おらしょ こころ旅

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県北

佐世保市、平戸市、小値賀町、東彼杵郡の登録資産の一覧です。

世界文化遺産

구로시마(黒島)성당

구로시마는 히라도(平戸), 섬의 남동쪽의 사세보(佐世保) 항 앞바다에 위치하여18세기에 섬 외부에서 이주가 이뤄졌다.

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카스가(春日)취락

이키츠키(生月)섬에 면해 있는 히라도섬(平戶島) 서해안에 따라 형성된 취락 중의 하나.

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야스만다케(安滿岳)

히라도섬(平戶島) 서쪽에 위치하는 해발 536m의 영산.

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나카에노시마섬(中江ノ島)

히라도섬(平戶島) 북서쪽에서 2km 떨어진 곳에 위치하는 길이 400m, 폭이 50m의 무인도.

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구(旧) 노쿠비(野首) 성당

데츠카와 요스케(鉄川与助)의 설계와 시공에 의해 1908년에 건설.

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노쿠비(野首) 촌락 터

노자키 섬(野崎島) 중앙에 위치한 가옥 부지 터, 경작지 터, 구(旧)노쿠비(野首) 성당, 길등이 남아 있다.

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나모리(舟森) 촌락 터

노자키 섬(野崎島) 남단에 위치하여 가옥 부지 터, 경작지 터, 묘지 터 세토와키(瀬戸脇)성당 터, 길의 요소에서 이루어진다.

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沖ノ神嶋神社

沖ノ神嶋神社は、中国との主要な航路の守り神として、704年に建てられました。古来より野崎島全体が神道の聖地とされ、五島列島一円の氏子から崇敬されていました。19世紀中頃、外海地域の潜伏キリシタンは、氏子として神道の聖地に移住すればキリシタンと疑われる可能性が低いと考え、野崎島に移住しました。

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沖ノ神嶋神社神官屋敷跡

沖ノ神嶋神社の神官一家が代々暮らした屋敷の跡地です。神社の氏子を装っていた潜伏キリシタンも神事に参加しました。悪天候の際には屋敷に附属する遥拝所を通して神社を拝んでいました。遥拝所の祭壇は、禁教期の1823年につくられたことがわかっています。建物は、神官一家から小値賀町が譲り受けて修復しています。

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潜伏キリシタンの指導者屋敷跡(現在の旧野首教会)

野首集落に暮らした潜伏キリシタンの指導者(帳方)屋敷の跡地です。解禁後しばらく時間を経た1908年には、敷地内東側に3代目となる野首教会(現在の旧野首教会)が建立されました。

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潜伏キリシタンの指導者屋敷跡 (初代野首教会堂)

野首集落に暮らした潜伏キリシタンの指導者(水方)屋敷の跡地です。屋敷では、潜伏キリシタン信仰に基づく、様々な行事が行われていたと考えられています。また、解禁後の1882年には集落で最初の教会堂がここに建てられ、「潜伏」が終わりを迎えました。

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潜伏キリシタンの指導者屋敷跡(舟森集落跡)

舟森集落に暮らした潜伏キリシタンの指導者(水方)屋敷の跡地です。屋敷では、潜伏キリシタン信仰に基づく、様々な行事が行われていたと考えられています。ここに暮らした指導者は、解禁後には伝道師として活動し、舟森集落の潜伏キリシタンの教会への復活を支えました。

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潜伏キリシタンの墓地(舟森集落跡)

外見は仏教徒の墓と変わりませんが、発掘調査により、仏教の極楽浄土のあるとされる西側ではなく、反対向き(人骨の顔の向きが東側)に埋葬されていたことが確認されています。

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瀬戸脇教会堂跡

解禁後の1881年、舟森集落に最初の教会堂が建立され、「潜伏」は終焉を迎えました。1966年の廃村に伴い教会堂も廃堂となりました。附随していた司祭館は、小値賀本島に移築され、現在もカトリック小値賀教会として利用されています。

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丸尾山

春日の棚田の中央にある小さな丘(丸尾山)の頂に、「丸尾様」と呼ばれる石祠がある。春日沖で難破した海難者をまつったと伝えられており、住民から大切な場所とされてきた。

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潜伏キリシタンの墓地(堂山遺跡)

住民が稲荷様としてまつる祠の周辺で発見されたキリシタン時代のものと考えられる墓地で、こぶし大の石が長方形に組まれている。

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