おらしょ こころ旅

大波止周辺をぶらり

2019年8月7日 公開

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長崎港は今から400年以上前、大村純忠によって開港され、南蛮船や唐船が頻繁に来航し、キリスト教をはじめたくさんの海外文化を運び入れた場所です。埋め立てが進み、波止場の位置などは変わってしまいましたが、今も大波止や樺島町付近を歩くと、キリスト教伝来当時の歴史を伝える碑や史跡に出会うことができます。

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ルート紹介
ドラゴンプロムナード(1)

オレンジ色の球体が目印のドラゴンプロムナード。「港の散歩道」というサブタイトルが付いていますが、かなり老朽化して利用者はあまりいないようですね。久しぶりに歩いてみましょう。

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ドラゴンプロムナード(2)

建物は老朽化していますが、長崎港が一望できて、眺めは最高です。南蛮船が来航していた時代は、この長崎港内でもいろんな事件がありました。1610年に起きたマードレ・デ・デウス号事件もその一つ。撃沈された船はこの海の底に沈んでしまいました。

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ドラゴンプロムナード(3)

龍踊りの玉を表現しているというオレンジ色の球体は間近で見るとこんな感じで、迫力がありました!不思議な空間です。

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徒歩 3分
大波止の鉄砲ン玉

この球体も不思議です。いろんな場所に移転しながら、現在は夢彩都の正面玄関横の元船町自治会公民館前の台座に乗せられています。島原・天草一揆で一揆軍が立てこもった原城を攻略するため、1638年に長崎で鋳造された石火矢玉と言い伝えられていますが、正確な記録はないそうです。

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徒歩 4分
南蛮船来航の波止場跡

1571年、宣教師を乗せた南蛮船が長崎に初入港。以後、ポルトガル船は毎年のように来航し、長崎は国際貿易都市として急速に発展。当時、ここは長い岬の先端部分の波止場があった場所で、天正遣欧少年使節がローマに向けて出航し、8年後に帰航したのもこの港です。また弾圧の時代に、高山右近などが外国に追放されたのもこの波止場からでした。

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徒歩 4分
樺島町のともづな石

大波止から元県庁坂を登り、途中から左手に入ると崖下にひっそりと残るともづな石。なんと、唐船や御朱印船、もちろん南蛮船も繋いでいたとされ、この場所が当時は海岸だったことがわかります。1580年頃に崖下の浜を埋め立てて樺島町ができました。

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徒歩 2分
樺島町公園

長崎くんちのコッコデショで知られる樺島町にある公園。樺島町の成り立ちは古く、1580年頃、現在の野母崎樺島町付近で天然痘が発生。この伝染を避けるために野母崎樺島町の人々が移住してつくった町です。当時、野母崎樺島町の人々の多くはキリシタンだったため、キリシタン保護地の長崎に移ってきたと言われています。

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