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大村純忠終焉の地から植松教会堂へ

2018年3月14日 公開

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バルトロメウという洗礼名を持った大村の領主・大村純忠。長崎に港を開き、キリシタンの町を作り、戦いに明け暮れた純忠。晩年は、病に伏せ、大村の地で静かに祈りの毎日を過ごしたと言われています。今回は純忠の終焉の地と植松教会堂を訪ねてみました。

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ルート紹介
池田湖公園(1)

大村といえば野岳湖が有名ですが、他にも湖があったんですね、知らなかった! しかも、周辺はかなり整備され、快適な空間ですよ。

住所 大村市池田1丁目1007
電話番号
URL http://www.omura-shakyo.net/barrier-free/area/western-01/ikedako-park.html
料金
営業時間
休日
徒歩 すぐ
池田湖公園(2)

なんとここには、大村を代表するウォーキングコースが整備されていいます。池田湖1周コースは所要時間約10分で、消費カロリーは約35キロカロリー、外周コースは約30分歩いて100キロカロリーを消費。水辺を歩くのは気持ちいいですよね、大村っていい町だなぁ。

住所
電話番号
URL
料金
営業時間
休日
8分
大村純忠史跡公園(1)

軽くウォーキングしてリフレッシュしたところで、大村純忠が晩年を過ごした場所へ。今は、史跡公園として整備されています。門構えが立派です。

住所 大村市荒瀬町1116
電話番号
URL http://old.omura.itours.travel/02history/history01.html
料金
営業時間
休日
徒歩 すぐ
大村純忠史跡公園(2)

公園は常時開放されていて、市指定史跡大村純忠終焉の館跡と隣接地に史跡説明があります。居館跡の奥には庭園の跡と言われる泉水が残っていて、泉水は「館の川」と呼ばれ、どんな干ばつでも水が枯れなかったと伝えられているそうです。

住所
電話番号
URL
料金
営業時間
休日
1分
おしゃれなカフェ

史跡公園を出て周辺を散策していると、おしゃれなカフェを発見。中に入ると、ステキなコーヒーの香りが店内いっぱいに広がっていて、思わずカプチーノを注文。美味しくって、疲れが取れました!

住所
電話番号
URL
料金
営業時間
休日
5分
植松教会堂(1)

カプチーノを飲んで一息入れた後、植松教会堂を訪れました。1889年に救護院として発足したのが始まりだそうです。その歴史とゆかりがあるのかな、隣に幼稚園があります。

住所 大村市植松2-722-1
電話番号
URL https://www.nagasaki-tabinet.com/junrei/60426/
料金
営業時間
休日
徒歩 すぐ
植松教会堂(2)

美しいアンゼラスの鐘。小さい方の鐘は2008年に長崎で行われた188殉教者の列福式のために作られ、実際に使用された記念の鐘だそうです。写真を撮っていたらちょうど夕方の鐘が鳴り出して、感動しました。いつ聞いても心に響きます。

住所
電話番号
URL
料金
営業時間
休日
徒歩 すぐ
植松教会堂(3)

『幼児キリストを肩に河を渡るクリストフ』の像。調べてみたら、古代の殉教者クリストフォロス(フランス語でクリストフ、英語でクリストファー)のことで、河で溺れそうになったキリストを助けたことで、旅人の守護聖人とされているようです。

住所
電話番号
URL
料金
営業時間
休日
徒歩 すぐ
植松教会堂(4)

美しすぎるマリアさま。夕日に照らされて、少しオレンジ色に染まったマリアさまも温かい感じがしていいですね。他にも、長崎で殉教した聖ヤコボ朝長の像などもありました。

住所
電話番号
URL
料金
営業時間
休日
徒歩

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