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岬の教会(サン・パウロ教会)跡/被昇天の聖母教会堂(被昇天のサンタ・マリア教会)跡/ みさきのきょうかい(さん・ぱうろきょうかい)あと/ひしょうてんのせいぼきょうかいどう(ひしょうてんのさんた・まりあきょうかい)あと

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・長崎が開港された翌年の1571年、イエズス会宣教師のフィゲイレド(ポルトガル)は、新しく6町(横瀬浦よこせうら町、外浦ほかうら町、平戸ひらど町、分知(文知)ぶんち町、大村おおむら町、島原しまばら町)ができた岬の突端に「岬の教会(サン・パウロ教会)」を建てた。

・新教会堂増築中に秀吉の命で解体されたが、その後も増改築や建て替えを繰り返し、1601年、長崎で一番大きな「被昇天の聖母教会堂(被昇天のサンタ・マリア教会)」、同じころに司教館、コレジヨなどの建物が建てられ、教会堂は日本司教が着座する司教座聖堂(教区の中心となる教会の聖堂。教区にひとつだけ設けられるCathedra(司教を象徴する椅子)を置く。(※))となった。また、これ以前の1593年には、日本イエズス会本部が置かれている。

・16世紀後期から17世紀初頭にかけて、長崎には多くの教会堂が建てられ、南蛮貿易の中心地として、その繁栄ぶりはさながら「小ローマ」のようだと伝えられた。

・1614年、徳川幕府の禁教令により、岬に建つ教会を含むほとんどの教会堂が破壊され、キリシタンの町並みは姿を消した。

※カトリック長崎大司教区の現在の司教座聖堂は、浦上教会(天主堂)。

地図・交通アクセス

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