県央・西彼
2020年3月18日 公開
大村市には大村純忠に関するスポットはもちろん、大村家に由来する文化財も多く点在します。大村家の菩提寺である本経寺もその一つで、大きな墓は大村家がキリシタンをやめ、仏教徒になったことをアピールするためともいわれています。本経寺の見学後、江戸時代の街道の面影を残す松原宿へも足をのばしてみました。
ルート紹介を見る大村市内では日蓮宗の最大の寺院で、大村家の菩提寺として知られる本経寺。創建は、大村喜前(よしあき)が棄教後の1608年頃といわれ、現在の本堂は1778年の火災後に再建されたもので、約200年を経た建造物です。確かに歴史を感じます。
住所 | 大村市古町1丁目64番地 |
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実は長崎よりも早く南蛮貿易港として栄え、キリシタンの町となった横瀬浦。開港からわずか1年後に焼き討ちにあい消滅してしまいましたが、それがなければ、もしかしたら横瀬浦が後に日本のキリスト教の拠点となる長崎だったかもしれません。横瀬浦を歩くと、そんな...
約420年前、平戸の次に南蛮貿易港となった横瀬浦は、「日本史」の著者としても知られる宣教師ルイス・フロイスが日本に降り立った最初の地でもあります。開港と同時にキリシタンの町となり、現在の横瀬浦公園がある場所にはりっぱな天主堂があったといわれています。
江戸時代になると、徳川幕府はキリスト教の信仰を禁止し、大村藩もキリシタンに厳しい弾圧を行いました。しかし、かつてキリシタン大名が支配した大村には多数のキリシタンが存在し、彼らの中には禁教後も隠れて信仰を続ける人も多くいました。1657年に起きた潜伏...
大村純忠は、島原の有馬家から養子として大村家に迎えられ、大村家の領主となると、横瀬浦、福田、そして長崎を開港して南蛮貿易を行いました。また、日本初のキリシタン大名となり天正遣欧少年使節の派遣など歴史に残る多くの事業を行いました。今回は大村市で、...
2019年10月に大村市にオープンした「ミライon図書館」。県立・市立一体複合型図書館で、都道府県と市町村が共同運営する図書館としては日本で2例目という、まさに公共施設の未来を感じる運営スタイル。今回は、図書館に併設されている大村歴史資料館を訪ねてみまし...
諌早市を出発して、バスで南島原市の原城跡と天草の﨑津集落を巡る旅。今回はようやく目的地の一つ、原城跡に到着します。原城跡から徒歩30分のところに「南島原市有馬キリシタン遺産記念館」があるので時間の余裕があれば寄りたいですね。口之津港発のフェリーの時...
戦国時代、日本人として初めてヨーロッパに公式に派遣され、ローマ法王に謁見した天正遣欧少年使節。今年1月には彼らの物語が初めて実写ドラマ化され世界に発信されました(Amazon Prime Videoで配信)。今回は、改めて大村市にある天正遣欧少年使節像を訪ね、彼らの功...
諫早は佐賀藩だったこともあり、歴史的にはキリスト教は根付いていませんが、昭和に入り宅地開発がされニュータウンができたことで信徒の数も増え、1932年に諫早小教区が創立され、1983年に現在の聖堂が改築・献堂されました。諫早の中心部の高台にあり、敷地からは...
諫早市は旧佐賀藩諌早領であり、大村藩の大村市や有馬領の島原地方に比べてキリスト教の足跡が少ない土地柄です。しかし、キリスト教が繁栄した16世紀、諫早生まれの15歳の少年ドラードが天正遣欧少年使節に随行したという歴史が伝えられています。今回は、新緑の諫...
今週は諌早市高来町へ行ってきました。先週の小長井教会堂と同じく、多良岳の中腹の風光明媚な地に修道会と修道会が設立した社会福祉施設などがあり、その中に湯江教会堂があります。主に施設の利用者と職員のための教会堂で、見学に訪れたときも堂内では熱心にお祈...
自然豊かな諌早市を代表する多良岳。その中腹に位置する山茶花高原の近くには、カトリックの修道院や福祉施設、教育施設が集まったエリアがあり、その中に小長井教会堂があります。春の心地よい日差しと爽やかな風を感じながら、小長井町に足をのばしました。
時津町は、かつては船待ちの港として栄えた古い港町。長崎街道の脇街道である時津街道が通り、たくさんの人や物が行き交いました。1970年代になると湾岸を中心に工場誘致が進み、また長崎市のベッドタウンとしても人口が増加。そのため滑石小教区の巡回教会として時...
時津港沖に浮かぶ鷹島は、1617年にドミニコ会の2人の神父が処刑された地です。宣教師たちの日本再潜入に火をつけた殉教といわれています。2人の神父は共に206福者となっています。今回は、その鷹島を最もよく眺められるスポットへ行ってみました。
禁教期にはキリシタンが収容された牢屋が各地にありましたが、大村市の鈴田牢は、周囲も天井も竹の柱で囲まれた鳥籠のような部屋で、広さは奥行6.6m、間口4.6m、横に寝ることも身動きさえ自由にはできなかったと伝えられます。
1657年、大村領内で「郡崩れ(こおりくずれ)」という事件が起こりました。郡村を中心にキリシタン608人が捕らえられ、取り調べ中に78人が死亡、20人が永牢(終身刑)、411人が斬首という厳しい処罰が下されました(人数については諸説あり)。今回はその発端となっ...
バルトロメウという洗礼名を持った大村の領主・大村純忠。長崎に港を開き、キリシタンの町を作り、戦いに明け暮れた純忠。晩年は、病に伏せ、大村の地で静かに祈りの毎日を過ごしたと言われています。今回は純忠の終焉の地と植松教会堂を訪ねてみました。
日本初のキリシタン大名・大村純忠の拠点であった大村は、領民のほとんどがキリシタンでした。そのため、禁教令が出されても信仰を守り続ける人が多く、殉教者もたくさん輩出しています。今回は、郡崩れ以前の歴史をたどってみました。
九十九島パールシーリゾートがある鹿子前地区には、黒島、平戸、五島から移住して軍関連や漁業に携わる信徒のために1953年に創建された鹿子前教会堂があります。海からの心地よい風を感じながらぶらっと行ってみました。
諫早教会堂から湯江教会堂、そして小長井教会堂へ。多良岳のふもとにある教会や修道院には、長崎市本河内を拠点に布教活動を続けたコルベ神父の愛の心が息づいていました。
今週と来週の2回は早春の諫早市をめぐる旅。1回目は、新鮮な野菜や海の幸が揃った農家直売所を起点に諫早図書館にあるコンスタンチノ・ドラード像、そして諫早教会堂に建つ聖パウロ三木像に出会いました。
常在寺(じょうざいじ)の墓地のさらに奥にある川棚(かわたな)町キリシタン墓碑を訪れたあと、戦後、海軍工廠(こうしょう)の払い下げを受けてつくられた川棚教会堂に向かいました。川棚町はキリシタンの史跡だけではなく、戦争の歴史が色濃くのこる町でした。
東彼杵(ひがしそのぎ)町から川棚(かわたな)町へ。常在寺(じょうざいじ)の水琴窟(すいきんくつ)の美しい音色を聞いたあと、参道を通ってキリシタン墓碑をめざします。たよりは目的地までの距離を示した案内板。果たしてどんなところに墓碑はあるのでしょうか。
キリシタン墓碑の近くにあったおしゃれなコミュニティスペース、そしてレトロなたたずまいを活かした千綿(ちわた)駅の新たな取り組み。古いものと新しいものが交差する東彼杵(ひがしそのぎ)町の「今」にふれたような気がしました。
日本二十六聖人乗船場跡から大村(おおむら)湾を一望する茶畑へ。産地ならではのおいしいお茶を味わい、緑豊かなすばらしい風景を堪能しました。
東彼杵(ひがしそのぎ)町の観光・物産の拠点、彼杵の荘(しょう)から日本二十六聖人乗船場跡へ。長崎(ながさき)街道の彼杵宿として栄えた町に残る殉教者の足跡を訪ねます。
西海橋(さいかいばし)公園から車を走らせ、二つのキリシタン史跡へ。ひとつは迷ってしまい、遠くから眺めることに。もうひとつは道しるべのおかげでスムーズに到着。ぶらり旅はうまくいったりいかなかったり・・・。
上町(うわまち)跡・下町(したまち)跡から長崎甚左衛門純景(ながさきじんざえもんすみかげ)居宅跡へ、そして思案橋(しあんばし)跡、丸山(まるやま)跡と南蛮貿易港時代の横瀬浦(よこせうら)を堪能したあとは、うず潮の季節を迎える西海橋(さいかいばし)...
八ノ子島(はちのこじま)が見える防波堤から港沿いに車を走らせ、南蛮船来航の地へ。貿易港として繁栄した時代に想いをはせながら、静かな上町(うわまち)跡、下町(したまち)跡をめぐりました。
横瀬浦(よこせうら)公園から車で岬のほうに移動。西海(さいかい)市の人気のスポット、船番所(ふなばんしょ)で昼食をいただいたあと出会ったのは白い十字架が立つ八ノ子島(はちのこじま)でした。
横瀬浦(よこせうら)が南蛮貿易港として繁栄したのは開港からわずか1年あまり。まちを見おろす小高い丘にはその歴史が今も息づいています。
西海(さいかい)市の情報発信地であるみかんドームを皮切りに、地元ならではの特産品直売所やお菓子屋さんに立ち寄り、南蛮船来航の地となった横瀬浦(よこせうら)をめざします。
放虎原殉教地から妻子別れの石へ。道に迷いながらも続く史跡めぐり。キリシタン弾圧の壮絶で悲しい歴史が胸に迫ってくる。
大村家の墓所がある本経寺を訪れたあとは、道に迷いながら行ったり来たり・・・。ようやく獄門所跡、放虎原殉教地へたどり着きました。ふーっ!
富松神社から三城城跡、宝生寺跡をめぐり、また踏み切りを越えてバスターミナルビルの前に。歩いたあとの楽しみはやはりおいしい昼ごはんでした。
なんとなく歩きはじめたものの、気が付けば線路を越えてお寺や神社をめぐることに。初めて訪れた格式あるそのたたずまい・・・。城下町ならではの歴史が息づいています。
少しずつ春の訪れを感じる季節。ゆるやかな陽射しに誘われて大村市にやってきました。今回ものんびりとまちなみを楽しみながら、ぶらり旅がはじまります。