました。
2016.11.16
深堀(ふかほり)教会堂、深堀陣屋跡のアコウの木を訪ねたあとは、美しい水路に導かれるように深堀のまちをぶらり。どこをどう歩いてきたのかは定かではないけれど、たどりついたのは由緒ある菩提寺(ぼだいじ)でした。
2016.11.9
善長谷(ぜんちょうだに)教会堂から向かったのは城下町のたたずまいがのこる深堀(ふかほり)地区。深堀神社、武家屋敷跡、風情ある通りを歩いて丘の上に建つ深堀教会堂をめざします。
2016.11.2
小ヶ倉(こがくら)教会堂からかつて深堀(ふかほり)氏の山城があった丘に建つ善長谷(ぜんちょうだに)教会堂へ。その歴史にふれ、絶景を楽しみ、神聖な空気に包まれたルルドを訪れました。
2016.10.26
うっそうとした竹林を抜けてたどり着いたのは、外海(そとめ)黒崎(くろさき)村のキリシタンが移住した集落にある大山(おおやま)教会堂。そこからさらに車を走らせ、住宅地にあるモダンな小ヶ倉(こがくら)教会堂を訪れました。
2016.10.19
宝亀(ほうき)教会堂から川内(かわち)地区へ。鄭成功(ていせいこう)記念館を訪れたあと、名物の川内かまぼこを買って千里ヶ浜(せんりがはま)に向かいます。平戸(ひらど)の海は美しく、陽差しを浴びてキラキラと輝いていました。
2016.10.12
マタラ神父の墓がある田崎(たさき)の墓地から宝亀(ほうき)教会堂へ。メルヘンチックな外観とパステルカラーが印象的な堂内、そして建設当時からのこる貴重なステンドグラス・・・。宝亀教会堂の魅力を満喫しました。
2016.10.5
田崎愛苦会(あいくかい)跡地からさらに山道を車で走り、平戸(ひらど)ふれあいバスの田崎(たさき)公会堂前バス停へ。そこから歩いてマタラ神父が眠る小高い丘を訪れました。
2016.9.28
根獅子(ねしこ)の浜から紐差(ひもさし)教会堂へ、そして紐差修道院の前身である田崎愛苦会(あいくかい)跡地を訪れました。森の中にのこる古い石垣やさびた金属製の扉が往時をしのばせます。
2016.9.21
根獅子(ねしこ)教会跡、ルルドのマリア様、昇天石(しょうてんせき)など、根獅子にあるキリシタン関連史跡にはいくつもの言い伝えがのこされています。それは信仰を守り続けてきたキリシタンの里としてのあかしでもあるのです。
2016.9.14
平戸(ひらど)市切支丹(きりしたん)資料館を出たあと、根獅子(ねしこ)の浜の昇天石(しょうてんせき)で殉教した人々の遺体をまつったウシワキの森へ。そして母子の悲しい殉教の物語が息づくチチャの木へ向かいました。
2016.9.7
平戸(ひらど)市根獅子(ねしこ)地区にある平戸市切支丹(きりしたん)資料館。ここには平戸のキリスト教の歴史をはじめ、かくれキリシタンの信仰を物語る数多くの資料が展示されています。この日は夏休み期間中とあって家族連れの姿もありました。海水浴帰りかな。
2016.8.31
浦上(うらかみ)崩れが起きるたびに多くの殉教者を出した三ツ山(みつやま)地区。潜伏キリシタンの歴史が息づく山間の地を訪れたあと、長崎(ながさき)市のベッドタウンにある長与(ながよ)教会堂をめざします。
2016.8.24
時津(とぎつ)町の日本二十六聖人上陸の地から鷹島(たかしま)殉教地へ。さらに長与(ながよ)町を通って長崎(ながさき)市川平(かわびら)町の「千茶ノ木橋(ちちゃのきはし)」下の難河原(なんごら)殉教地を訪れました。
2016.8.17
鉄工所の頑丈な建物を生かしてつくられた時津(とぎつ)教会堂から、長崎(ながさき)空港までの定期便が就航している時津港へ。波穏やかな大村(おおむら)湾を眺めながら日本二十六聖人がたどった殉教の道を改めて心に刻みました。
2016.8.10
農産物から民芸品、実用品まで多彩な商品が揃った農産直売所を訪れ、「じんざえもん焼」というおいしい回転焼を味わい、時津(とぎつ)教会堂に向かいました。
2016.8.3
長崎(ながさき)開港時の長崎領主で、主君大村純忠(おおむらすみただ)とともに横瀬浦(よこせうら)で洗礼を受けた長崎甚左衛門純景(ながさきじんざえもんすみかげ)。彼はなぜこの地で亡くなったのだろうか。その数奇な人生に想いを馳せながら墓地を訪れました。
2016.7.27
遠藤周作(えんどうしゅうさく)文学館から車を走らせ、映画「母と暮らせば」のロケが行われた黒崎(くろさき)教会へ。そこから外海(そとめ)総合公園の上にある枯松(かれまつ)神社に向かいました。途中にあった祈りの岩がとても印象的でした。
2016.7.20
野道(のみち)共同墓地から道の駅に立ち寄って「ド・ロさまそうめん」を購入。文学館で遠藤周作(えんどうしゅうさく)の足跡をたどり、しばし時間を忘れて角力灘(すもうなだ)の素晴らしい景色を堪能したのでした。
2016.7.13
バスチャン屋敷跡から車で南下して野道(のみち)共同墓地へ。約10年をかけて造られた急斜面の墓地の一角に眠るド・ロ神父。地元の自然石を使用した階段を登って大きな十字架のある場所まで向かいます。
2016.7.6
大野(おおの)教会堂から駐車場に戻って車に乗り、ド・ロ神父がつくった大平(おおだいら)作業場跡へ。さらに静かな山林にひっそりと建てられたバスチャン屋敷跡を訪れます。
2016.6.29
国道から少し入ったところにある専用駐車場に車を止め、階段を登っていくと、
木造と石造り、日本と西洋が混在した素朴な教会堂が見えてくる。それがド・ロ神父が私財を投じ、信徒とともに建てた大野(おおの)教会堂。
2016.6.22
ド・ロ神父記念館から旧出津(しつ)救助院、長崎(ながさき)市外海(そとめ)歴史民俗資料館へ。外海地方の人々を救済したド・ロ神父の偉業や、かくれキリシタンの歴史に出会います。
2016.6.15
緑豊かな山あいにあって圧倒的な存在感を放つ出津(しつ)教会堂をあとに、丘陵地帯に設けられた歴史の道を歩いてド・ロ神父記念館へ。神父の足跡を訪ねます。
2016.6.8
専用駐車場の整備や標識の設置など、訪れる人々を迎える体制が進む長崎市外海(そとめ)町。歴史ある石積み文化にふれながら、まず出津(しつ)教会堂を訪れました。
2016.6.1
常在寺(じょうざいじ)の墓地のさらに奥にある川棚(かわたな)町キリシタン墓碑を訪れたあと、戦後、海軍工廠(こうしょう)の払い下げを受けてつくられた川棚教会堂に向かいました。川棚町はキリシタンの史跡だけではなく、戦争の歴史が色濃くのこる町でした。
2016.5.25
東彼杵(ひがしそのぎ)町から川棚(かわたな)町へ。常在寺(じょうざいじ)の水琴窟(すいきんくつ)の美しい音色を聞いたあと、参道を通ってキリシタン墓碑をめざします。たよりは目的地までの距離を示した案内板。果たしてどんなところに墓碑はあるのでしょうか。
2016.5.18
キリシタン墓碑の近くにあったおしゃれなコミュニティスペース、そしてレトロなたたずまいを活かした千綿(ちわた)駅の新たな取り組み。古いものと新しいものが交差する東彼杵(ひがしそのぎ)町の「今」にふれたような気がしました。
2016.5.4
東彼杵(ひがしそのぎ)町の観光・物産の拠点、彼杵の荘(しょう)から日本二十六聖人乗船場跡へ。長崎(ながさき)街道の彼杵宿として栄えた町に残る殉教者の足跡を訪ねます。
2016.4.27
西海橋(さいかいばし)公園から車を走らせ、二つのキリシタン史跡へ。ひとつは迷ってしまい、遠くから眺めることに。もうひとつは道しるべのおかげでスムーズに到着。ぶらり旅はうまくいったりいかなかったり・・・。
2016.4.20
上町(うわまち)跡・下町(したまち)跡から長崎甚左衛門純景(ながさきじんざえもんすみかげ)居宅跡へ、そして思案橋(しあんばし)跡、丸山(まるやま)跡と南蛮貿易港時代の横瀬浦(よこせうら)を堪能したあとは、うず潮の季節を迎える西海橋(さいかいばし)...
2016.4.13
八ノ子島(はちのこじま)が見える防波堤から港沿いに車を走らせ、南蛮船来航の地へ。貿易港として繁栄した時代に想いをはせながら、静かな上町(うわまち)跡、下町(したまち)跡をめぐりました。
2016.4.6
横瀬浦(よこせうら)公園から車で岬のほうに移動。西海(さいかい)市の人気のスポット、船番所(ふなばんしょ)で昼食をいただいたあと出会ったのは白い十字架が立つ八ノ子島(はちのこじま)でした。
2016.3.23
西海(さいかい)市の情報発信地であるみかんドームを皮切りに、地元ならではの特産品直売所やお菓子屋さんに立ち寄り、南蛮船来航の地となった横瀬浦(よこせうら)をめざします。
2016.3.16
岳(たけ)教会堂をあとにして最後の目的地、柿泊(かきどまり)のキリシタン墓碑へ。目印となる神社が見つからず、交番で場所を教えてもらい行ってはみたものの、結局キリシタン墓碑は見つからず断念したのでした。
2016.3.9
神ノ島(かみのしま)教会堂から北上して次の目的地へ。長崎が開港する前の1565年にポルトガル船が入港した福田(ふくだ)方面に向かい、二つの小さな教会堂を訪れました。
2016.2.24
造船のまちに建つ飽ノ浦(あくのうら)教会堂から見えるのは世界遺産に登録されたクレーン。建造中の大型客船を左手に眺めながら小瀬戸(こせど)町の小高い丘に建つ木鉢(きばち)教会堂を訪れました。
2016.2.10
キリシタン大名大友宗麟(おおともそうりん)の孫娘をまつっている桑姫(くわひめ)神社。桑を植えて蚕を飼い、地元の女性たちに糸の紡ぎ方を教えたという一人の女性の物語が息づいています。
2016.1.20
須崎(すざき)キリシタン墓碑から岩戸山(いわとやま)へ。軽い気持ちで訪れたものの、そこはかつて観音道場があった霊地。「ありがたいやら怖いやら」で登山の途中、いや、山の入口で失礼することになったのでした。
2016.1.13
口之津町(くちのつちょう)の南蛮船来航の地から加津佐町(かづさちょう)に向かい、いつものように(?)あちこち迷いながら目的地へ。それにしてもキリスト教文化の繁栄の陰にいろんなドラマがあったんですね。
2015.12.9
西有家町(にしありえちょう)から南有馬町(みなみありまちょう)に入って原城(はらじょう)跡へ。ずいぶん昔に出場したロードレースのことを思い出しながらめぐった広大な城跡——そこは農業を営む人々の暮らしの場でもあったのです。
2015.11.25
有家(ありえ)キリシタン史跡公園から坂道を下りていくと温泉(おんせん)神社がある。この日はちょうど秋のお祭り。行列をすり抜けてセミナリヨ跡を訪れたのでした。
2015.11.4
聖コルベ記念館を出て、聖母の騎士学園の横の坂道を上っていくと、緑に囲まれた本河内(ほんごうち)ルルドにたどりつく。ここは教皇ヨハネ・パウロ2世が訪れたバチカン指定公式巡礼地である。
2015.10.21
長崎市本河内(ほんごうち)の番所(ばんしょ)バス停から本河内教会、聖コルベ記念館へ。彦山(ひこさん)の斜面につくられた施設だけに気合いを入れて階段を上ります。
2015.10.14
浦上(うらかみ)天主堂の惨状、原子野と化した長崎の街、熱線や爆風、放射能による被害・・・。小学生の頃の平和学習を思い出しながらあらためて被爆の実相にふれました。
2015.9.23
山里(やまざと)中学校の上にある赤城(あかぎ)墓地。十字架をあしらった墓石が並ぶ高台からは凛(りん)としてたたずむ浦上(うらかみ)教会が見えます。教会の方角を向いた十字架は信徒たちの永遠なる祈りのあかしなのかもしれません。
2015.9.16
浦上(うらかみ)養育院を訪れたあと、こうらんばキリシタン墓地へ。その広大な敷地には浦上の人々のために愛をささげた岩永(いわなが)マキ、高木仙右衛門(たかぎせんえもん)の墓がありました。
2015.8.19
久しぶりに路線バスに乗って三原(みはら)地区へ。このあたりは斜面地に家々が建ち並ぶ長崎らしいまちなみが広がっています。今回は、信徒さんの多くが浦上(うらかみ)四番崩れの生存者の子孫の方という本原(もとはら)教会堂を訪れました。
2015.8.12
牢屋(ろうや)の窄(さこ)殉教地から浜脇(はまわき)教会を訪れたあと、海上タクシーで田ノ浦(たのうら)港から奥浦(おくうら)港へ。今回のぶらり旅の締めくくりは浦頭(うらがしら)教会でした。
2015.8.5
旧五輪(ごりん)教会から風情のある蕨(わらび)地区を通って、五島(ごとう)崩れの発端の地、牢屋(ろうや)の窄(さこ)殉教地へ。悲しい歴史を物語る場所には椿(つばき)が描かれた石のオブジェがありました。
2015.7.22
三井楽(みいらく)町から奥浦(おくうら)港に向い、海上タクシーで久賀島(ひさかじま)田ノ浦(たのうら)港へ。そこからタクシーに乗って島を走り、さらに山道を歩いて旧五輪(ごりん)教会をめざします。
2015.7.15
貝津(かいつ)教会から井持浦(いもちうら)教会を訪れ、日本初のルルドを見学し、高浜(たかはま)海水浴場、頓泊(とんとまり)海水浴場を見おろす丘へ。美しい五島(ごとう)を感じる旅が続きます。
2015.7.8
地元の皆さんが6年かけて制作した三井楽(みいらく)教会のステンドグラス。隣接する雑木林から木材を切り出してつくった貝津(かいつ)教会。地域らしさが息づく二つの祈りの場をめぐります。
2015.7.1
長崎(ながさき)港から高速船で五島(ごとう)列島福江(ふくえ)島へ。おいしいラーメンを味わったあと、ステンドグラス工房に立ち寄り、三井楽(みいらく)教会を訪れました。
2015.6.24
旧野首(のくび)教会から野崎(のざき)集落跡へ。廃村になった集落跡、神官屋敷跡を訪ねたあと、自生する芝生(しばふ)におおわれた草原で出会ったのは野生シカと集落の人々のお墓でした。
2015.6.17
舟森(ふなもり)集落跡を散策したあと、急な斜面をのぼって里道へ。行きとは反対にくだりが多いので助かりました。やがて見えてきたのは野首(のくび)海岸、そして旧野首教会。
2015.6.10
足元に気をつけながら急な斜面をおりて舟森(ふなもり)集落跡を散策。小学校の分校跡、教会跡、炊事場跡やさまざまな品々・・・。50年前の暮らしが想像とともによみがえってきます。
2015.6.3
旧野首(のくび)教会から険しい山道に入り、のぼりが続く里道をひたすら歩く。息を切らしながら、道しるべに助けられながら約1時間30分、ようやく舟森(ふなもり)集落跡に到着しました。
2015.5.27
笛吹(ふえふき)港から町営船で野崎(のざき)島へ。野崎港から集落跡を通って山道を歩いて行くと、階段状に連なる草原の向こうに、ひとり取り残されたように建つ煉瓦(れんが)造りの教会が見えてくる。旧野首(のくび)教会——その姿は美しくいとおしい。
2015.5.20
小値賀(おぢか)歴史民俗資料館で野崎(のざき)島のキリシタンの歴史を学び、まち歩きを楽しんだあとは、古民家でゆっくりとくつろぐ。明日は野崎島へ。旧野首(のくび)教会、舟森(ふなもり)集落跡を訪れます。
2015.5.13
小値賀(おぢか)教会から東へ向かい、700年代に造られたといわれている神島(こうじま)神社、さらに足を伸ばして唐見崎(からみざき)へ。受け継がれてきた島の歴史と文化を堪能しました。
2015.3.11
キリスト教禁教下、秘密の仮聖堂で神学生の教育を行ったという旧大司教館、そして禁教令撤廃後、日本人聖職者を養成するために建てられた旧羅典(らてん)神学校。大浦天主堂に隣接する歴史ある二つの建物へ。
2015.3.4
2015年は、世界宗教史上の奇跡ともいわれる「信徒発見」から150周年という記念すべき年。今回はその舞台となった大浦天主堂を訪ねるぶらり旅。歴史を感じながら階段を一歩一歩上っていきます。
2015.2.25
路地や坂道が多い長崎は、歩くコースによっていろいろな風景に出会うことができます。定番コースもいいけれど、今回は斜行エレベーターにのって大浦(おおうら)天主堂の「背中」を見てみましょう。
2015.2.11
じっくり歩いてみると、舘浦はほんとうに興味深い。風情あるまちなみや、心やすらぐ風景もそうだが、行き交うお年寄りの笑顔がとても印象的。海から吹く風は冷たくても、通りは温かな人情にあふれています。
2015.2.4
路地から路地へ歩いていくと、昭和の時代を感じさせる懐かしい通りが現れます。角を曲がれば、お寺があったり、大きな観音様がそびえていたり・・・。漁師まちは出会いがいっぱい。なんだか気持ちがゆったりとしてきます。
2015.1.28
大きな十字架がそびえる黒瀬の辻、そのそばにある殉教地ガスパル様、ガスパル様の松で作った十字架がある山田教会、そして殉教地焼山へ。生月の生活文化にふれながら心の旅は続きます。
2015.1.21
「行きはヨイヨイ、帰りはコワイ」とはこのことでした。海岸沿いにある殉教地までは「急激」とは言っても下り坂。帰りはその逆だから、とにかく登る登る、また登る。息は切れるし、足は上がらない。つくづく年齢を感じた旅でした。でも、訪れてよかった・・・。
2015.1.14
史跡めぐり、まち歩きの前に立ち寄っていただきたいのが平戸市生月(いきつき)町博物館「島の館」。捕鯨やかくれキリシタンの歴史、島の農業や漁業の姿など、生月の魅力にふれてまちに繰り出せば、楽しさ倍増です!
2015.1.7
ガウディのスタイルを取り入れた聖フィリッポ教会の造形美を堪能したあとは、かつてハンセン病の病院とフランシスコ会の教会があった本蓮寺へ。勝海舟がここに滞在し、ある娘と恋に落ちたという話も残っていますよ。
2014.12.24
これまで何度も訪れている日本二十六聖人殉教地。記念碑の素晴らしさは皆さんもよくご存知だと思いますが、今回はその裏にあるもうひとつの作品、そして記念館の展示品に目を奪われてしまったのでした。
2014.12.17
初めて訪れたのにどこか懐かしい﨑津集落。歴史ある教会や神社、趣のある家々が軒を連ねる風情ある通り・・・。きっとまた来るんだろうなぁ。そう予感させる魅力ある漁村の旅です。
2014.12.10
熊本県天草市天草町大江は、かくれキリシタンの里。その歴史と文化を伝えるロザリオ館、大江教会、コレジヨ館をめぐる旅で、こんな素朴で飾らない飲み物にも出会いました。
2014.12.3
昭和の懐かしい風情漂う下田温泉。ここを拠点に大江教会や﨑津教会堂、天草ロザリオ館などを周遊バスでめぐるコースもあります。天草灘に沈む美しい夕陽も下田温泉ならではの魅力。ゆったりのんびり、心をいやす旅をお楽しみください。
2014.11.26
天草にはキリシタンの遺物を個人で収集・展示している資料館があります。そのそばには大きなタコのモニュメントが! そして目の前の国道34号線は「天草ありあけタコ街道」! 干しダコあり、大きなタコ焼きあり、タコづくしの旅です。
2014.11.19
キリシタンの布教活動の拠点だった南蛮寺。正覚寺にはその存在を裏付けるキリシタン墓碑が安置されています。墓碑に描かれた十字架、御堂のそばに立つ珍しい樹木、往時に思いを馳せながら静かな境内を歩いていると・・・!!!
2014.11.12
天草では「天草・島原の乱」という記載が多い「島原・天草の乱」。旬の魚がいっぱいのった海鮮丼に本場の「くまモン」、二人乗り電気自動車や歴史ある石橋など、天草のぶらり旅は出会いと発見の連続!
2014.11.5
一本柱鳥居や被爆クスノキで知られる山王神社は、その昔は子どもたちの遊び場。秋には浦上くんちが行われ、地元の人たちで賑わいます。そこから5分ほど歩くと異国情緒あふれる坂本国際墓地。さて、誰のお墓があるのでしょうか。
2014.10.29
久しぶりに訪れた母校、坂本小学校。小学生の頃は知らなかった共同墓地を訪れ、キリシタン墓碑を探すこと40分。あきらめて引き返そうとしたとき、ついに発見!昔と変わらない地元の人とのふれあいも楽しいね。
2014.10.22
浦上教会から少し足を伸ばせば、永井隆博士ゆかりの如己堂や、あまり知られていない秘密教会跡など、興味深いスポットもあります。青春時代を過ごしたまちで時の移り変わりを感じながら、ちょっとしみじみとした散策でした。
2014.10.15
知っていそうで意外と知らない浦上教会のこと。ゆっくり時間をかけてめぐれば、初めて出会う不思議なものもいろいろ。何よりも心がおだやかになる・・・その澄み切った静かな空間も魅力です。