おらしょ こころ旅

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このサイトに登録されているすべての登録資産の一覧です。

世界文化遺産

「仮の聖堂」跡

 1873年のキリスト教の解禁直後、来日したペルー神父が信徒の所有地に建てた「仮の聖堂」の跡地である。

長崎

聖画像(聖ミカエル図)を所有していた屋敷跡

禁教期初期に描かれた聖画「聖ミカエル図」を密かに所持していた潜伏キリシタンの屋敷跡地。

長崎

小濱浦

 大浦天主堂での「信徒発見」から半年後、プティジャン神父がひそかに船で外海地域を訪れた際、最初に上陸した浜辺である。

長崎

大野神社

 大野集落内にある3つの神社うちの一つで、集落全体の守り神として最も社格が高く、代々庄屋が神主を務めていた。

長崎

旧伝道師学校

この学校は、1883年に日本人伝道師の養成のために建てられた。

長崎

出津代官所跡・庄屋屋敷跡

禁教期に出津集落を管轄した出津代官所と庄屋の屋敷跡があった(旧出津救助院の敷地内)。

世界遺産 長崎 長崎

潜伏キリシタンの墓地(大野集落)

大野集落の住民は共同墓地に埋葬していましたが、解禁後に表立ってカトリックの復帰を表明したものは、庄屋や役人に共同墓地への埋葬を認めてもらえず、集落から離れたこの場所に埋葬された。

入道石積 長崎

門神社

大野集落内にある3つの神社うちの一つ。

門神社 長崎

辻神社

大野集落内にある3つの神社うちの一つ。

12_辻神社 長崎

潜伏キリシタンの墓地(出津集落)

出津集落には、小田平墓地、菖蒲田墓地、野中墓地、畑杭墓地があり、1862年に絵図により墓地がそれぞれのコミュニティことに作られたことがわかる。

野中墓地① 長崎

潜伏キリシタンの指導者屋敷跡 (「仮の聖堂」跡) 初代頭ヶ島教会堂跡

上五島地域の潜伏キリシタンの中心的指導者であったドミンゴ森松次郎は1867年に頭ヶ島の白浜に移住し、屋敷を構え「仮の聖堂」とした。

五島列島

赤仁田教会堂跡

赤仁田教会堂は大正15年に建立されました。昭和44年牢屋の窄殉教記念教会の建立と同時に閉鎖となりました。

赤仁田教会跡[2] 五島列島

永里教会堂跡

永里教会堂跡は大正7年に建立されました。昭和44年牢屋の窄殉教記念教会の建立と同時に閉鎖となりました。

永里教会堂跡 五島列島

細石流教会堂跡

この場所は細石流教会堂の跡地です。細石流集落では、解禁後においても立地環境の関係で、すぐには教会堂が建てられませんでした。1920年になって集落を見下ろす山頂付近のこの場所に木造の教会堂が建てられました。1969年に他の教会堂との統廃合により廃堂となり、その後の台風被害により倒壊しました。

IMGP5070+-+コピー細石流教会跡 五島列島

潜伏キリシタンの墓地(堂山遺跡)

住民が稲荷様としてまつる祠の周辺で発見されたキリシタン時代のものと考えられる墓地で、こぶし大の石が長方形に組まれている。

堂山遺跡 県北

丸尾山

春日の棚田の中央にある小さな丘(丸尾山)の頂に、「丸尾様」と呼ばれる石祠がある。春日沖で難破した海難者をまつったと伝えられており、住民から大切な場所とされてきた。

丸尾山 県北

瀬戸脇教会堂跡

解禁後の1881年、舟森集落に最初の教会堂が建立され、「潜伏」は終焉を迎えました。1966年の廃村に伴い教会堂も廃堂となりました。附随していた司祭館は、小値賀本島に移築され、現在もカトリック小値賀教会として利用されています。

瀬戸脇教会跡 県北

潜伏キリシタンの墓地(舟森集落跡)

外見は仏教徒の墓と変わりませんが、発掘調査により、仏教の極楽浄土のあるとされる西側ではなく、反対向き(人骨の顔の向きが東側)に埋葬されていたことが確認されています。

舟森集落の潜伏キリシタン墓 県北

潜伏キリシタンの指導者屋敷跡(舟森集落跡)

舟森集落に暮らした潜伏キリシタンの指導者(水方)屋敷の跡地です。屋敷では、潜伏キリシタン信仰に基づく、様々な行事が行われていたと考えられています。ここに暮らした指導者は、解禁後には伝道師として活動し、舟森集落の潜伏キリシタンの教会への復活を支えました。

舟森集落の指導者屋敷跡 県北

潜伏キリシタンの指導者屋敷跡 (初代野首教会堂)

野首集落に暮らした潜伏キリシタンの指導者(水方)屋敷の跡地です。屋敷では、潜伏キリシタン信仰に基づく、様々な行事が行われていたと考えられています。また、解禁後の1882年には集落で最初の教会堂がここに建てられ、「潜伏」が終わりを迎えました。

野首集落の指導者屋敷跡 県北

潜伏キリシタンの指導者屋敷跡(現在の旧野首教会)

野首集落に暮らした潜伏キリシタンの指導者(帳方)屋敷の跡地です。解禁後しばらく時間を経た1908年には、敷地内東側に3代目となる野首教会(現在の旧野首教会)が建立されました。

野首帳方屋敷跡 県北

沖ノ神嶋神社神官屋敷跡

沖ノ神嶋神社の神官一家が代々暮らした屋敷の跡地です。神社の氏子を装っていた潜伏キリシタンも神事に参加しました。悪天候の際には屋敷に附属する遥拝所を通して神社を拝んでいました。遥拝所の祭壇は、禁教期の1823年につくられたことがわかっています。建物は、神官一家から小値賀町が譲り受けて修復しています。

沖ノ神嶋神社神官屋敷 県北

沖ノ神嶋神社

沖ノ神嶋神社は、中国との主要な航路の守り神として、704年に建てられました。古来より野崎島全体が神道の聖地とされ、五島列島一円の氏子から崇敬されていました。19世紀中頃、外海地域の潜伏キリシタンは、氏子として神道の聖地に移住すればキリシタンと疑われる可能性が低いと考え、野崎島に移住しました。

沖ノ神嶋神社 県北

五輪のキリシタン墓地

かつては、30戸あまりの信徒がいたが、今は3戸の家で教会を維持している五輪の墓地。墓碑を建てるまでの目印として丸い石を集めて置いている土葬の墓は、古代遺跡のようにも見える。

五輪キリシタン墓地IMGP5974 五島列島

頭ヶ島白浜遺跡(墓地遺跡)

頭ヶ島の白浜海岸には縄文時代の遺跡があり、土器や石器の破片が見つかる。(頭ヶ島白浜遺跡)

白浜海岸 五島列島

初代﨑津教会堂跡

明治時代のキリスト教解禁後、1888年に最初に建てられたカトリック教会堂の跡地。禁教期に信者が祈りを唱えていた﨑津諏訪神社の隣接地に所在。1934年の現﨑津教会への移転までの間、信仰のよりどころとなった。現在は石垣や、昭和30年代に建築された修道院の建物が残っている。

旧崎津教会跡地 島原・天草

﨑津教会

キリスト教解禁直後に﨑津の大工によって最初の木造教会堂が建設されたのち、ハルブ神父の指導のもと、現教会堂が鉄川与助の設計・施工により1934年に建てられた。【登録資産グループ/天草の﨑津集落】

撮影:池田勉 島原・天草

﨑津諏訪神社

大漁、海上安全祈願のため、1647年に創建されたとされ、境内には1685年銘の鳥居が現存するなど、当初の境内の配置が現在ものこっている。【登録資産グループ/天草の﨑津集落】

崎津諏訪神社正面2 島原・天草

頭ヶ島天主堂

五島列島北部の頭ヶ島の白浜集落にある教会堂である。【登録資産グループ/頭ヶ島の集落】

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 五島列島

舟森集落跡

野崎島の南端に位置し、屋敷跡、耕作地跡、墓地、瀬戸脇教会跡、里道からなる。【登録資産グループ/野崎島の集落跡】

舟森の集落跡(撮影:竹口進也) 県北

野首集落跡

野崎島の中央に位置し、屋敷跡、耕作地跡、旧野首教会、里道などがのこる。【登録資産グループ/野崎島の集落跡】

旧野首教会堂(撮影:竹口進也) 県北

旧野首教会

鉄川与助の設計・施工により、1908年に建設された煉瓦造り(英国積み)の教会堂である。【登録資産グループ/野崎島の集落跡】

撮影:日暮雄一 県北

原城跡

長崎県島原半島南部の海に突き出た丘陵を利用した城跡である。【登録資産グループ/原城跡】

撮影:池田勉 島原・天草

江上天主堂

五島列島中央部の奈留島の江上集落にある教会堂で、1918年に建設された。【登録資産グループ/奈留島の江上集落】

(撮影:池田勉) 五島列島

旧五輪教会堂

五島列島南部の久賀島にある教会堂である。【登録資産グループ/久賀島の集落】

(撮影:池田勉) 五島列島

大野教会堂

西彼杵半島西岸の外海地方にある教会堂。大野周辺の26戸の信徒世帯のために出津教会堂の巡回教会として、1893年にド・ロ神父によって建てられたものである。【構成資産グループ/外海の大野集落】

01_oono 長崎

旧長崎大司教館

ド・ロ神父の設計、鉄川与助の施工管理で1915年に建設された。

(撮影:日暮雄一) 長崎

旧羅典神学校

フランス人宣教師ド・ロ神父の設計により、1875年に建設された司祭養成のための学校である。【登録資産グループ/大浦天主堂】

(撮影:日暮雄一) 長崎

大浦天主堂

フューレ神父とプティジャン神父の設計により1864年に建設された教会堂である。【登録資産グループ/大浦天主堂】

(撮影:日暮雄一) 長崎

旧出津救助院

ド・ロ神父が地域の女性たちの自立を支援するため、1883年に建設した授産施設である。【登録資産グループ/外海の出津集落】

旧出津救助院の授産場跡(撮影:竹口進也) 長崎

旧出津救助院鰯網工場(ド・ロ神父記念館)

1885年、旧出津救助院の向かい側に建設された木骨煉瓦平屋造りの建物。【登録資産グループ/外海の出津集落】

撮影:竹口進也 長崎

出津教会堂

19世紀の開国にともない来日したパリ外国宣教会のプティジャン神父は、1865年3月の大浦天主堂における「信徒発見」の後、同年9月に外海地方に赴き、多くの潜伏キリシタンと接触した。【登録資産グループ/外海の出津集落】

撮影:松尾順造 長崎

中江ノ島

長崎県平戸島北西岸の沖合2kmに位置する長さ400m、幅50mの無人島。【登録資産グループ/平戸の聖地と集落】

(撮影:日暮雄一) 県北

安満岳

長崎県平戸島の西岸に位置する標高534mの山である。【登録資産グループ/平戸の聖地と集落】

写真右奥に見える山が安満岳(撮影:日暮雄一) 県北

春日集落

長崎県平戸島の西岸にある。【登録資産グループ/平戸の聖地と集落】

(撮影:日暮雄一) 県北

黒島天主堂

平戸島の南東、佐世保港沖に位置する黒島にある教会堂である。【登録資産グループ/黒島の集落】

(撮影:松尾順造) 県北

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