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登録資産(fr)

島原城

  • 松倉重政が「一国一城令」(1615年)施行後の元和4(1618)年から約7年の歳月を費やし、島原半島中央部の森岳に築城した。「一国一城令」施行後に新規築城が認められた城郭は全国的にも珍しいが、幕府がキリシタン集住地であった島原を重要視していた結果といえる。
  • 島原城は5氏19代253年間にわたり、島原藩政の中心として栄えてきた。
  • 島原城本丸には五層天守の他に三基の三階櫓が築かれ、4万石の大名の城としては大規模な城郭である。このことは、九州の雄藩と有明海で領地を接する島原を幕府が重要視した結果であると考えられる。
  • 2代目松倉勝家の圧政、キリシタンへの迫害、飢饉、負担に耐えかねた民衆は1637年の島原・天草一揆を起こした。その発端となった地が島原城である。
  • 一揆軍は島原城の大手門などへ攻めたが落城させることはできず、城下へ火を放ち退却した。今も残る石垣群は、後に原城で幕府軍と互角に戦うことになる一揆軍の猛攻にも耐えた。このことは島原城の堅固さを示すとともに、松倉重政の築城技術の高さを物語っている。
  • 島原城の建物は、明治6(1873)年の廃城令により明治9(1876)年にはすべて取り壊されたが、昭和39(1964)年天守閣が復元され、貴重な史料を展示する「キリシタン史料館」となっている。
  • 「キリシタン史料館」では、キリシタン大名・有馬晴信を中心とする島原半島における華やかなキリシタン文化、全国を震撼させた島原・天草一揆や激しいキリスト教弾圧の時代を紹介する史料等を展示している。
  • 平成18(2006)年に(財)日本城郭協会から日本を代表する歴史的名城として「日本百名城」に認定され、平成28(2016)年には、「島原城跡」として長崎県の史跡に指定された。

地図・交通アクセス

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島原鉄道「島原駅」から徒歩約5分

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