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史料館からはじまる大村散策

2015年4月1日 公開

ぶらり旅(24)史料館からはじまる大村散策_ph2

少しずつ春の訪れを感じる季節。ゆるやかな陽射しに誘われて大村市にやってきました。今回ものんびりとまちなみを楽しみながら、ぶらり旅がはじまります。

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ルート紹介
JR大村駅

快速シーサイドライナーと普通列車が停車するJR大村駅。乗客を待つタクシーもどこかゆったりとしているように見える。向かって左(上り)がハウステンボス・佐世保方面、右(下り)が諫早・長崎方面行き。

住所
電話番号
URL
料金
営業時間
休日
徒歩 3分
大村市立史料館

大村藩関係の古文書などを保管・展示するため、昭和48年に開館したという史料館。図書館も併設されていて多くの市民に利用されている。この日(2月中旬)は、大村出土のメダリオン「無原罪の聖母」(長さ11.4cm、幅7.4cmの青銅製の大型メダル)を目当てにやってきたが、長崎歴史文化博物館で 4月15日まで開催の世界遺産推薦記念特別展『聖母が見守った奇跡』のために貸し出し中とのこと。禁教時代の家老の墓から出てきたというこの貴重なメダル、ぜひ特別展でご覧ください。

住所 長崎県大村市東本町481
電話番号 0957-53-1979
URL http://www.omura-dejihaku.jp/
料金 無料
営業時間 午前9時から午後6時まで
休日 毎週月曜日、年末年始(12月28日~1月4日)
徒歩 すぐ
駐輪場

大村市では自転車を利用する人が多いと聞いていたが、史料館に隣接する駐輪場はこの光景。マナーを守って自転車がきれいに並べられていますね。

住所
電話番号
URL
料金
営業時間
休日
徒歩 5分
オランダ牢跡

御朱印船の船長として海外貿易を行っていた浜田弥兵衛(やひょうえ)が、1628年、台湾のオランダ館にうち入り、オランダ大守の息子らを人質として日本に連れ帰り収容した場所。石碑や案内板はないが、現在の長崎県営バス大村ターミナルビルがその牢跡らしい。

住所
電話番号
URL
料金
営業時間
休日
徒歩 5分
カトリック水主町教会

大村駅前郵便局を過ぎてしばらく歩いていくと、カトリック水主町(かこまち)教会の看板が見えてくる。ここは1958年に植松教会から独立して建てられた教会。長崎の西坂で殉教して十六聖人となった修道女マリナにささげられている。

住所 長崎県大村市水主町2-606
電話番号
URL
料金
営業時間
休日
徒歩 すぐ
大村の聖マリナ殉教者像

教会の入口横にはきれいな聖マリナ像がある。説明板には「1634年11月11日、長崎西坂で、処刑される。火刑であった。」と記されている。1989年10月18日に、日本人初の女性の聖人に列せられた。

住所
電話番号
URL
料金
営業時間
休日
徒歩

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  • 歩いたあとの楽しみは・・・

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  • 城下町の歴史を感じる

    なんとなく歩きはじめたものの、気が付けば線路を越えてお寺や神社をめぐることに。初めて訪れた格式あるそのたたずまい・・・。城下町ならではの歴史が息づいています。

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