-
Kenhoku
有田焼の磁器タイル、黒島産の御影石・・・。
黒島天主堂の建築に使われた素材にも注目したい。
-
Kenhoku
マルマン神父が全身全霊を捧げて建てた黒島天主堂。
しかし、多額の工費がかかり、建設は一時中断に追い込まれた。
-
Kenhoku
洋上遙かからその姿を目にすることができる山は、
航路が伝えた様々な宗教の拠り所となってきた。
-
Kenhoku
16世紀の集落がそのまま残る貴重なエリア。
戦国時代から変わらぬ環境と暮らし、そして祈り・・・。
-
Kenhoku
棚田の中にたたずむ小高い山は、キリシタン信仰が守られてきた聖地。
-
Kenhoku
キリシタンの殉教地であり、聖地でもある無人島。
信徒たちは聖水をくむために、荒波を越えて島へと渡る。
-
Nagasaki
After arriving in Sotome, Father de Rotz came up with a new way of building walls. These walls have become known as “doro kabe” (“de Rotz walls”) and were made using stones from the local area. They have the air of southern Europe.
-
Nagasaki
外海には、信仰が自由になってからも教会に復帰せず、
潜伏時代からの信仰を守り続ける方々がいる。
-
Nagasaki
外海の人々のあまりの貧しさに衝撃を受け、フランスの実家から譲り受けたすべての財産を外海に捧げた。
-
Nagasaki
ド・ロ神父はものづくりの名人であった。
しかも、原料に使う小麦なども自分たちで栽培していた。
-
Nagasaki
旧出津救助院2階の古いオルガンは、ド・ロ神父がフランスから取り寄せた。
現在はシスターが見学者のために弾いてくれる。
-
Nagasaki
大野教会堂は、ド・ロ神父が建てた出津教会堂の巡回教会堂。
今は年に一度だけ記念のミサが行われる。
-
Nagasaki
大野教会堂は、民家造りにもかかわらず、ド・ロ壁や玄関前の風よけなど、
建築的に注目すべき点が多い。
-
Goto
過疎化が進む奈留島。
祈りの灯をともし続ける信徒たちに出会った。
-
Goto
外海から海を渡って多くのキリシタンが奥浦地区にやってきた。
五島のキリシタン復活の始まりだった。
-
Goto
貧しさゆえに育てることができない子どもたちを大事に育てた五島の女性たち。
その精神は今も受け継がれている。
-
Shimabara/Amakusa
「己のごとく隣人を愛せよ」。
有名なキリスト教の精神は、有馬の地にも根を降ろしていた。
-
Shimabara/Amakusa
キリストにならって、自ら尊い犠牲になることを受け入れたキリシタンたちがいた。
今、その意味を考える。
-
Shimabara/Amakusa
「潜伏」から「復活」まで、﨑津集落における信仰の歴史を物語る貴重な史料館。
-
Shimabara/Amakusa
子どもたちが生きるために畑を耕し、祈りを捧げた場所。
-
Shimabara/Amakusa
年末恒例の「幸木」は、天草で行われてきた正月飾り。
今富の幸木は、かくれキリシタンの信仰を伝えている。
-
Shimabara/Amakusa
今富川のクレソンは、ごまあえも天ぷらもおいしい!
-
Shimabara/Amakusa
ふと見つけた小さなお社で、慈愛に満ちた石像に出会う。
-
Shimabara/Amakusa
埋もれてしまった今富の歴史を、これからもっと調査していきたい。
-
Kenhoku
信徒として洗礼を受けていた平戸の当主が、
領土の信徒を徹底的に弾圧した。
-
Kenhoku
貿易と布教がセットに。
それがキリスト教信徒が増えた理由
-
Kenhoku
変わっていった信仰ではなく、
布教当時のあり方をそのまま継承したのが本当の姿。
-
Kenhoku
信頼していたのにだまされた…。
潜伏時代に起こった悲しい物語。
-
Kenhoku
多くの儀式、多くの習わし。
家族の協力なくしては続けられない信仰。
-
Kenhoku
今もなお大切に残る根獅子のかくれキリシタンスポットをガイドが解説。
-
Kenhoku
江戸時代、壱岐から移住した小田家は鯨組を組織し、大いに栄えた。
その屋敷は現在資料館となっている。
-
Shimabara/Amakusa
大江教会の装飾品には作った人のぬくもりが感じられる。祭壇に飾られた聖画もそのひとつだ。
-
Shimabara/Amakusa
天草の信徒のためにすべてを捧げたガルニエ神父は、天草弁で気さくに話しかける人間味あふれる神父だった。
-
Shimabara/Amakusa
「五足の靴」の旅の目的は、キリシタンゆかりの地・天草で親しまれているガルニエ神父をたずねることだった。
-
Nagasaki
禁教期に外海地方で伝道した金鍔次兵衛神父は、あるときは武士に変装し、金鍔の刀を差していた。
-
Nagasaki
椿が長崎や五島のキリシタンゆかりの木として大切にされる所以は、バスチャンの伝説にあった。
-
Nagasaki
キリシタンを祀る神社は日本でも珍しい。
枯松神社では年に一度、キリスト教と仏教、かくれキリシタンが、共に祈りを捧げる。
-
Nagasaki
教会や救助院をつくったド・ロ神父は、農業にも力を注ぎ、女性たちに土づくりから指導した。
-
Goto
五島市奥浦地区は、貧しい子を救済した子部屋と、
その事業母体となった女部屋発祥の地でもある。
-
Kenhoku
シスターが鳴らす黒島天主堂の鐘
透き通ったその音色の秘密とは・・・
-
Kenhoku
キリシタンの姫が嫁いだ先は
キリスト教嫌いの松浦家。そのとき夫は・・・
-
Goto
列福運動も起こっている五島出身の中村長八神父
ブラジルでは「生ける聖人」と呼ばれた移民者の恩人
-
Goto
昭和初期の堂崎天主堂の公式初聖体式が
報道写真家によって写真におさめられていた
-
Kenhoku
黒島は天国のほうが人口密度が高い!?
十字架が密集するカトリック共同墓地
-
Goto
キリシタンの復活期をたどる古い御水帳。大曾教会の一番古い御水帳は、外海で見ることができる。
-
Nagasaki
外海の潜伏キリシタンが、神様に見立てて拝んだ像は「イナッショ様」というユニークな名前で呼ばれた
-
Nagasaki
一時は耕作放棄地となっていた「ド・ロさま畑」。今は息を吹き返し、賑やかな交流の場となっている
-
Shimabara/Amakusa
天正遣欧少年使節に随行したメンバーの中にドラードという15歳の混血児がいた。彼の使命は・・・
-
Shimabara/Amakusa
天草の今富集落では明治になってからもカトリックに復帰せず、先祖から伝わる儀式を行った
-
Shimabara/Amakusa
数奇な運命をたどったジュリアンの最期は、拷問の中でも最も苦しいとされる穴吊りの刑であった
-
Nagasaki
17世紀に日本人絵師によって描かれた聖画「雪のサンタマリア」。映画「沈黙〜サイレンス〜」にも登場
-
Nagasaki
明治初期、カトリックに復帰したばかりの信徒のために暦を印刷したのは、のちに外海に赴任したド・ロ神父だった
-
Shimabara/Amakusa
禁教期、3つの組に分かれて信仰を守り通した﨑津集落。その時代の資料は﨑津資料館「みなと屋」で見ることができる
-
Shimabara/Amakusa
16世紀末に有馬セミナリヨの画学生によって描かれたとされる銅版画「セビリアの聖母」復刻までのドラマ
-
Kenhoku
春日集落のかくれキリシタン講で継承されていた「お札」の行事。当たり札は「おふくろ様」!?
-
Shimabara/Amakusa
﨑津集落の風景や文化を語るとき、必ず登場する「カケ」と「トウヤ」って、何のこと?
-
Shimabara/Amakusa
グーテンベルク印刷機を使って印刷された「天草本(ルビ:あまくさぼん)」。ローマ字書きの「伊曽保物語(イソップ物語)」なども出版された
-
Keno/Seihi
日本初のキリシタン大名として知られる大村純忠。戦に明け暮れる中で、キリスト教に心動かされていった!?