おらしょ こころ旅

彼杵宿をたずねて

2018年11月7日 公開

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東彼杵町は、長崎街道の「彼杵宿」が置かれたところで、昔から交通の要衝として栄え、幕府の役人や長崎警備の福岡藩などの武士たち、オランダ商館長も行き来しました。また、日本二十六聖人が彼杵の海岸から船に乗せられ時津港まで送られたという歴史もあり、一行のリーダーであったペトロ・バウチスタが大村湾を見ながら涙したというエピソードなどが残されています。

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ルート紹介
彼杵宿本陣跡(1)

1633年、幕府の役人や大名が宿泊する本陣が彼杵神社の場所に建てられました。そのぎ宿には大勢の旅人が宿泊するだけでなく、各地の海産物や農産物も集まったそうです。

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彼杵宿本陣跡(2)

彼杵神社の本殿の隣には稲荷神社の赤い鳥居などもあるりっぱな彼杵神社。角力がとれる土俵もあり、そのことを詠んだ斎藤茂吉の句碑も建てられています。本陣の裏には庄屋があったそうで、そこにシーボルトが泊まったというエピソードも残されています。

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「思案橋」の碑(1)

長崎の代表的な地名のひとつでもある「思案橋」と書かれた碑が東彼杵町にもありました!西海市の横瀬浦にも「思案橋」という地名が残っていますが、東彼杵町にもあったとは驚きです。

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「思案橋」の碑(2)

「思案橋」の碑の近くを歩いてみました。彼杵宿には大勢の旅人が宿泊するだけでなく、各地の海産物や農産物も集まっていました。幕末期には284の商家が軒をつらね賑わっていたそうです。今も風情ある通りです。

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元禄船着場跡

1694年(元禄7)に開港した彼杵港には「元禄船着場跡」の碑が残っています。五島沖で捕れた鯨が彼杵港に運ばれ九州各地に送られていたので、港周辺は大いに栄えたそうです。今も港の近くに鯨と書いた看板がのこり、鯨で栄えた頃の面影を残しています。

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八坂神社

江戸時代初めに創建されたという八坂神社。江戸末期に彼杵宿に宿泊したシーボルトが絵師に描かせた彼杵港の絵に、この八坂神社も描かれているそうです。今も境内は隅々まで掃除が行き届いていて、地域の人に大切に守られていることが伝わってきました。

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本町万部塔(1)

1657年、現在の大村市で多数の潜伏キリシタンが捉えられた「郡崩れ」があったため、長崎街道沿いや集落の中に仏教徒の証として「宝塔様」と呼ばれる15基の塔が建立されたそうで、これはその中の一つ。彼杵川にかかる橋のたもとにあり、現在は藤棚の下にベンチも置かれ、憩いの場になっています。

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本町万部塔(2)

万部塔の説明板には、昔の彼杵宿の風景が紹介されています。とても賑やかで風情ある通りだったことがわかります。シーボルトの他、彼杵宿を通った知名人の名前も書かれています。

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日本二十六聖人乗船の地(1)

京都、大坂などで捕えられたキリシタン26名が長崎まで歩かされ、1597年2月5日に西坂で処刑されました。その前の日の夕刻、一行は彼杵から3隻の小舟にそれぞれ乗せられ、時津まで渡ったと伝えられています。この海を26人はどのような気持ちで眺めたのでしょう。

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日本二十六聖人乗船の地(2)

一行のリーダー的存在であったバウチスタ神父は、彼杵の俵坂峠で岩に腰掛け静かに黙想したのち、布教活動を継ぐべき同僚までもが死に、自らが全身全霊を傾けた仕事が崩壊していくことに対して涙したといわれています。そのエピソードを受け、記念碑には「聖ペトロ・バウチスタの涙」と書かれています。

住所 東彼杵郡東彼杵町彼杵宿郷
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