おらしょ こころ旅

Vol.263

キリシタン行列

2019年8月5日 公開

先週に引き続き、デモと行列のお話です。

長崎学の基礎を築いた郷土史研究家、古賀十二郎が編集したとされる書籍に「長崎市史 風俗編」があります。

これによると、長崎でキリシタンの宗教的行列が最も多く行われていたのは慶長時代(1596年―1615年)で、キリシタン暦の祝祭日にはまるで西洋のようにごく自然に行われていたようです。

たとえば1609年10月、イエズス会の創立者イグナチオ・ロペス・デ・ロヨラが福者に認定されたときは盛大な祝いの儀式と行列が行われました。

賛美歌を歌い音楽を奏で、美しい花で飾った松明を持って歩く人々。長崎奉行はこの行列を観るために桟敷を設けたともいわれています。

しかし1614年5月、江戸幕府が全国に禁教令を発布すると、行列は悲痛な抗議活動へと一変。人々は信仰への決意も新たに行列をつくって何度もまちに繰り出しました。

ある日の行列では3,000人あまりの人々が参加し、神への償いと自らの戒めのために、聖像や十字架を携えたり、首や両手を荒縄で縛ったり、他人に鞭で打たせたりしながら歩き続けたそうです。

なかには年若き女性、地位や名望ある人もいたようで、彼らもまた同じように抗議の列に加わったのでした。

この時期10回行われた行列には1日で1万人以上が参加したものもあったそうで、沿道は行列を好奇の目で観る人々であふれていたとも伝えられています。

1614年は長崎の教会やキリスト教施設のほとんどが壊され、各会の宣教師や学生たちがマカオやマニラに追放された年。

これ以降、キリシタンへの弾圧はさらに厳しさを増していったのでした。

(文:ヒラモトヨシノリ、イラスト:ナカムラタエ)

関連登録資産

  • よりみちスポット

    放虎原殉教地

    明暦3年(1657)603人の潜伏キリシタンが発覚した大事件「郡崩れ」に関係する。

おらしょ通信一覧
トップ